第8話
課長との出会いは覚えていない。
僕にとっての碓氷は、近所に住んでいる同級生という部類に属していたし、とりわけ意識していたわけでもない。
気が付いたら近くにいた。という表現が正しいだろう。
ただ初めて彼女と会話を交わした時、良くも悪くも僕の心は大きく揺さぶられた。
その時のことは今となっても忘れられないのだ。
「であるからしてー、西暦2000年8月15日。私達日本連邦はアメリカ合衆国との戦争に敗れ、降伏しました。こうして第二次世界大戦は終わり、この時を境にして近代的な社会への枠組みが作られていったのです…」
この時、小学生であった僕は社会の授業を受けていた。
陰陽師の家系出身である僕だが、学校で義務教育を受けないわけにはいかない。
まぁ一般の公立学校じゃなくて、超大金持ちか勉強エリートのみ通うことができる小学校に入学したんだけどね。
僕はどちらなのかというと、間違いなく前者である。
家が陰陽師の名家なのだ。子供に大金を賭けたってなんら不思議ではない。
周りのエリートたちは元高校教師の歴史授業に対して興味深々であったが、平均的な学力を誇る僕にとって、この時間は苦でしかなかった。
それにこの時期はタイミングも悪かったのだ。
数か月前。
陰陽師名家である 紙乃本家、僕を除き全員が殺された。
呪害による災厄。
分家を除き、僕にとっての親しい家族は誰一人として残らなかった。
まぁ父親は五人の妻を侍らせていたし、一夫多妻制とは言えども、父親の性格が終わっていることは明白。
母はネグレクトで、ご飯すらロクに作ったことがなく、僕は家政婦によって育てられてきた。
兄弟は十一人もいたが優秀な僕を目の敵にしていたためそこまで仲良くはない。
よくよく考えてみれば僕に親しい家族など誰一人としていなかったわけだが、幼い僕の目の前で何十人もの家族が惨殺されたのだ。
トラウマにならない方がおかしい。
まぁとにかく、凄惨な時期でもあったから、僕にとって勉学などどうでもよく、小学校に通うことすら億劫であった。
そんな状況の僕に対して気さくに話しかけてきたのが…
碓氷課長というわけである。
「ねぇ紙乃くん。おかしいと思わないか?」
休み時間のことだった。
家が近い。
理由がそれだけだったのなら僕たちが仲良くなることはなかっただろう。
しかし数日前の席替えで隣の席になってしまった。
気さくで明るい性格の彼女にとって、隣の席でいつも孤独そうに座っている僕に、話しかけない理由などなかったのだ。
「な、なにが…?」
「さっきの先生が言っていたことだよ!日本連邦が戦争に負けた話!」
「そ、そうなの?」
勉強が大嫌いであった僕にとって、彼女は優等生もいいところであった。
陰陽師の息子として生まれてきた僕とは全く異なる存在。
碓氷に対する初めの解釈はこんな感じだった。
「普通、戦争に負けたら相手の国の監査が入って政権が交代したりするもんだよね?それなのになんで数百年たった今でも変わらずに徳川政権なの?」
そんなこと僕に聞かれても困るのだが…。
そんなことを考えていた僕の傍らから、先ほど授業をしていた社会講師の島崎がにゅっと現れた。
「それはね。偉大な陰陽師達が国の為に最善を尽くしたからなんだよ。実はね1945年の時点で日本連邦は敗色濃厚だったんだ。そんな状況下で陰陽師が抵抗を始めてね、一時はアメリカが降参しそうになるほど追い詰めた。結局、近代兵器の猛威に晒された日本連邦は妖術の力をもってしても負けちゃったんだけどね」
目の前で繰り広げられる歴史の授業についていけず、僕の脳細胞は爆発寸前であった。
「とは言っても日本連邦は負けそうになってから50年以上持ちこたえたんだ。お互い疲れ切っていたし、敗戦という名の和解で事なき終えた。だから日本連邦の戦犯も処罰されることはなかったし、政権も江戸時代から変わらず徳川家のまま。今の日本連邦があるのは陰陽師のお陰だね」
「へぇー凄い!勉強になりました!紙乃くんもそう思うよな!」
「え?あー、そ、そうだね…とっても勉強になったよ…」
話したいことを話せて満足したのか、社会講師である島崎はクラスを去っていった…。
「え?ひょっとして理解できなかったの?それなら私が分かりやすく教えてあげようか?」
「だ、大丈夫!僕は大丈夫だから!」
「うるさい!私の話が聞けないっていうの!?放課後私の家に来て!歴史の面白さを教えてあげるから!」
「え、ええ!?」
と、まぁこんな感じで僕は彼女の歴史講座に付き合わされることが多くなった。
その日の放課後、碓氷の歴史講座を受ける気なんて毛頭もなかった僕は、こっそり家へ帰ろうとしたのだが…校門の前で待ち構えていた碓氷に見事つかまる。
その結果、日が暮れるまで彼女の勉強に付き合わされる羽目となった。
連日の事件で傷心していた僕にとって、この日はその後何十年も忘れられない記憶となって今も残り続けている。
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「紙乃くんって相手の感情が分からないの?」
碓氷の家に通うようになってから一年が経とうとしていたある日、僕は自分の秘密について打ち明けることにした。
自分の家族が遭遇した悲惨な事件、そして自分の生い立ち…。
彼女に対して心を開きかけていた僕は、今まで誰にも吐露してこなかった心の内を、初めて口に出すことができていた。
「そ、そうなんだ…。紙乃くんのおうちって陰陽師の家だったんだ…。辛いことがあったら私になんでも言えよ!」
叔父と一緒に暮らし、ゲロが出そうになるほど剣術の修行をやらされている僕にとって、彼女と過ごす時間はとても楽しいひと時であった。
別に碓氷のことを恋愛対象として見ていたわけではないし、今も違う。
相手がどう思っているかは知らないが、僕にとっては本心を打ち明けられる姉のような存在なのだ。
「実は私…陰陽師になりたいんだ…」
「え…?」
僕にとってその時の碓氷の一言は衝撃的だった。
日の目を浴びることなく、誰にも感謝されることなく、淡々と戦闘を繰り広げていく裏の仕事。
僕にとって、陰陽師というものはそういうものだった。
こんな辛い仕事をやりたいだって?
毎日毎日、吐血しそうなほど修行を繰り返す僕の気持ちも知らないで!
この時の僕はガキだった。
「ふざけないでよ!」
碓氷と過ごすひと時が、唯一陰陽師になるという叔父に課された使命を忘れられる瞬間だったのに…。
心の在りどころであった彼女まで陰陽師になりたいと口に出す始末。
僕…本当な陰陽師になんてこれっぽっちもなりたくないのに…。
物を操るだけという弱小妖術で一人前の陰陽師になんかなれるわけないじゃないか…。
事件以降、ひと時も怒ることなんてなかった僕が、初めて感情を発露した瞬間である。
怒った僕は、碓氷の顔も見ることなく、その場を後にし家へ帰った。
叔父に電話がかかってきたのはその日の夜だ。
紙乃家の分家である叔父だが、今となっては紙乃家の当主。
それなりの実力を誇る叔父の携帯電話には直接任務の電話がかかってくることが多い。
いつものように深夜にかかって来る電話。着信音につられ、僕も深夜に目を覚ましてしまった。
なんだか、悪夢にうなされていたような気がする。
今日初めて碓氷にあんな態度をとってしまったからだろうか…?
眠っていた叔父は一瞬で携帯電話を片耳に当てると、着信のボタンを押す。
「はーい。あー、はい…そうっすね…わかりました。すぐに向かいまーす」
始めは眠そうであった叔父の表情が段々と険しいものへとなっていき…。
「おい。碓氷っていうガキ。お前の友達だったか?」
「え?そうだよ?」
深夜に突然何事だ?
困惑している僕を片目に、叔父は驚くべきことを口にした。
「そいつが今、祠の封印を解いちまったみたいで…妖怪に拉致されているらしい。お前の友達なんだからお前が助けに行け」
「はぁ!?」
驚いて眼球が飛び出るかと思った。
碓氷が妖怪に拉致されたということにも十分驚いたが、僕が彼女を助けに行く…?
半端も行かないこの僕が…?
妖術だって初心者に毛が生えたようなものじゃないか…。
「なに怯えてんだ。ここ数年、お前には陰陽師としてのノウハウを叩きこんできたんだぞ?まだまだ荒削りだがそのじゃそこらの妖怪なんて楽勝に勝てるさ。さっさとお前の友達を助けに行ってやれ」
「それ単に眠いから行きたくないだけじゃ…」
「うるせぇ!お前は学費が高いんだよ!それに毎晩お前の修行に付き合ってるせいで睡眠時間が削られるんだぞ!?婚期だって逃しちまったんだ!少しは恩返ししろ!」
そう言われてしまっては反論することなどできなかった。
武器を整え、見習い陰陽師としての仕事をしに、僕は初めて深夜の街へと足を踏み入れる。
この日の出来事は死ぬまで忘れることはないだろう。
結果として、数人の陰陽師が束となって勝てなかった妖怪に対し、僕は一方的に嬲り、完膚なきまでに叩き潰すことができた。
どうやら僕は、自分の能力を過小評価しすぎていたらしい。
実際、陰陽師として妖怪と戦うのは思っていたほど苦ではなかった。
それどころか、一方的に妖怪を嬲るのに快感すら感じていた。
なるほど、僕は生粋の戦闘狂だったようだ。
「し、紙乃くん!た、助けてくれてありがとう!あんなこと言ってごめんね!君と喧嘩なんかしたくないよぉ!」
「ケガはない?」
「うん。あの人たちが私のことを守ってくれたんだ…」
彼女の視線の先にはボロボロになった陰陽師の姿が…。
僕はすぐに救急車を呼び、結果として碓氷にも陰陽師達にも「命の恩人」と感謝されることとなった。
「どうしてこんなことをしたんだ?」
彼女がやったのは、近くの神社に封印されている妖怪を解放したことだった。
すぐさまその神社に駐屯していた陰陽師によって彼女は守られたが、僕が駆け付けなければ間違いなく死んでいたことだろう。
一体どうして…?
「…じ、実は私のママも…」
そこまで言って彼女は言葉に詰まっていたが、僕の顔を見るなり覚悟を決めた表情でこう言った。
「…わ、私のママもパパも…妖怪に殺されたんだ。だから奴らに復讐してやろうって…同じ目にあわせてやりたくて…」
なるほど、だから神社の封印を解いて、そいつらに八つ当たりしようと…。
妖怪に復讐したくて…それが理由で陰陽師になりたかったというわけか…。
「え、でも碓氷の両親って…」
彼女の家に遊びに行った際、僕は確かに両親らしき人物と顔を合わせた。
それも一度ではないはずだ…。
「あれは私の本当の家族じゃないの…顔だって似てなかったでしょ?」
そう言われて初めて、僕は違和感があったことに気が付いた。
僕は周りのことに対してなんの関心も抱いていなかったというわけだ。
この時、僕は生まれて初めて自分の不甲斐なさを呪った。
彼女の心の内も知らずに…彼女の覚悟も知らずに…僕は怒って家に帰ってしまったのだから…。
「ねぇ…。私も君みたいな陰陽師になれるかな…?」
疲れ切った顔の碓氷は、僕の顔を見るなり縋りつくような眼差しでそう言った。
「なれるよ」
根拠なんてどこにもない。
ただ、その時の僕はなぜだか即答していた。
普段は冷静に現実を突きつけるような性格をしているこの僕が…。他人の感情なんて微塵も理解できないこの僕が…。今日に限って碓氷の気持ちを察することができた。
実際、今となってはかなりの実力を誇る陰陽師となったわけで…あの時、僕が口走ったことは実質的に正しかったのだ。




