表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アンチューサ  作者: クロス
第1章:雨の音が消えるとき
16/95

第十四話「目を閉じたまま呼ぶ声」

 パン屋「カランコエ」は、まだ開店前だった。

 外は小雨。石畳が濡れ、空気には焼きたてのパンと焙煎豆の香りが溶け込んでいた。


 


 だがその地下では、違う匂いが漂っていた。

 血と、機械油と、焦げた電子部品のような――戦場の匂い。


 


 「……これが、“アスターがいた部屋”だと?」


 ガルビネアが低くつぶやいた。

 テーブルの上には、ルピナスが持ち帰ったデータ端末。

 ホログラムが再現したのは、真っ白な空間。そして、血文字。


 


 「やつらは、“人格の書き換え”を試みていた。それも、獣人に対してだ」


 「そりゃあもう、人体実験どころの話じゃないね……」


 


 ガーベラは黙ったまま、地図の一点を睨んでいた。

 アスターが連れ去られた“その先”――だが今はまだ特定できない。


 


 「ルピナス。この先、どこへ連れてかれた?」


 「データの末端に“アナザーシェル”という暗号名が出てきた。

 コードごとに再配置されてるが、位置情報を“植物群コード”で管理してる」


 


 「植物群コード……“ライラックの座標体系”か?」


 


 ルピナスは小さくうなずいた。


 


 その瞬間――


 


 「……!」


 小さな呻き声が部屋に響いた。


 


 全員の視線が向いた先、ベッドに寝かされていたノヴァが、薄く唇を震わせていた。


 


 「……ア……ス……た……」


 


 ライラックがすぐに駆け寄り、そっと彼女の手を握る。


 


 「ノヴァ……!」


 


 彼女の額に再び汗が滲む。

 神経波は乱れ、まるで何かを“拒絶する”かのように反応していた。


 


 「苦しんでる……でも、これは体の痛みじゃない。“記憶が暴れてる”」


 「アクセスはしてないはずだ。記憶スキャンは切ってある」


 


 「違う。“外側”から何かが流れ込んでる……!」


 


 ライラックの瞳が微かに濡れる。

 彼女は、かすかに空気の“波”を感じ取っていた。


 


 「……今、どこかで、アスターが“自分じゃなくなりそう”になってる。

 それを、ノヴァが感じてる」


 


 「精神リンクか……? 完全に切れてるはずじゃ――」


 


 「ノヴァの中に、アスターの“感情の断片”が残ってる。

 ……心の端で、今も彼を見てるの。

 だから、彼が崩れると、ノヴァも壊れる」


 


 ノヴァが小さく震えながら、短くつぶやいた。


 


 「……“白い部屋”じゃない……“黒い部屋”に……落とされる……」


 


 ルピナスがすぐに端末を確認し、スキャンデータの中に“未解析領域”を発見する。


 「……あった。“暗号化された層”だ。ノヴァの記憶から直接アクセスする必要がある」


 


 「無理だ。これ以上、あの子の負荷を上げたら……」


 


 「――私が行く」


 


 ライラックの声が静かに響いた。


 


 「私の力で、ノヴァの意識に潜る。“植物の感覚”で彼女を守りながら……記憶の中のアスターを見る」


 


 ルピナスが目を見開いた。


 「……危険すぎる。幻覚と現実の境界が崩れるぞ」


 


 「それでも、今ここで繋がなきゃ、もう彼は“戻れない”」


 


 ガーベラが黙ってうなずいた。


 


 「行ってくれ、ライラック。……お前の“やり方”を信じる」


 


 ライラックはノヴァの隣にそっと腰を下ろし、

 静かに手を重ね、目を閉じた。


 


 まぶたの向こう、ノヴァの記憶と繋がった瞬間――


 


 そこには、ひとつのドアがあった。


 重く、黒く、何も書かれていない扉。

 その向こうから、ひとつだけ名前が呼ばれていた。


 


 「……ユリ」


 


 それは、アスターの声だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
#アンチューサ #獣人 #群像劇 #記憶の物語 #友情と再会 #ヒューマンドラマ #近未来SF #静かな感動 #花言葉 #風と光 #感情の再生
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ