第2話
「はじめまして!特異事象対策一課から派遣されてきました。稲荷と申します!」
現場で出くわしたのは一課の人間だった。
スマホを取り出した僕は、速攻で上司に抗議の電話をかける。
『何の用ですか?』
「合同任務なんて聞いてません。どうして一課の人間と仕事しなくちゃいけないんだ!!」
抗議に対して返ってきた第一声は深い疲労感の滲んだ溜め息であった。
『前回、貴方には責任を取ってもらうと言ったよな?一課との合同任務による紙乃くんへの指導監査。それじゃあ頑張れよー』
「ちょッ…」
僕が返答する隙を与えず、碓氷課長は電話を切った。回線の切断音の片耳に僕は呆然とする。
不満が腹の中で燻り、苛立ちが隠せない。
そんな僕の様子を稲荷は不安そうに見つめていた。
「そ、それじゃあ紙乃先輩。仕事に取り掛かりましょう」
帽子にスーツという奇怪な格好をした稲荷を訝しく思ったが、僕は無言で頷いた。
一課による監査。
まるで僕の仕事ぶりに問題があると言われているようなものではないか…。
「今回の現場は放棄された犬のブリーダー施設です。ええっと…報告された異常事象は…『犬の幽霊が襲ってきた。助けて欲しい。』だそうです。へぇ…動物も霊体化するんですねぇ。」
「稲荷だったっけ?この仕事を始めて何年目なんだ?」
キョトンとした表情になる稲荷。
「えーっと。大学を卒業してからすぐここに就職したんで…大体2年目ですかね…」
なるほど、まだまだ経験が浅い様だ。
「動物が呪害化する事例はかなり珍しいけど、あり得ない話じゃないんだよ。特に犬みたいな賢い生き物は稀に負の感情を抱くことがあってね。人間と比べたら大したことない強さだけど、一応妖怪になるね」
人間が動物に対して呪った場合もその動物は呪害化する。
大体はこのケースだ。
上司に対する苛立ちを紛らわすため、後輩の稲荷に対して僕は蘊蓄を垂れ流す。
彼女の表情の異変に気がつき、慌てて口を閉ざした。
「ひょっとして怒ってる?」
「どうしてそう思うんですか?」
いや、さっきまで健気で輝きのある瞳だったのに、今では湿った視線になってるんですよ。
僕は人の感情を理解するのがとても苦手だ。
鈍感というわけではなく、過去のトラウマが影響している。
顔の動きで大まかな感情は把握できる様になったのだが、理解するには至っていない。
「僕の蘊蓄が鬱陶しかったなら謝るよ。先輩風を吹かすつもりじゃなかったんだけどね」
「ち、違いますよ。そういうことじゃなくて!」
そういうことじゃない?
じゃあなんで怒ってるんだ?
「先輩が犬の霊に対して呪害って言ったのが嫌だったんです!」
「は、はあ?」
「もしかしたら悪意のない可哀想な犬の妖怪かもしれないじゃないですか!呪害って決めつけるのは早計すぎます。」
なるほど…。腐っても一課。どうしてこんなにも呪害を庇おうとするのだろうか?
人を襲っている時点で害があることは決定しているというのに…。
「ふん。いずれ分かりますよ」
「僕は妖怪が嫌いだ」
「何でですか!私は妖怪が大好きですよ?」
「仲良くなれそうにないね」
稲荷は顔を顰めると、放棄されたブリーダー施設へと足を進めるのであった。
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何となく予想していたことだったけど、ブリーダー施設はかなり劣悪な環境であった。
この施設を案内していたブリーダーは動物を金稼ぎの道具としか見ていなかったのだろう。
糞尿や体毛に塗れた不潔な床や檻の中に放置された犬の死骸を見れば一発でわかる。
過去に行われてきた惨状が容易に想像できるではないか。
「この様子じゃ人間に対する犬の怨恨で呪い化したんだろうな。結構珍しいパターンだ。」
「多頭飼育崩壊ってやつですよね…」
悪臭で鼻がひん曲がりそうだが、これぐらい大したことではない。
悲惨な事故物件は幾度も目にしてきた。
「子犬を産ませる為だけに使われ、限界まで酷使された母犬の妖怪か…。私たちでちゃんと保護してあげましょう」
やっぱり祓っちゃダメなのか…。
そう簡単にうまく行くわけないだろうけど。
「ワン!」
犬の愛らしい鳴き声がどこからともなく聞こえてきた。
「ちゃんといますね。犬の霊」
「向こうの部屋じゃね?」
犬の鳴き声を頼りに、僕たちは薄暗い廊下を進んでいく。
おそらく向こう側の部屋にいるであろう扉の前まで僕たちはやってきた。
「良いですか先輩。襲われても絶対に殺さないでくださいよ!」
「もう死んでるから殺すも何もないんだけどね」
稲荷に睨まれたので僕は口を噤む。
ドアノブに手を伸ばした稲荷は手を捻り、そのままの勢いで扉を開けた。
薄暗い部屋の中央に鎮座していたのは、半透明のゴールデンレトリバー。激しく左右に揺れている尻尾が良く見えた。
「うわぁ、とっても可愛いじゃないですか!!先輩、これを祓おうとしていたんですか?全くビビリだなぁー」
「…来るぞ。構えとけ」
「え…?」
刹那、部屋のシミから数々の犬が滲み出てきたではないか。
日本連邦犬から西洋犬まで、数々の犬種が出現し、どれも半透明の姿をしている。
少し気味悪いが何匹もの犬が集結する姿は実に愛らしい。
目の前の光景に癒されているのか、微笑みを浮かべている稲荷。
彼女は目の前の光景が徐々に禍々しいものへと変化していることに気がついていなかった。
一匹の犬が他の個体とぶつかり、融合したではないか。
連鎖は徐々に広がってゆき…ボコボコと禍々しい音を立てながら一匹の化け物へと昇華した。
「おい稲荷。これのどこが可愛いんだよ」
目の前に鎮座しているのは、数々の犬の頭部が混合した巨大な球体。
見るも無惨な化け物だ。
「さっきまでは可愛かったんです!ど、どうしましょう先輩!」
「祓う」
「それはダメなんですって!この子達は苦しんできたんです、殺すなんてできるわけないじゃないですか!!」
「僕達の方に犬のキメラが転がってきてるけど」
咄嗟に犬の呪害を見る稲荷。
彼女の表情はみるみるうちに青ざめていった。
「ほら、そんなところで突っ立ってないで早く逃げるぞ」
稲荷を置き去り、全力疾走でその場を後にする僕。
「ちょ、ちょっと先輩!置いていかないでくださいよ!!!」
慌てて着いてくる後輩を背後に、僕は半ば呆れていた。
一体コイツは何を考えているのだろうか。
祓わずに保護する?考えが甘すぎる。
先に殺されてしまうのがオチだ。
「てっきり単体の呪害かと思ったけど、まさか全員合体するとはね。これじゃあ人間の呪害と大差ない強さだ」
「この状況を面白がってるんですか?!真面目にやってくださいよ」
「悪いけど保護に関しては専門外なんだ。二課の考えの方が正しかったですごめんなさいって言うなら助けてあげなくもないけど」
どうやら僕の煽りによって稲荷の心に火がついてしまったらしい。
「フン!私はまだ2年目ですがこう見えて優秀な陰陽師なんですから。先輩は私の後ろでいていればいいです」
「どうするつもりだよ」
「この子達は怯えているんです。私達を襲うのは自衛のため。だったら私達が人間の愛を教えてあげればいいんです」
口では何とでも言えるけど、いくら何でも非現実的だ。
どうやって呪害の心を解きほぐすつもりなのだろうか。そもそもコミュニケーションすらとれるかどうか怪しいというのに。
「こんなこともあろうかと、私、用意してきたものがあるんです!!」
自信満々にそう言った稲荷は、スーツの胸ポケットからテニスボールを取り出した。
「…そのボールで犬と遊んで打ち解けようってコトかな?」
「はい!その通りです!」
「バカ野郎死ぬに決まってんだろ!!」
この女正気の沙汰じゃない。
僕が引くレベルってだいぶヤバいぞ。
そうこうしているうちにブリーダー施設の外まで来てしまった。
相変わらず合体した犬の呪害は僕たちを追ってきている。
ここが山奥で本当に良かった。
「まぁ見ててくださいって」
振りぬいた稲荷は呪害に対してテニスボールを投げつける。
蛍光黄色の球体は美しい弧を描き…見事、呪害に命中した。
「「「グルルルル」」」
転がる球体となった数々の犬が威嚇する。
「怒らせただけじゃね?」
「そ、そうですね…。ちょっとミスっちゃったかもしれないです…」
ちょっとどころのミスではないような気がするのだが…。
はぁ…一体全体僕は何をしているのだろうか。
この程度の呪害、一瞬で屠ることができるというのに…。
いっそのこと祓ってしまおうか…。
いや、流石に合同任務で命令に背くのはまずい。
課長からの命令は『一課のやり方に従い、一課からの許可があった場合のみ祓う』というもの。
稲荷を説得するのが一番手っ取り早いんだが…。こいつ、心に火がついちゃったんだよな…こんなことなら稲荷を煽らなければよかった。
今更ながら、後悔後先立たず。
「うぁぁぁぁ!?」
そうこうしているうちに、稲荷が犬の怨霊に踏み殺されそうになった。
こっちに転がってきてる…?スピードあがってね?
「やばいです先輩!木陰に隠れましょう!」
「クッソ。なんでこんな目に…」
後輩が手招きし、僕たちは木々が生い茂る森の中へと身を隠す。
取り敢えず逃げなければ。
考えるのはそれからだ。
淡い木漏れ日に照らされ、黄緑に輝く穏やかな森。
そんな中、穏やかとはほど遠い気持ちを抱きながら僕は早足で歩いていた。
遥か後方には密集した木々につっかえ、球体の身体を捩っている犬の姿が…。
「ここまでくれば大丈夫でしょう。あの巨体じゃ狭い木々の間を通ってこれないでしょうし」
「こんなことまだ続けるつもりか?」
後輩は息を荒げていた。あれだけ激しく走ったのだから当然のことだ。
「私は絶対諦めません。必ずあの子たちを保護します!」
僕は苛立ちを隠せない。
「お前は可哀想って言う感情だけで解決するつもりなのか?バカなこと言ってないで早く祓うぞ!」
こんなことしても呪害と分かり合えるわけがない。
人間と人外。お互い仲良くするなんて夢のまた夢だ。
「なんでそんなこと言うんですか…?」
「良いか?この仕事は油断した奴から死んでくんだ。僕だから良かったけど、いずれ仲間を失うぞ!」
僕の言葉を聞いた稲荷の表情が一気に険しくなった。
「先輩の言うことは良く分かります。でもあの子たちは加害者じゃない!被害者なんです!!なんでもかんでも殺せばいいっていうわけじゃない!可哀そうだとは思わないんですか!?」
「全く」
「ええそうでしょうね!紙乃先輩は人の感情が分からない人間なんですから!」
僕の表情が少し強張ったのは自分でもわかった。
自分の失言に気が付いたのか、稲荷は「あッ…」と口ごもる。
「ご、ごめんなさい!私…とっても失礼なことを…」
「別に気にしてないよ。事実だし」
どういう言葉を返せばいいのかわからないのか、稲荷は顔を伏せていた。彼女が動揺しているのは僕でもわかる。
「一課の連中から僕の生い立ちの話はどれくらい聞いたんだ?」
「…呪害が引き起こした凄惨な事件でのショックによって、感情が壊れてしまった…と」
「まぁだいたいあってるね。呪害に僕以外の家族全員を目の前で嬲り殺されたんだ。全く…参ったもんだよね、今でも夢に出て来るんだからさ…」
何十年も昔の出来事だ。
完全に癒えた訳ではないが、一応これでも陰陽師。
時間はかかったが少しずつ前を向き。今では自分の感情を発露できるようになった。
まぁ、まだまだ他人の感情を読み取るのは難しいんだけどね。
読み取れないだけであって理解はできるのだ。
「わ、私はなんてことを言ってしまったのでしょう…」
「気にしないで。だけど、なんで僕が呪害嫌いなのかこれで少しわかっただろ?」
稲荷は僕の目を見ずに小さく頷いた。
「まぁ君の好きなようにやればいいよ。今回、僕に対して与えられた命令は一課の言うことに従うこと。つまり稲荷に決定権がある」
こんな後輩の指示に従うのはかなり癪に障るけどね。
「や、やっぱりあの子たちを保護したいです…」
稲荷の返答にかなりがっかりしている自分がいた。
この調子じゃ帰宅は遅くなりそうだ。こんなの僕のやり方じゃない。
被害が拡大する前に呪害は殺すべき。そうじゃないのか?
「はぁ…。死んでも文句言うなよ。僕は知らないからな…」
「わ、分かってます。やれるだけやってみます!まずはあの子たちを落ち着かせましょう!」
スマートフォンを取り出した僕は、片手で『犬 落ち着かせる方法』と検索する。
いくつも方法は出てきたけど、僕の心が晴れることはなかった。
ゆっくりとコミュニケーションを取りましょう。
ざけんな無理に決まってるだろ。
「ちゃんと話しかければ私達に敵意がないってことがあの子たちに伝わるはずです。先輩は後ろで見ていてください!!」
再び自信を取り戻した稲荷さん。
純粋無垢な笑顔でそう言った彼女は、そそくさと走っていった。
「ちょ…早いって」
僕の前で彼女が呪害に殺されるのは流石に興ざめ悪い。
こんなことするなんて僕の柄じゃないんだけどなぁ…。
小柄な体型からは想像できないほど稲荷は速かった。
気がつけば彼女を見失い。森の中に僕だけが取り残されている。
ヤベ。早く追わないと…。
僕は急ぎ足でその場を後にするのだった。
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「大丈夫。私達は君を傷つけたりなんかしないよ」
森から抜け、僕の目に初めて映ったものは、道の中央に鎮座する巨大な狼であった。
全長10mは優に超えるであろう巨大な狼は、全身がドロドロでスライムのような体液にまみれていた。
顔は至って普通だ。顔面にぽっかりと大きな穴が開いているということを除けばだが…。
「は?どういうことだよ!?」
僕が発狂するのも無理はない。
こんな状況なんだから誰だって驚くだろう。
「多分完全に融合しちゃったんでしょうね。数百匹の犬の亡霊が一つの呪いになっちゃったみたいです」
「ちょっとまてよ稲荷!お前コイツと仲良くなれると思ってんのか!?」
ドロドロに融合した犬の化け物に向かって手を伸ばそうとしている稲荷を、僕は慌てて制止する。
しかし無意味であった。
「大丈夫です先輩!!私を信じてください!!だから早くその物騒な剣たちをしまって…うわああああ!?」
次の瞬間、犬の呪害に向かって手を伸ばそうとしていた稲荷に対し、目の前の化け物が勢いよく覆い被さる。
瞬きの間に稲荷は呪害の体内へと取り込まれていった。
「おい!!言わんこっちゃないじゃん!!」
戦闘態勢に僕は入った。わかりきっていたことだが、呪害と仲良くするなど未来永劫不可能なのだ。
稲荷は完全に間違っている。やはり二課の考え方こそ正しい。
「大丈夫です先輩!武器をしまってこの子を撫でてみてください!」
嘘だろ…コイツ呪害と一体化してんじゃん…。
呪害の表面から上半身が突き出ている稲荷の姿がそこにはあった。
「今助けてやるからな!」
七刀すべての剣先を呪害へ向ける。
「ちょ、ちょっと待ってください!この子に悪意はありません!」
「なんでそう言い切れるんだよ!!」
現在進行形でとりこまれている奴がなにを言っているんだ?
「大丈夫!私を信じてください!この子に手を伸ばして」
「正気かよ!?。大丈夫だって確証はどこから湧いてくるんだ!?」
「触れたらわかります!お願い…私を信じて…この子を殺さないで…」
必死になって訴えて来る後輩の姿を見ていると、僕の心は次第に傾いていった。
こいつに手を伸ばして、本当に大丈夫なのか。
稲荷が操られている可能性だってある。相手は呪害だ。
僕の家族を皆殺しにした――あの存在と、同じ“分類”のもの。
……全く馬鹿げている。
今日会ったばかりの人間を信じる?この世界で?
祓う。それが正しい。ずっと、そうしてきた。
「……お願い」
耳元で、稲荷の声が震えた。
理由は分からない。ただ、その声がやけに近く感じた。
これは同情じゃない。
ただの確認だ。情報を取るだけだ。だから僕は騙されたわけじゃない…。誓って大丈夫なはず…。
人差し指が、呪害の頭に触れた…その瞬間、僕は猛烈な吐き気に襲われる。
淀んだ空気。糞尿の臭い。逃げ場のない檻。連れ去られる子犬たち。
産め、産め、産め。
誰かの声が何度も何度も脳内に反芻する。
やめろ。
僕の記憶じゃない。
なのに離れない。
流れ込んでくるのはブリーダーに対するしつこい怨念。
しかしそこに僕たちは含まれていなかった。
なるほど。この亡霊たちも随分と苦労をしてきたようだ。
気づけば、僕も同様にして呪害に取り込まれていた。
これは…攻撃じゃない。拘束でもない。
ハグってやつか…?
「先輩。殺さなくてよかったでしょ?」
「……さあな」
声が思ったより低かった。
「コイツに同情はしたくない。でも……悪い妖怪じゃないんだろ」
「そうですよ。さっきのは単にじゃれていただけみたいですね。今も私達に甘えてるんでしょう」
「思いっきり吠えられた気がするんだけど」
「そりゃあ住処に突然人間が入ってきたら威嚇ぐらいはしますって。今は落ち着いたみたいですけど、さっきは不安定に合体しちゃってましたしね」
稲荷が可憐に笑った。
不安は消えない。祓わなくて良かったのかも分からない。
ただひとつだけ分かったことがある。
僕の中に存在する常識が、確実に軋んでいるような気がした。




