第六話「扉の向こうにいたもの」
鉄扉は、重かった。
ガーベラが手をかけて少しだけ押すと、内部の湿気が一気に外へと流れ出てきた。
それはまるで、誰かが息を止めたまま長い間そこにいたような、沈黙と湿り気の混ざった“生ぬるい空気”。
「……この空間、ただの隠れ家じゃねぇな」
ガーベラはドローン“グレイ”に光源を最大まで上げさせた。
暗闇の中、ゆっくりと露わになっていくのは、かつて病院だった構造――崩れかけた鉄製のベッド、割れたモニター、天井から垂れ下がったコード。
その一角に、まるで“祈るように”座り込んだ椅子があった。
「……誰かが、ここで“待っていた”」
足元には埃の積もった足跡。
しかしその足跡は途中で“消えて”いた。
「……おい、グレイ。サーモグラフィ、照射範囲を30mに拡大。赤外反応を探れ」
《了解。熱源……異常なし。……ただし――》
《この部屋には、“新しい埃が積もっていない”部分が存在。物体移動痕跡を検出》
「最近まで、誰かがいた……」
ガーベラは周囲を警戒しつつ、壁際に目を移す。
そこには“落書き”とは思えない、緻密な線画がびっしりと描かれていた。
幾何学的な模様。記号。動物の姿。そして――顔のない獣人の群れ。
「なんだこれは……」
中でも、一つだけ異様に引き寄せられる絵があった。
それは、**真っ黒なフードを被った“赤い目の獣人”**の絵。
その下には、黒いインクでこう書かれていた。
> 「それは、アスターではない」
> 「あれは、“アスターに似た何か”だ」
ガーベラは思わず息を止めた。
その時、背後でシエルが声を上げる。
「見たんだ……一度だけ。あの“影”を。
アスターじゃないけど、アスターの匂いがして……
でも、“目”が……目だけが、まるで違ったんだ……!」
ガーベラは立ち上がる。
銃を構えたまま、部屋の最奥――朽ちたカーテンで仕切られた一角へと歩を進める。
グレイのライトがその布を照らした瞬間、風のように揺れた。
《警告:空間圧変化。音波反響が……乱れている》
ガーベラはためらわず、カーテンを払った。
そこには、誰もいなかった。
だが、“誰かが確かにいた痕跡”だけが残っていた。
折りたたまれた布。刃の抜けたナイフの柄。
そして、壁に指で書かれた小さな文字。
> 「父さん。まだ俺は、俺じゃない」
ガーベラはゆっくりとその文字に手を重ねた。
「……待ってろ。必ず、“お前を見つける”」
その瞬間――
通路の奥、最初に入った方向から金属音が鳴った。
シエルが鋭く反応する。
「誰か……来た!?」
《複数の足音接近。4名。重装備。識別信号なし。》
ガーベラは即座に銃を構え、ドローンを後方へ。
「くそ、包囲か……!誰だ、情報が漏れたのか……!」
そして、その場に響いたのは――
「逃げ場はないぞ。獣人ども。出てこい」
冷たい、無機質な男の声。
プロヴィス直属部隊――
“非登録獣人”を狩るために生まれた、都市の影。
ガーベラは静かにシエルに目配せした。
「裏通路があるか?」
「……あっちの非常排気路!」
「よし、案内しろ。お前ももう、巻き込まれてんだ」
二人は、闇へと滑り込む。
背後には、銃の安全装置が解除される音。
そして、静かに近づく“機械仕掛けの死”。
ガーベラの目は、再び獣のように鋭くなっていた。
――つづく