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カミシデの陰陽師  作者: neluasob
第1章 人間期「プライド破壊編」

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第14話「狐の陰陽師」

 「すみませんすみませんすみません…殴っちゃって本当にごめんなさい…」

 

 畳に額が触れるほど、深く頭を下げる稲荷。

 袖が床に広がり、羽織の布が小さく震えている。


「そんなに自分を責めないで!?どちらかと言うと僕が悪いんだし」


 僕は慌てて一歩近づく。

 しかしどうしていいか分からず、差し出した手が宙で止まった。


 うん…なんとも心が痛い…。


 「顔を上げてください!姉様は悪くないッ!こんな陰気臭い男に謝る必要はないんだ!」


 耕斗が僕の前に半歩踏み出す。

 まるで庇うように。


 「むしろコイツは感謝するべきですよ!殴ってくれてありがとうって!」

 「耕斗は黙って!」


 稲荷が顔を上げ、涙目のまま睨む。

 耕斗はびくりと肩を震わせ、視線を逸らした。


 そうだ。

 お前が話すとややこしくなる。


 「とにかく顔を上げて。僕が悪いんだから、稲荷は謝らなくて良いんだよ」


 僕はしゃがみ込み、目線を合わせる。


 彼女は躊躇いながら、ゆっくりと体を起こした。

 額に赤い跡が残っている。

 土下座で額を地面にこすりつけていたのだろう


 僕が十傑第十位だからだろうか…?

 怯えられているのだろうか…。


 「で、でも…」


 「紙乃はこれぐらいでキレたりなんかしねぇよ」


 諏訪が後ろで腕を組み、壁にもたれたまま口を挟む。

 ナイスフォローだ!


 「こいつは普段からデリカシーのない発言を課長にして、その度に殴られてんだ」


 ……ん?

 …ナイスフォローなのか…?

 

 「この前なんて『そんなんだから婚期を逃すんですよ』って言ったせいで派手に喧嘩してたんだぜ?」

 「最低だな、コイツは」

 「ち、違う!それは課長が僕の昼食を勝手に全部食ったからで…」


 課長…。


 その単語が現れた瞬間、僕の脳内に浸透し、幾度も反芻していく…。

 

 

 あッ…完全に忘れてた…。


 「そうだ!課長を蘇生しないと!」


 僕の一言とともに、その場にいた全員が本来の目的を思い出したようだった。


 「見事に話題を逸らしたな」


 黙れ耕斗。

 そもそも本来の目的は課長の蘇生なのだ。

 脱線した話を元に戻したのだから、むしろ僕の行いは正しかったといえるのだ。


 「それで…これからどうすれば良いんだ?」


 僕は稲荷姉妹に視線を送る。

  

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、張り詰めた空気が場を支配していた。

 やはり稲荷は何かを隠している。

 その秘密を僕たちに話すべきかどうか、いろいろと悩んでいるのだろう。


 「耕斗…」

 

 緊張した顔持ちで弟に目配せする姉。

 耕斗は座布団に腰を掛けるとこう言った。


 「姉様の口から説明するべきですよ。こいつら次第だけど…姉様が信用したならそれで良いです」

 「ありがとう耕斗…」

 「一応契約しておきましたし、僕との約束を破ればコイツらは死ぬ。何も心配することはない」


 不安だな…。

 耕斗の言っていることは物騒だし。

 僕としてはなるべく面倒ごとには巻き込まれたくないのだが…。


 いや…もう巻き込まれてるか…。

 今更変わらないか…。


 稲荷は覚悟ができたようだ。


 僕ができることは、稲荷を信じ、課長を託すこと。


 僕も覚悟はできた。


 「どんな秘密を抱えていようと、僕は稲荷を信じるよ」


 稲荷は嬉しそうな、それでもまだ少し不安そうな…。

 なんだか複雑な表情をしていた。


 「私と先輩って友達ですよね…?」

 「え?」 


 いきなりどうしたというのだろう?

 僕と稲荷が友達…?


 そうかもしれない…。

 僕たちはすでに友達なのかもしれない…。


 「僕は友達だと思ってる」


 勇気を出してそう言ってみた。


 「本当ですか!?」


 稲荷は嬉しそうな表情をしている。

 耕斗はなんだか不服そうだ。

 

 「…私を信じてくれますか…?」

 「もちろん」

 「その…私が例え紙乃先輩とは違った存在でも…?」

 「ん?…もちろんだよ…?」

 

 違った存在…?


 あれか…?

 僕が二課の陰陽師であるのに対して、稲荷は一課の陰陽師だからか?

 相性の悪い相まみえない関係だからそう言っているのだろうか?


 確かに一課の考え方は嫌いであるが、それが稲荷を嫌う理由にはならない。

 彼女の考え方には賛同できない時もあるが、人間みんな同じ考えを持っているわけもなく、意見のすれ違いが起こるのは仕方がないことなのだと割り切っている。

 だから僕が稲荷を嫌うようなことはないだろう。


 「わかりました…。先輩。これから課長を治療します。ついてきてください」


 僕はなんだか腑に落ちない。


 しかし深くは考えないことにした。

 いずれはわかることなのだ。


 「行こうぜ紙乃」


 壁に寄りかかっていた諏訪は稲荷姉弟の後に続いた。


 やはり広い廊下だ。

 台所を過ぎ、トイレを過ぎ、寝室を前を通る。

 いつしか廊下の最奥へと辿りついた。


 目の前には何の変哲もない木製の扉。

 巨大な邸宅内では何ら違和感のないシンプルな扉であった。

 

 「この先少し暗いので足元気を付けてくださいね」

 

 稲荷は振り返ると僕たちにそう言った。

 鉄製のドアノブをひねり、目の前の扉が開かれる。


 「地下室なのか…?」

 「でっけえ家だな…」


 僕は驚き、諏訪は感心していた。

 やはり名家の所有する邸宅は格が違うようだ。


 一応僕も紙乃家という名家に所属するのだが…。

 僕以外の本家の人間が殺されてからかなり没落してしまった。

 家を相続しているのは叔父だ。

 僕はボロアパート暮らしである。


 地下へと続く階段は人が一人通れる程度の幅であった。

 急であり、天井には数個の電球が取り付けられている。


 耕斗が壁のスイッチを押した瞬間、電球は淡い光で階段を照らした。


 「こっちです」


 稲荷が先頭を行き、その後ろに耕斗。そして僕たちが続く。


 階段は意外にも長かった。

 一分は下っていただろう。


 ついには道が開け、大きな空間につながった。


 そこには立派な神社があった。


 『稲荷神社』

 石碑にはそう書かれている。


 鳥居の真横には狐の像が…。

  

 「ここで課長さんを治療します」

 「まじかよ…すっげぇな…俺ん家がちっぽけに思えてくるぜ」

 「僕なんてボロアパート暮らしだぞ。家の中に神社を作ろうものなら大家にブチぎれられる」


 軽口をたたいている最中、神妙な様子の稲荷が僕たちに話しかけてきた。


 「先輩…これから起こる出来事を見ても私を嫌いにならないでくださいね」

 「なるわけないだろ。やっぱり課長の治療をしてくれるのは稲荷なのか…?」

 「まぁそうなりますね。私の妖術があれば可能です」


 薄々は気付いていた。

 この家には稲荷姉弟以外の気配がないのだ。

 弟と結ばされたあの契約、そして稲荷の態度…。


 いくら鈍感な奴でもさすがに気がつくだろう。

 稲荷が回復妖術の使い手である陰陽師なのだと。


 神社の前には巨大な文様が書かれていた。

 目を凝らして見ていると五芒星も幾つか刻まれている。


 複雑な妖魔方陣。何らかの儀式をするために設置させられたもの。


 「先輩、確認しますけど、課長さんはいつでも取り出すことができるんですよね?」

 「うん。いつでも大丈夫。止めていた時間は動き出すから処置は早めにやらないとまずい」

 「分かってます。では私は準備をしますので少し待っててください。耕斗、ちょっと手伝ってほしいな」

 「姉様の命令ならば喜んでッ!!」

 「僕も何か手伝おうか?」

 「いえ。準備って言っても着替えてくるだけですし。先輩はそこで休んでいてください」


 稲荷は神社のほうへと姿を消した。


 「おとなしく待ってようぜ」

 「そうだな。勝手に動き回ったら迷惑かもしれないし」


 これから稲荷が行うのは欠損部位の再生だ。


 負のエネルギーを利用して発動する妖術では再生に必要な聖のエネルギーを生成することが難しい。 

 そんな理由もあってか、回復術師が治すことができるのはせいぜい掠り傷程度であった。

 

 気を抜いたらそれで終わりの世界において、掠り傷を治す程度の妖術なんて活躍するわけがない。

 必要性など皆無であった。

 『修得妖術』であり鍛錬すればだれでも扱えるはずの『回復妖術』なのだが…。

 性能の低さゆえにわざわざ習得しようとする陰陽師は数少ない。

 

 しかし稲荷は課長のけがを治すことができると言った。

 

 長い陰陽師の歴史において欠損部位を再生することができる妖術をもった陰陽師など誰一人として現れなかった。

 常識的に考えてそれは不可能に近い神業だ。


 だが、今は稲荷を信じるしかない。

 僕は信じて待つしかないのだ。


 儀式の準備は一瞬で終わった。

 地面に描かれている妖魔法陣にそって蝋燭を置いたり、塩を撒いたり。

 準備自体は簡単なものが多かった。


 こんなんで大丈夫なのだろうか…?


 いや…僕は稲荷を信じなければ。

 彼女は殺人未遂容疑のかかっている僕を信用し、ここまで連れてきてくれた。

 ならば僕も信じるべきである。

 僕はもう一人じゃないのだ。

 

 「先輩!私の準備はできてます!」


 現れた稲荷は巫女装束に身を包んでいた。

 混じりけのない清潔な白衣。腰から下に流れる鮮やかな緋袴。


 どこからどう見ても正真正銘の巫女だ。


 「おい貴様らッ!姉様に嫌らしい視線を向けるなッ!」

 「「向けてねぇわッ!」」


 諏訪と声が被った。

 

 しかしそんな視線は向けてない。

 普通に驚いただけだ。

 まさか巫女の姿で現れるとは思ってもみなかっただけなのだ。


 それに対し、稲荷は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだのち…

 「先輩。それじゃあ始めましょうか」

 僕たちに向かってそういったのだった。


 僕は虚鍔御剣を一振り召喚し、頭上に旋回させておく。

 これで裂け目を呼び出すことが可能となった。


 「課長を取り出したらどうすればいい?」

 「この妖魔方陣の中央に置いてください。時間との勝負ですので急いで治療します!」

 「わかった。じゃあ始めるぞ」


 空中に虚無空間へとつながる裂け目が現れた。

 裂け目の先は見ることができない。

 そこに広がるのはすべての光を吸収する闇の世界だ。


 しかし、中には課長が隔離させられている。


 「思ったよりも深刻そうだな…」


 課長の足が見えた。

 そこから順に姿を現し始め…。

 ついには腕の中で課長を抱えることができた。


 意識はない。呼吸も浅い…。

 腹部は依然として貫通しており、血液が滲み出てくる。


 「まずい…。出血し始めた…」

 「急いで治療しましょう!先輩!頼みます!」

 「わかってる!」


 稲荷に従い、僕は妖魔法陣の中央に課長を横たわらせる。

 青白い顔色だ。

 死相がでており、このままでは間違いなく死ぬ…。

 時間はもう残されていないかもしれない…。


 クソ…。このままじゃ課長が…。


 「安心してください紙乃先輩ッ!この程度の傷、私が治しますから!」


 なんだかとても頼もしく見えた。


 稲荷は瀕死の課長に近づき、自身の髪の毛を搔きむしる。

 頭髪が乱れた。

 髪の隙間からは大きな二つの三角形が…。


 なんだ?

 何かが生えてきた?


 妖具?


 しかし、あんな見た目の妖具は存在するのだろうか…?

 そんな雰囲気はしないし…。


 茅色の三角形の何かがピクりと動いた。


 角じゃない…触覚でもない…。


 あれは耳だ…。


 猫の耳より鋭く、犬の耳よりも繊細。

 スマートで尖った刃物のような見た目であるあの耳。

 

 僕は幾度か目にしたことがある。


 あれは狐の耳…。


 

 「「…は…?」」

 

 僕たちは揃いも揃って呆けた声を漏らす。 


 次の瞬間、稲荷の尾骨付近から獣の尻尾が生えてきた。

 それも一本ではない。三本もだ…。


 あれは狐?

 稲荷が狐…?


 人型の狐…。


 僕の脳内にとある単語が浮かんできた。


 玉藻前…別名 妖狐…。


 そんなバカな…彼女は妖怪だったのか?


 嘘だ。

 そんな気配は一ミリもしなかった。

 僕は馬鹿じゃない。人間と妖怪の区別など間違えるはずがない!


 …


 だったらどうして?


 どうして稲荷の頭部には狐の耳が生えているんだ…


 僕の脳が全力で否定しようとしている。

 しかし、いくら現実を拒もうとしても、目の前の光景を否定することなどできるはずがなかった。


 稲荷は妖怪…。僕は妖怪が憎い…。つまり稲荷は敵…。


 視界が真っ黒に染まっていく…。



 狐耳が、ぴくりと動く。


 ――妖怪。


 胸の奥が凍る。


 視界の端で、家族の血が広がっていく…。


 今でも夢に出てくる忌々しきトラウマ…。

 数十年前のあの記憶…。

 忘れもしないあの瞬間…。


 僕の家族を皆殺しにした妖怪。

 奴は人型の妖怪であり、頭部には大きな三角形の耳が生えてきた。


 狐耳。

 鋭く研ぎ澄まされた大きな獣の耳…。


 稲荷と同じもの…。


 虚鍔御剣が、ひとりでに震えた。


 一歩。

 畳が軋む。


 妖力が滲み出す。


 空気が変わった。


 「待て、紙乃」


 諏訪の声。


 それでも、僕は止まらない。

 

 耳の奥で、あの日の叫び声が蘇る。


 血の匂い。

 妖狐によって殺される家族。


 虚鍔御剣が回転を速める。


 裂け目が大きく開きかける。


 「……」


 稲荷はまだ、課長の傷口に手をかざしていた。


 震えながら。

 僕の方を気にしながら。

 


 いや。

 でも。


 祓わなければ…。


 僕の脳内は殺意の一色に染まっていた。

 

 「やめてください…紙乃先輩…」


 稲荷は怯えていた。

 一抹の逡巡。


 「困惑するのはわかるぜ。お前はどうするのが最善なのかわかんないんだろ?」

 

 そうだ。

 その通りだ。


 僕は妖怪が憎い。

 奴らが大嫌いだ。

 

 「でも稲荷は友達なんだろ…?」


 諏訪の言葉に僕は立ち止まってしまう。


 稲荷姉弟は振り返って僕を見ている。


 耕斗と目が合った。

 奴は僕を睨んでいる。


 稲荷と目が合った。

 彼女の目はとても奇麗だった。


 そこにあるのは悲しみと怯え。


 あ…。



 次の瞬間、頭の中の霧が晴れた。

 冷静になれた。


 そして次に押し寄せるのは激しい後悔。

 我を忘れてしまったことに対する後悔であった。

 

 僕は…友達を裏切ってしまったのだろうか…?


 稲荷の悲しそうなあの表情…。


 僕を信じてくれたのが人間でなくとも、例えその正体が妖怪であっても、彼女は僕を信じてくれた……。


 一体僕は何をやっているのだろうか…?


 彼女の正体が何であれ僕は信用すると心に誓ったのではないのか…?


 彼女にも何か訳があるのかもしれない…。

 話してすらいないというのに僕は勝手に彼女が悪であると決めつけていた…。


 僕はなんて愚かなんだ…。


 「そう自分を責めるな。未遂なんだから自責の念に駆られる必要はねぇ。お前らしくないぞ。もっと楽観的な奴だったじゃねぇか」

 

 諏訪なりの励ましだったのだろうか…?


 そうこうしているうちに、儀式が始まってしまった。


 「久遠の理に乗りて、朱き鳥居の門を開かん。

 伏見の嶺より吹き降ろす風、瑞穂の国に黄金の波を刻め。

 ウカノミタマの名において、此処に実りし万の粒、地の糧、天の恵みを奉らん」


 妖魔方陣が途轍もない輝きを放った。

 妖力が空間内に満ち、すさまじい聖のエネルギーが稲荷の両手に収縮していく…。


 「――顕現せよ、豊穣の力!。…稲荷の大神に、至高の収穫を捧ぐ!」

 

 両手に宿る膨大なエネルギー…。

 制御することすら難しいのか、彼女の表情は苦しそうだった。


 エネルギーの収縮はピークに達する。


 「『恢復』せよ!」


 その瞬間――


 妖魔方陣に刻まれた五芒星の線が、まるで血管のように脈打った。


 淡い光ではない。


 それは、白金色の奔流だった。


 地下の空気が震える。

 蝋燭の炎が一斉に揺れ、天井の影が歪む。


 塩が撒かれた床から、ほのかに焦げたような匂いが立ち上った。

 負のエネルギーが聖の力へと生まれ変わり、稲荷の三本の尾がゆらりと広がる。

 一本が揺れるたび、空気が重くなる。


 彼女の足元から、粒子のような光が舞い上がり…。

 黄金色に輝く稲穂が足元から生えてきた。


 次の瞬間、瞬きする間すらなく、地下空間は黄金の稲穂で満たされる。

 まるで植物の生長を倍速再生で見ているかのような感覚だ。


 その光景はあまりにも幻想的であった。

 本当に稲荷の正体は妖怪なのだろうか…?


 そう疑問に思ってしまうほど、稲荷の妖術は美しい。



 課長の腹部を覆うように、光が集束する。


 肉の裂け目に触れた瞬間――


 じゅ、と。


 音がした。


 焼けるようであり、

 しかし焦げてはいない。


 光は糸のように伸び、

 断ち切られた筋肉を縫い合わせ、

 血管を編み、

 骨の欠片を包み込んでいく。


 「……すごい……」


 思わず声が漏れた。


 諏訪も息を呑んでいる。


 神域の業。


 稲荷の額から汗が滴る。

 狐耳が震え、尾の毛が逆立つ。


 聖のエネルギーが暴れようとするのを、

 彼女は歯を食いしばって押さえ込んでいる。


 不意に、吹き荒れるエネルギーの奔流がピタリと止んだ。


 妖魔法陣は急速に光を失い、空気の流れは止まり、黄金の稲穂が崩壊していく。


 妖魔法陣の中央には課長の姿が…。

 

 彼女の腹部にあった大きな穴。

 今となってはそんな面影すらなく、完全に癒えていた。


 「すげぇ…」


 諏訪は口を開け、呆然としている。

 それは僕も同じだ。


 稲荷は神業をやってのけた。

 妖術で欠損部位を再生したのだ。

 

 しかし課長は一向に目を覚まさなかった。


 「はぁ…」


 稲荷はため息を吐く。

 どうしたのだろう?

 一見すると妖術は成功したかのように見える。

 しかし課長は目を覚まさない。


 嫌な予感が脳内をよぎる。

 まさか手遅れだったのか…?


 手足が冷たくなっていき、めまいがしてきた。


 「安心してください。課長の治療は成功しました」

 「本当か!?…よかった…」


 その言葉を聞いて僕は安堵のため息を漏らす。

 間に合ったのだ…。

 課長は生きているのだ。


 良かった…。


 「ただ…目が覚めるにはまだまだ時間が掛かりそうですね」

 「え…?」

 

 僕は固まる。


 「安心してください。これは一時的な副作用みたいなものです。寝かしておけばいずれ起きます」

 「そうなんだ…」


 嫌だぞ。

 このまま一生目を覚まさずに課長が植物状態になってしまうというのは。


 「取り合えず、課長さんをベッドで寝かせましょう。耕斗。点滴を持ってきてくれないかな?」

 「はい!姉様!」


 稲荷の頼みを聞くや否や、耕斗は地下室を飛び出していった。


 「因みにどれぐらいで目が覚めるんだ?早いとこ紙乃の容疑を晴らしてやらねぇと…」

 「早くて数週間、最大でも半年ですかね…」

 「「半年!?」」


 僕と諏訪は揃いも揃って驚愕する。


 「仕方がないですよ…。半分死んでいたところを無理やり蘇生したんですから」


 稲荷の顔色は悪かった。

 そして少し落ち込んでいるように見えた。


 これは僕のせいなのだろうか?

 トラウマが脳内で反芻し、僕は稲荷に対して敵愾心を抱いてしまった…。


 「ごめんなさい…。力不足で…」

 「そんなことはねぇよ!稲荷さんは十分すぎるほどやってくれた!感謝してもしきれないぐらいだ!」

 「協力してくれて本当にありがとう、稲荷。どうお礼をしていいのやら…」


 稲荷は最大限の力で尽くしてくれたのだ。

 それに対して文句を言うつもりなど毛頭ない。


 仕方がないことだが、長くて半年…。

 課長が証言してくれないとなると、僕の容疑が晴れるのはまだまだ先になりそうである。


 僕はこの先どうするべきなのだろう…?


 …いや…今は自分のことなど考えている場合ではない。

 まずは課長の心配だ。


 「順を追って説明しますよ。いろいろと知りたいことがあると思いますし」


 稲荷は見るからに疲れていた。


 「ここで話すのもなんですし、地上に上がりましょうか」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 「課長さんに施した『豊穣妖術』は稲荷家相伝の妖術です」


 課長をベッドに輸送した後、僕たちは稲荷から話を聞いていた。

 聞きたいことはいろいろとある。

 

 ベッドで横になっている課長の腕には点滴がつながっていた。

 彼女の顔色は良くなってきている。 

 順調に回復してきているのだろうか…?


 「あれ?耕斗が持ってる『誓約妖術』が相伝じゃないのか?」

 「前に言っただろうが。『誓約妖術』は稲荷家の男にしか発現しない。逆に『豊穣妖術』は女にしか発現しない」


 耕斗は不機嫌そうに言った。


 なるほどそういうパターンも存在するのか…。


 しかし、僕が本当に知りたかったのは、そんなことではない。 


 「なぁ。稲荷って妖怪なのか…?」


 場の空気がピリついた。


 稲荷は不安そうな表情になり、耕斗は殺気を放っている。

 僕は唾を飲み込んだ。


 全員の視線が一斉に稲荷のもとへと集中する。


 「私の先祖が妖怪なんです…」


 稲荷は小さな声でそう言った。

 衝撃の事実である。


 しかし僕たちはそれ程驚愕していない。


 おそらく先ほど目にした光景で何となく予想がついていた。

 確証はなかったが、これで確定した。


 少なくとも稲荷は妖怪の血を引いているのだと…。

 

 「私の一族のは九尾の狐と人間の間に生まれた子供から始まりました。妖怪と人間のハーフ。強力な妖怪の力が子供へと遺伝し、やがて『相伝妖術』になります」

 「なるほど、それが稲荷の持っている『豊穣妖術』なんだな?」

 「その通りです、諏訪さん。妖術というのは元々妖怪と対抗するために作られたもので、もとは妖怪が持っていた超常的な力を、人間が扱いやすいように改良したものなんです」


 それは僕でもしっている。

 人間は聖のエネルギーの塊であり、妖術を扱う際に必要となる負のエネルギーは保有していない。

 僕たちが扱う妖術には、聖のエネルギーを負のエネルギーへと変換したうえでそのエネルギーを利用し、術を発動するという一連のプロセスが組み込まれている。

 当然、変換効率が悪ければエネルギーの出力は落ちてしまう。


 「本来、回復系の妖術は聖のエネルギーを利用します。でもエネルギー効率がものすごく悪いです」

 

 この世界の妖術体系は聖のエネルギーを負のエネルギーへと変換すること。

 妖術体系は基礎中の基礎であり、このルールを無視して妖術を発動することはできない。

 しかし回復妖術に必要なのは聖のエネルギー。

 自身の保有している聖のエネルギーをそのまま術へと運用する方式は実証されていない。

 

 つまり回復妖術を扱うには、聖のエネルギーを負のエネルギーへと変換し、妖術体系に当てはめたのち、再び聖のエネルギーへと変換しなければならない。

 圧倒的非効率。

 しかし、方法はこれしかないし、もともと妖怪の力であったものを無理やり人間様が扱えるように改造したのが妖術であるため、聖のエネルギーをそのままアウトプットするのは理論上不可能なのだ。

 

 こういう裏背景が存在するため、陰陽師の世界において回復術師は極めて希少。

 にもかかわらず、個々の実力は大したことがなく、かすり傷程度の怪我でしか効力を発揮できない。


 …しかし稲荷は違うようだ。


 「稲荷家の中で妖狐の血を引いている人はかなりいますが、100%妖怪の血液を持つ人はごくごく稀です」

 「数百年に一度の逸材。それが姉様ってわけだ!」

 「親が完全な妖怪じゃなくても、子供は妖怪になるのか…」


 多分あれだ。

 潜性遺伝子が奇跡的に重なって発現したんだ。


 といっても僕は学術的な才能が皆無であるため、詳しいことはよくわからない。

 しかし、稲荷麦の存在はありえない話ではないということが分かった。


 「耕斗は半分半分らしいんですけど、私は完全に妖怪なんです。だからわざわざ聖を負に変換する必要がないんです」

 「稲荷は妖怪だからもともと負のエネルギーを持っているんだもんな」

 「なるほど…だから効率よく再生することができると…」


 本来ならば聖→負→聖のところ、稲荷は負→聖と一発で済んでしまう。

 それに加え、『豊穣妖術』という名の回復妖術だ。


 人間が妖怪の力を真似て作った偽物ではなく、九尾の狐が保有していた本物の力だ。


 稲荷が神にも勝る回復術師であったのは必然的なのかもしれない。


 「ん?だったら『誓約妖術』はどっから来たんだ?」


 話を聞いている限り、九尾の狐から遺伝したのが稲荷麦の保有する『豊穣妖術』だ。 

 では稲荷耕斗の『誓約妖術』は…?


 「これは二代目当主が開発したものだ。九尾が女だからなのか、『豊穣妖術』は女にしか発現しない。平安時代当初は危うく大騒ぎになりかけたらしい。何せ圧倒的な回復能力を誇る妖術だからな。術の効果は細胞にまで及ぶ。先天的な病気にも作用するんだ。国の偉い奴らがこんな力を目にしたらどうすると思う?」

 「徹底的に利用されるだろうな」

 「そうだ。細胞にまで作用するこの妖術を用いれば、寿命だって伸ばすことができる。欲望にまみれた奴らからしたら喉から手が出るほど欲しいだろうな」

 「隠し通そうとしなかったのか?」 

 「その結果編み出されたのが『誓約妖術』なんだよ。いくら口止めしようとも、噂は必ず広まる。だから強制的に契約を結ばせて、破った場合は自分とその周囲に呪いがばら撒き、全員の口を封じる」


 なるほど。

 これが稲荷家の秘密というわけか…。


 女のみが保有する神業『豊穣妖術』。

 そして一族の秘密を守るため、男に与えられた神の補佐役『誓約妖術』

 どちらも欠いてはならない妖術であるというわけだ。


 「ちなみに今話したことを誰かにバラした瞬間、お前たちの脳みそは爆散するからな」

 「ちょっと耕斗!」

 

 稲荷は耕斗を注意するが、それでも奴は止まらない。


 「良いか?稲荷家の秘密を教えたのはお前らを信用しているからじゃない。口封じに絶対的な自信をもってるからだ。そこを勘違いするなよ?」

 

 僕と諏訪はお互いに顔を見合う。


 「「わかった」」


 口を揃えてそう言うのであった。


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