表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンチューサ  作者: クロス
最終章:アンチューサ
88/95

第六話「耳を澄ませば、あの声が」

草花が揺れている。

まだ誰も目覚めぬ村の朝、

ライラックは花畑の中心に一人、静かに座っていた。


 


彼女の指先がそっと触れるのは、昨夜咲いたばかりの薄紫の花。


アンチューサ――。


それは、記憶を宿すと言われる花。

風の囁きと共に、過ぎ去った声が、ふと心に染みこんでくる。


 


「……ねえ、覚えてる?」


 


彼女は、花に語りかけるように目を閉じた。


その瞬間、風が吹いた。

ほんの一瞬、花たちが震え、まるで言葉を返してくるように揺れる。


 


(……“ありがとう”って)


 


それは、かつて救えなかった誰かの声。

この花畑には、もういない“名前のない命”たちの想いが、今も眠っている。


 


「悲しい声も、嬉しい声も、全部、風が運んでくれるの。

 私たちが耳を澄ませば、どんな記憶も、まだここにある」


 


そう語る彼女の隣に、小さな気配が現れた。


足音もなく近づいてきたのは――ユリだった。


 


「ライラック。こんな朝早くに……」


「ごめんね、起こしちゃった?」


「ううん。なんだか、夢で呼ばれた気がして」


 


ユリの車椅子のそばに座り込み、ライラックは微笑む。


「ねぇ、ユリ。あたしたち、よくここで遊んだよね。

 あなたが話して、私が聞く。風が吹いて、花が揺れる」


「……うん。あの頃は、世界のことなんて何も知らなかった」


「でも、今は知ってしまった。

 だからこそ……“思い出す場所”が、必要だよね」


 


ユリは頷いた。


 


「この花畑は、もう“風景”じゃなくて、“記憶”なんだ。

 あたしは、その“記憶”を守るためにここにいる。

 たとえ全部忘れられても、誰かが覚えていればいいの。

 たとえば、こうやって話すことで――ね」


 


ユリがそっと目を閉じた。

ライラックも、目を閉じる。


 


二人の間に、風が吹いた。

過去の声たちが、かすかに、柔らかく、吹き抜けていく。


“ありがとう”

“またね”

“痛い”

“嬉しい”

“ずっと、忘れないで”


 


その全てが、この場所に咲く、無数のアンチューサとなって。


 


「……また、話そうね。

 あなたの声、ずっと聞いてるから」


 


そう言って、ライラックはユリの手を取った。


太陽が昇り始める。

夜明けの光が、花たちを照らし始める。


これは、想い出を紡ぐための“場所”。

そしてライラックは、それを守るために生きる“耳”。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
#アンチューサ #獣人 #群像劇 #記憶の物語 #友情と再会 #ヒューマンドラマ #近未来SF #静かな感動 #花言葉 #風と光 #感情の再生
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ