第7話
「任務完了っと。帰りに駿府おでんでも食いに行きましょう」
「まぁ良いけど…あんまりお腹空いてないんだよなぁ…」
妖怪は既に祓われ、気色の悪い結界も崩れ去る。
本来あるべき鍾乳洞の姿へと戻っていた。
「あんまり苦戦しなかったし、大した相手じゃなかったっすね」
この程度の任務に僕たちが呼ばれる?
評議会の連中は一体何を考えているのだ?
…まぁ良いさ。
無事に任務を終えたんだ。後は帰っておでんを食うだけである。
聞いたところ駿府おでんはかなりうまいらしい。
江戸主流のおでんとは異なり黒いだし汁が用いられる。
そのだし汁というのが病みつきになるほどおいしいのだとか…。
まぁ諏訪が言ってただけなんだけど。
あいつこの世のすべての食べ物を絶賛するからあんま参考になんないんだよなぁ…。
なんにせよ、早くここから脱出して飯を食いに行こう。
結界は…もうしまっちゃってもいっか!
さっきから有害な空気だけを除去するように調節してたけど、結局そんな気配一ミリもしなかったし、張るだけ無駄だろう。
妖術を解いた次の瞬間。
…人の気配?
なんだコレ?…。
凄まじい妖力…。
それにこれは…殺気…?。
「紙乃くん危ない!」
一瞬の出来事だった。
視界の片隅で何かが動いた。
次の瞬間、僕を勢いよく突き飛ばす碓氷課長。
僕を庇ってくれたのか!?
「ゴホッ!?」
吐血する課長。
彼女の腹部は黒い触手のような実体が貫通していた。
「は…?」
時間が、止まった。
床に落ちる血の音だけが、やけに大きく聞こえる。
課長の体温が、触れた指先から急速に失われていくのが分かった。
理解が追いつかない。
しかし、呆けている時間なんてこれっぽっちもなかった。
続けざまに襲い掛かる謎の触手。
反射で体を動かさなければ、僕も同じ目に遭っていたことだろう。
「畜生。一体何者なんだよ…」
再び妖術を発動し、僕の周囲に七振りの黒き刃を展開する。
ほぼ同タイミングで触手が到来。
しかし、『虚鍔御剣』の副次的効果である結界が作用し、全ての攻撃を完璧に防ぎ切った。
なんて速さだ!
音速並みのスピードだろこれ…。
この速さで不意打ちか…流石に勘弁してほしいな。
…。
視線の先には一人の人間が僕を見下す形で立っていた。
仮面を被って素性を隠し、男物の着物を客用した怪しい人間…。
なんだ…コイツ?
「その着物…藤原家の人間か?」
「…」
男は沈黙を貫いていた。
能の面からは虚な視線が覗いている。
クソ。こんな奴に構っている暇なんてないのに…。
取り敢えず、先ずは課長の応急処置だ。
時空の裂け目を出現させた僕は、その中に腹に大穴を開けられた課長を転送した。
『虚鍔御剣』が発見された空間であり、剣の使用者ならば意のままに呼び出すことができる。
裂け目の先は虚無の空間だ。何物も存在しておらず時間の概念すらそこにはない。
課長が容態がこれ以上悪化することはないが…腹に大穴が空いているんだ…。
現代医療と陰陽師の妖術を持ってしても、望みは薄いだろうな…。
そもそも身体の欠損を再生する妖術なんて耳にしたことがない。
回復妖術といっても、毒物の浄化や疲労回復…せいぜいその程度が限界なのだ…。
空間内に隔離したって治癒するわけじゃない。ただ死へのカウントダウンを先送りにしているだけ。
そもそも空間内に隔離できる時間も限りがあるのだ。
何物も存在できない虚無空間に何かを入れる。
当然、虚無空間は物体を拒絶し吐き出そうとしてくる。
課長を放り込められたのは僕の妖力によって抵抗しているだけであって、体力と妖力が尽きれば課長は吐き出されこの世界に戻ってきてしまう。
こんな状態じゃあ課長は死んだも同然だ。
陰陽師にとっては親しい友人が次々と死んでいく光景は当たり前…。
彼女が僕を庇ったりなんかしなければ、僕はこんなにも落ち込まなかっただろう。
これは油断して妖術を解除した僕の責任なのだから…。
「おいクソ野郎。覚悟はできてるんだろうな」
珍しく僕の感情は荒れていた。
目の前の男が、憎くて憎くて仕方がない。
「ボコボコにしてやるよ!」
その一言が戦闘の合図となる。
奴の動きはとてつもなく速かった。
男の影が急速に伸びたかと思いきや、そこから飛び出てくる黒い触手。
この妖術は…藤原家の物だ…。
自身の影を自由自在に操ることのできる能力。
敵を攻撃することも可能なのか…。
「やっぱりお前、藤原だよな?なんで僕を狙うんだ?」
そう言いつつ男の放つ触手攻撃を軽々と七振りの刃で弾いていく。
お互いがお互いの妖術で武器を操り、相殺しあっている現状。
僕たちは肉弾戦へと突入した。
使い慣れた剣術で僕は敵に迫る。
操作できる影の面積にも制限があるのだろう。
『紙垂妖術』を複数併用し過ぎると、脳の処理が追いつかず、脳細胞が爆散するのと同様。
影を無制限に操るのは不可能だと断言できる。
問題は面積の限界がどの程度なのか…なんだよなぁ。
現状だと一応『虚鍔御剣』四振りでこの男の操る影を全て抑圧することができる。
残りのうち二刀は僕の両手、一刀は全身への結界術として頭上に旋回させている。
僕が危惧しているのは、この男がこれ以上の面積を操り始めることだ。
僕にこれが限界だと誤認させた上で背後からザクッ。
こんなシナリオだって想像できる。
何にせよ、警戒するに越したことはないな…。
二刀流で攻める僕に対し、男は丸腰だ。
このまま押し切れるかと思いきや…この野郎近接戦もイケるのか…。
無駄のない一閃が男の胴体へと吸い込まれていく…。
しかし、剣の側面を拳で薙ぎ払われ見事に軌道がずれてしまう。
あっぶな…危うくカウンターパンチを食らうところだったわ。
「これを避けるのか…流石は現代陰陽師の十傑と言われているだけあるな」
「お前喋れたのかよ。そのマスクは変成器か?」
質問のお返しだとばかりに回し蹴りが炸裂する。
間一髪でかわし、僕は一度距離を取る。
「どうした?ボコボコにするんじゃなかったのか?」
「その気持ち悪ぃ合成音声で僕に話しかけてくるんじゃねえ」
地面に斬撃を飛ばし、辺りに土煙が充満する。
その先を突いて一気に間合いを詰めようと試みた。
「なるほど器用な奴ではないか」
もう少しのところで避けられる。
しかし、僕の放った一撃が着物の袖を切り裂いた。
「大人しくくたばれよ…」
「舐めるなよ小僧!」
そのまま突入する攻撃の応戦。
間髪入れずに叩き込まれる拳の嵐を、涼しい顔して回避。
生じた隙目掛けて剣を振うがすぐさま片手でリカバリーされてしまう。
膠着状態が続いていた。
「噂以上だな。正直舐めていたよ紙乃」
なぜ僕の名前を…?
いやよく考えてみろ。
コイツは藤原家の人間なのだ。
特異事象対策課と繋がりがあって当然。
僕のこともよく知っているはず…。
「褒めてやろう紙乃!私とここまでやり合う人間は久しぶりだ。このまま戦っていたい気分だが…生憎私は忙しい、そろそろ終わりにしようか」
次の瞬間、天井から黒き触手が生え、僕の脳天めがけて確殺の一撃が放たれた。
僕の妖術が全ての触手を抑え込み、男の攻撃手段は素手のみ…。
僕がそう確信していると、この男思い込ませることこそ本当の狙い。
不意打ちの一撃?
そんな訳ない。全ては僕の掌の上。
「ハハハ!やっぱりな!影を操れる面積にブラフを張ってるって思ってたんだ!」
影の触手が僕の結界によって防がれたその瞬間、誰もが勝利を確信し、攻撃の手を緩めるその一瞬。
これこそ僕が待ち侘びていた勝利の確定演出。
ストレスで禿げそうだったが、これでお前を殺せる!!
「ガハッ!?け、結界術だと…!?」
困惑している男の腹部に、僕は黒き刃を深々と突き刺した。
「大動脈を刺した。もう間もなくお前は死ぬ」
刀を捻じ込み、傷は更に深くなる。
深紅の血液が滝のように流れ出ていた。
「は、ハハハ…。そうかもしれないな。最期に一つ教えてくれ、どうやって私の妖術を防いだんだ?その武器に防護結界を張る能力はないはずだが…」
そんなものお前なんかに言う訳ないだろ。
僕の妖術は紙垂を付けた物体を意のままに操ることができる。
意のままと言うのは本当に意のままであり。
その物体に付与されている能力や特性ですら任意のタイミングで発動したりなど思い通りにできる。
となると重要になってくるのはこの特別封印妖具の能力だ。
特別封印妖具 『虚鍔御剣』。
この剣を端的に説明するならば、結界術に長けた武器と表現できる。
この剣はこの剣が安置されていた虚無空間を、結界術として意のままに操ることができるのだ。
剣一振りにつき張れる結界の面積は決まっているなどのルールもあるかそんなことはどうでもいい。
肝心なのは結界の能力だ。
虚無結界。
それは何物も存在し得えず、侵入しようものなら拒絶される。
例え結界という薄い膜になろうがその性質は変わらないのだ。
「この世のありとあらゆる攻撃を防ぐ最強の結界とだけ教えておくよ」
とは言ってみたものの万能なわけではない。
全身に結界を展開してしまえば窒息するし、本体である剣を破壊されれば結界の維持ができなくなる。
まぁ、紙垂のお陰で不可壊レベルの物理耐性を付与することが出来るんだけどね。
「話はこれでお終い。今度はこっちの番だ。お前の正体を教えてもらおう」
僕が男の仮面を剥がそうとした次の瞬間。
男は気色の悪い笑い声を上げた。
「フヒヒッ…バカが!教えるわけがないだろう!お前も道連れにしてやる!」
大量に出血し地面に横たわっている男。
何もできないだろうと鷹を括っていたが、まだ胆力があったとは…。
影が急速に拡大したかと思いきや、そこから飛び出る幾重もの触手。
やばい…。
本能的に危機を察した。
このままこの場に留まっていたら間違いなく僕は死んでしまう…と。
無尽蔵に荒れ狂う影の触手。
洞窟内のあちこちを切り刻み始めたではないか。
「あの野郎!僕を巻き込んで自爆するつもりかよ!」
鍾乳石が崩壊し、天井が落石する。
逃げなければ。
分かっているのに、体が言うことをきかない。
頭のどこかで、もう間に合わないと理解していた。
「クソ…こんなところで死んでたまるかよ…」
捨て台詞が口からこぼれ出たのと同時に、僕はたちまち生き埋めとなってしまった。




