風が語るもの
季節が巡り、村には新しい春の気配が漂っていた。
アスターは丘の上で空を見上げ、ふと呟いた。
「なあ、ユリ……オレたち、ちゃんと“未来”にいるんだよな」
「うん」
ユリはそっと頷き、アスターの隣に並ぶ。
「だって、こうして――生きてるもの」
花は咲き、風は吹き、鳥はさえずる。
平穏とは、意外と音の多いものだと気づく。
そこには争いもない。叫びもない。
ただ、七匹の物語の続きが静かに“日々”として刻まれていく。
バコバは村の入り口で帽子を深くかぶり、
ライラックは春風に髪をなびかせて花を見つめていた。
ルピナスはラボのデータを整理しながら、時折ふと空を見上げる。
ガルビネアはパンを焼き、ガーベラは新聞を静かに読む。
彼らの世界は、もう“終わった”のだ。
……はずだった。
──その頃。
とある地下施設。
空調の音だけが、ひんやりとした空間を支配していた。
照明は鈍く、壁は無機質で、まるで記憶を拒絶するような冷たさ。
その中心にある――冷却カプセル。
中には、一匹の少女が横たわっていた。
銀白色の髪。
獣の耳。
全裸の身体を機械の管が縫うように繋ぎ止めている。
その皮膚には、かすかに狼の痕跡。
だが、アスターとは明らかに違う“何か”。
「……起動、開始します」
無感情な音声が室内に響く。
ピピ――ピピ――ピ……
そして、次の瞬間。
──パチリ、と。
少女の目が開いた。
赤い、獣のような瞳が、光に反射して鋭く揺れる。
そして、無表情のまま、口を開く。
「……ここは、どこ……?」
部屋のスピーカーから、電子音が返す。
「起床確認。実験体コード:ルーナ」
「プロヴィス・第二計画――《ガイア・リセット》、起動」
少女の瞳が、一瞬だけ揺れた。
その中に宿ったのは、純粋すぎる“空白”。
記憶も、感情も、目的すらも持たぬ――白紙の存在。
だがその静寂の先には、また新たな物語の始まりが、息を潜めていた。
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次回予告
> 「ねぇ、アスター……あなたに“妹”がいたらって、考えたことある?」
眠りから覚めたもう一人の“狼”
名を持たぬ少女が歩き出すとき、
世界の境界線が、再び揺らぎ始める――
アンチューサ -re:birth-
『誰かの記憶に、私は咲いていた?』
ここまで『アンチューサ』を読んでくださって、本当にありがとうございました。
この物語は、たった七匹の“獣人”たちが織りなす、
とても小さくて、とても大きな「記憶」と「想い出」の物語でした。
彼らは戦いました。
失い、迷い、傷つきながら、それでも進んでいきました。
そこには、華やかな英雄譚ではなく、
誰かの名前を呼び、誰かの手を握るという、静かで確かな絆がありました。
アスターの孤独、ユリの願い、
ガーベラの覚悟、バコバの優しさ、
ガルビネアの包容力、ルピナスの理知、ライラックの癒し――
それぞれが欠けていたら、この物語は完成しなかったでしょう。
そして、最後に咲いた一輪の花、アンチューサ。
その花言葉は「大切な想い出」。
この物語のすべてが、その言葉に込められています。
どんなに過酷な世界でも、誰かを想う気持ちがあれば、
そこには必ず“花”が咲くのだと、信じています。
だけど、物語はここで“終わり”ではありません。
あなたがこの物語を覚えていてくれるかぎり、
彼らの世界はどこまでも続いていく。
新しい狼の少女が目覚めたその瞬間から――
“新たな物語”が始まろうとしているのです。
また、あの丘で会いましょう。
風が吹き、アンチューサの花が揺れるその場所で。
ありがとう、そして――また次の物語で。
――作者より