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アンチューサ  作者: クロス
第3章:白い息がほどける午後に
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第四話「まだ歩けなくても、行ける場所がある」

 「今日は風が気持ちいいね」


 


 そう言ったユリの頬に、やわらかな風が触れた。

 リハビリのあと、アスターに付き添われて外へ出たのは久しぶりだった。


 


 花の香りがする。

 土のにおいもする。

 風が葉を揺らし、どこかで鳥が鳴いていた。


 


 「……歩いたっていうより、立っただけ、かな」


 


 そう呟くユリに、アスターは隣で腕を組んで言う。


 


 「十分すごいだろ。初日で立ったやつなんて、あの病院にいたか?」


 


 「……ふふ、いないかも」


 


 「だろ?」


 


 アスターは笑わずに言うけれど、どこか得意げだった。

 それが妙におかしくて、ユリは小さく笑った。


 


 ふたりは舗装された小道を抜け、少し先にある古い木の下にたどり着く。

 そこは、昔――まだふたりが子どもだった頃、よく来ていた場所。


 


 「懐かしい……ここ、まだ残ってたんだね」


 


 「手入れされてた。誰かが守ってたんだろ」


 


 ユリはゆっくりと車いすを停めると、

 ふとアスターの方を見た。


 


 「覚えてる? 昔ここで、あなたが木に登ろうとして、

  足を滑らせて私の膝の上に落ちてきたの」


 


 アスターはちょっとだけ目をそらしながら言った。


 


 「……ああ。……オレの落下がきっかけで、お前が笑ったんだよな」


 


 「そう。あのとき初めて“心から笑えた”って、自分でもわかったの。

  病気のことも、車いすのことも、全部忘れてた」


 


 アスターは言葉を探して、そして言った。


 


 「これからも……そういう時間を作ってやりたい。

  お前が“忘れられる時間”を。

  辛いことも、悲しいことも、全部後ろに置いて、ただ笑える時間を」


 


 「……ありがとう、アスター」


 


 ユリは静かに頷く。

 そして、ポケットから小さなペンとメモ帳を取り出した。


 


 「ねえ、ひとつお願いがあるの。

  今この瞬間を、言葉にして、覚えておきたいの。

  “歩けなくても行ける場所がある”って、そう書いておきたい」


 


 アスターはちょっと恥ずかしそうに言う。


 


 「オレの名前は入れんなよ?」


 


 「うん、分かった。

  “赤いフードの優しい狼”って書いておくね」


 


 「だからそれが名前だろっ!」


 


 ふたりは笑い合った。

 午後の陽ざしが、葉の隙間から差し込む。

 風が吹き抜け、ページをふわりとめくった。


 


 そのページに残された言葉――


 


 > 「まだ歩けなくても、行ける場所がある。

 >  それはきっと、誰かと一緒にいる場所」


 


 ユリはペンを置いて、空を見上げた。


 


 「……わたし、きっと歩けるようになるよ。

  だって、アスターが隣にいるんだもん」


 


 「約束だな」


 


 「うん、約束」


 


 ふたりの指が、そっと絡まる。


 


 歩けなくても、立てなくても。

 この日この時、この場所は――

 ふたりの未来の出発点だった。

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#アンチューサ #獣人 #群像劇 #記憶の物語 #友情と再会 #ヒューマンドラマ #近未来SF #静かな感動 #花言葉 #風と光 #感情の再生
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