第二話「君の声が咲く場所で」
昼過ぎの風は、柔らかかった。
ユリはアスターと病院からの帰り道、
ひとりで“あの場所”に立ち寄っていた。
花畑。
かつて、この地を守り続けた者――ライラックの庭。
白、黄色、青、紫。
どの色もやさしくて、どこか懐かしい。
車いすのブレーキを軽くかけ、
ユリは花の中に小さくため息を落とした。
「……やっぱり、まだ怖いのかもしれない。
歩くってことが。
このままの方が楽なのかもって、
どこかで、思ってる」
そのとき――
「それは、“悪いこと”じゃないのよ」
ふいに、花の香りに紛れて声がした。
静かで、やさしくて、どこか光を含んだ声。
風のように、草の葉が揺れ、
そこに立っていたのは――ライラックだった。
「……ライラックさん……!」
白い耳、淡い髪、そして変わらない微笑み。
ユリは目を見開いて、声を震わせる。
「ほんとに……戻ってきてたんだ……!」
「ええ。あなたとアスターくんが無事だって聞いて、
すぐにお花の世話をしに帰ってきたの。
――この庭、まだあなたを待っていたから」
ユリの頬に、そっと風が触れた。
「わたし……今、ちょっと迷ってて……。
前に進むのが、すこし怖いの」
ライラックはゆっくりとしゃがみ、
ユリと視線を合わせた。
「ねえ、ユリちゃん。
花ってね、誰かが『綺麗だね』って言ってくれることで、
咲く勇気を持つのよ」
「……え?」
「光が当たらなくても、雨に打たれても、
誰かの“優しさ”を覚えてるだけで、
また咲こうって思えるの。
ユリちゃんが今まで誰かに笑ってくれたように、
あなたも“優しさを受け取っていい”のよ」
ユリの目に、じわりと涙が溜まる。
「……わたし、アスターに笑っててほしくて、
ずっと“元気なふり”してたかもしれない。
本当は、自分の足で歩けないことが……悔しくて……悲しくて……」
ライラックは、そっと彼女の手を取った。
「その気持ちも、あなたの一部。
でもね、悲しみのあとに咲く花ほど、強くて、綺麗なのよ」
その言葉に、ユリは肩を震わせて泣いた。
風がそよぎ、花が揺れる。
まるで、ライラックの声が全体に響いているようだった。
「ありがとう、ライラックさん……
わたし……ちゃんと、咲いてみせる」
「ええ。きっと咲けるわ。
この場所で、もう一度あなたが立つのを――私も、花たちも、みんな待ってる」
やがてユリは、目を拭い、笑った。
その笑顔は、ほんの少しだけ昨日よりも強く、
でも変わらず、やさしかった。