第六話「帰還と決断」
研究棟・地下フロア。
夜明け前の静寂の中、扉が開く音が響いた。
「……ただいま」
バコバは、ずぶ濡れのジャケットを脱ぎながら部屋に入った。
ルピナスは無言で小型端末を抱え、ガーベラは肩の傷を押さえながらも、表情を変えずに続いた。
そこには、待っていた者がいた。
アスター。
壁にもたれて座っていた彼は、仲間たちの姿を見て、わずかに目を細めた。
「……無事だったんだな」
その一言に、バコバは苦笑した。
「お前が“そういう風に”喋るようになったの、最近だよな」
アスターは眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
バコバは近くの椅子にどっかりと腰を下ろし、煙草の箱を取り出しては、やめて胸ポケットに戻した。
「……お前の“記憶”の話だ」
ルピナスが端末を机の上に置き、静かに説明を始めた。
「これは、ノイズレシーバーΩから回収したデータだ。
10年前、君が“アナザーシェル”と呼ばれる実験施設で記録されていた脳波・感情データ……つまり、君自身が刻まれた痛みの記録だ」
アスターの表情が曇る。
「……見たのか?」
「全員でな。……逃げずにな」
ガーベラが重い声で言った。
ルピナスが再生ボタンを押す。
静かに流れ出す映像――
> 「やめろ……っ!返してっ……返してくれユリをぉ……!」
部屋の中に、幼きアスターの絶叫が響いた。
それを聴いた今のアスターの拳が、ぎゅっと震える。
彼の瞳には、苦しみと怒り、そして――涙の気配が浮かんでいた。
だが、バコバが口を開いた。
「お前は、感情を“殺された”と思ってるかもしれねぇ。
だけど俺は違うと思う」
アスターはゆっくり顔を向ける。
「……どういうことだよ」
バコバは煙草を一本取り出し、それを指で折った。
「本当に“殺されてた”なら、今頃、お前は“感情そのものを否定する化け物”になってた。
だけど、お前は――今こうして、“痛む”じゃねぇか。
怒るし、悔しがるし、守ろうとしてる。
それはな……感情を殺されかけても、“お前が殺させなかった”証拠なんだよ」
沈黙が流れる。
アスターは、自分の胸元に手を当てた。
まだ微かに、鼓動が鳴っていた。
震えるように、小さく、確かに。
「……俺の中に……まだ、残ってるってことか」
「残ってるだけじゃねぇ。
お前は……“残した”んだ。たった一人でもな」
ガーベラが静かにうなずいた。
「お前の中の“生きたい”という感情……
それが、ユリを守りたいという思いになり、俺たちの前に戻ってきた。
ならばそれを信じて、進めばいい」
アスターは、涙を流さなかった。
だがその眼差しは、確かに“人間”のそれだった。
「……わかった。
この感情が、まだ俺に残っているなら――」
彼は立ち上がり、静かに言った。
「――もう一度、戦ってみせる。
今度は“奪われる”ためじゃない。
“取り戻す”ために」
部屋の空気が、少しだけ暖かくなる。
“感情”を奪う者たちへの、反撃の火が――
確かに今、灯った。