最終話「おはよう、世界」
静かな光が、まぶたの奥で揺れていた。
やわらかく、あたたかく、でも少しだけ遠い。
ユリは、ゆっくりと目を開けた。
最初に見えたのは、白い天井。
そこに差し込む、優しい陽の光。
――ここは……どこ?
指先に力を入れてみる。
ほんの少し、反応がある。
そして、脚の感覚が――かすかにあった。
「……!」
小さく目を見開く。
胸が強く脈打つ。
何かが“動き始めた”感覚。
そのとき、視界の端に人影が見えた。
赤い――フード。
「……あ」
その声に、アスターが顔を向けた。
「ユリ……」
彼は言葉を失ったように、じっとユリを見つめていた。
その目は、何かを探すようで、
何かを信じようとしていた。
「……おはよう、アスターくん」
ユリは、微笑んだ。
「……!」
アスターの肩がわずかに震えた。
彼は、すぐには何も言わなかった。
ただ――近くに来て、ユリの手を強く握った。
「覚えてる……のか?」
「全部……じゃない、かもしれない。
でも、あなたの“声”はわかる。
“温度”も、覚えてる」
アスターの目に、ほんのり涙が浮かぶ。
「バカ……全部じゃなくたっていい。
また一緒に思い出していけばいいんだよ」
ユリは、ゆっくりと手を上げる。
アスターの頬に触れる。
その手は、わずかに震えていたけれど――
あたたかかった。
「……また“好き”になってもいいですか?」
ユリの問いに、アスターは黙ってうなずいた。
そして、彼女の手の甲にそっと口づけた。
「何度でも。毎日でも。毎秒でも惚れさせてやるよ」
――ふたりは、静かに笑い合った。
外では風が吹き抜ける。
春が、もうすぐそこまで来ていた。
歩けなくても、思い出せなくても。
ふたりが歩む道は、確かにここから続いている。
そして、そのタイトルがそっと現れる。
> 『アンチューサ』
> ―白い息がほどける午後に、静かな星の夢を紡いで―
――第3章、完。