第十話 燃やそう! デザンの家!
「ちょちょちょちょちょ、リィン殿! 止まって下さい!」
「なるほど! あそこのちょっと高い位置は、富裕層の住宅街か何かなのか! これは燃やし甲斐がありそうだ!」
はははと爽やかに笑いながら、リィンはズンズンと王都の石畳を踏み付けるようにして歩いて行く。
彼の周囲では準備運動のように火花が瞬き、いつ狐火が燃え盛ってもおかしくない雰囲気を醸し出している。
私は、そんなリィンの着物の袖を掴んで制止しようとしているのだが、全く止まる気配が無い。
――デザンの家を燃やしに行く。
そう言い放った瞬間、私は思わずポカンとしてしまった。
言っている意味がわからなかったのだ。
そして一瞬の後、きっと、彼は私に気を使ってそう冗談を放ったのだと、そう解釈した。
「ええ、燃やしてやりたいくらいですよ」と吹き出しながら答えると、彼はその顔に笑顔を湛えたまま「じゃあ行くか!」と歩き出したのだ。
そこで、私はやっとわかった。
あ、冗談じゃない。
本気で焼く気だ、と。
「ストップストップ! リィン殿、待って下さい! 燃やさなくていいです! いいですから!」
「おや、何故だい?」
そこで、懸命に叫んだ私の声がやっと届いたのか、リィンは足を止める。
ぜぇぜぇと肩で息をする私に、キョトンとした目を向けてきた。
「君の仕事を奪い、王都にいられなくし、しかも事もあろうに君に対する侮辱的な噂話を流した相手じゃないか。丸焼きにされて当然の男だろう」
「そ、それは全く完全にその通りなのですが……!」
さてどうする……やはり神様だから、人間の常識は通用しないのか。
そりゃ、燃やしてやりたい気持ちは当然ある。
だが、だからといって本当にやってしまえば大罪だ。
王都の上流階層居住区に火を放ち、もしも死傷者など出たなら……国中が黙っていないだろう。
私もリィンも、お尋ね者だ。
「と、ともかく……一旦落ち着きましょう、リィン殿」
「私は落ち着いているよ」
リィンの目は恐ろしいほどに変わらない。
全く感情が窺えない。
不届き者に罰を与える神様は、これくらいの感覚なのだろうか……。
「リィン殿……その……恐らく、私に気を使って下さっているのですよね? ですが、何もそこまでしていただく必要は……」
「当然のことだろう」
依然、リィンは真っ直ぐ、私を純粋な目で見詰め続ける。
そして、言う。
「私にとって、君は最早特別な存在だ。そんな君が、これだけ傷付けられている。その男を放っておく気にはなれない」
「………」
「さ! 気を取り直して、燃やそう燃やそう!」
そんなキャンプファイヤーじゃないんだから……。
などと、軽口を叩いていられる状況ではない。
なんとかリィンを納得させて、止めないと。
私は考える。
思考する……。
「……やはり、止めましょう、リィン殿」
私は、再び意気揚々と歩き出したリィンの背中に、そう言う。
「何故? 我慢する必要は無いよ。もしも、君に何か被害が訪れるような事があれば、今後は私が絶対に守ると約束しよう」
「王都の上流階層居住区に放火するなど、大罪も大罪。もし発覚すれば、私もあなたもこの国中のお尋ね者になってしまいます。そうなっては、あの山で暢気に暮らす事も出来ません」
「あの山に敵が踏み入ったなら、その瞬間私の力で全て蹴散らしてみせるよ」
「確かに、リィン殿の神のお力は頼りになります……しかし、お尋ね者になれば、私は二度と人前に出られなくなってしまいます。王都は愚か、この国のどの町にも訪れる事が出来なくなってしまう……それは、絶対にダメなのです」
「何故だい?」
「それは――」
私は腕を振り上げると、横に真っ直ぐ腕を突き出す。
ビッと伸ばした指先が向けられた先にあるのは――書店。
「町に来られなくなってしまえば……私が何よりも愛する書物! ランスロット様の英雄絵物語の続刊が読めなくなってしまいます!」
「ら、ランスロット様の……!」
そう。
ランスロット様の英雄絵物語は、今なお続く人気シリーズ!
私にとっては、生涯の愛読書!
「リィン殿も知っているはずです! 私にとって、最推しのランスロット様! その物語の続きが読めない事が、どれだけ酷な事かを!」
「……それは一大事だ!」
リィン殿も納得してくれたようだ。
周囲を瞬いていた火花が、静かに消えていく。
「それに、町にこれなくなってしまえば、今日のように食材を調達する事も難しくなってしまう。山の幸は豊潤ですが、それではイナリズシを食べられなくなってしまいますよ」
「……なるほど。背に腹は代えられないな。私の怒りは、君の顔に免じて一旦内に仕舞い込むことにしよう」
ふぅ――と、リィンは嘆息を漏らす。
よし、これで大丈夫そうだ。
「ところで」
そこでリィンが、先程私が指さした書店の方を見る。
「シルフィアは、ランスロット様の新しい物語を読みたいのだったよね」
「はい」
「あの店先に並んでいる、『王国騎士ランスロットシリーズ最新刊、ランスロットの凱旋』は、既に買ったのかい?」
「……なんですと!?」
私は即座、書店へと駆け込む。
本当だ!
王国騎士ランスロットシリーズの最新刊が出ている!
私が王都を離れている間に、もう出版されていたとは!
不覚! ランスロット様ファンとしてあまりにも不覚!
「しかし……待望の最新刊だ! これでまた生きる気力が充足される!」
「そこまで好きとはねぇ」
光の速さで新刊は購入。
天に掲げてありがたかる私を見て、リィンは面白そうに微笑んでいる。
「君が嬉しいなら、私も満足だよ。そろそろ、山に帰ろうか」
「ええ」
よかった、機嫌は治ったようだ。
私はリィンと共に、来た道を戻ろうとする。
――そこで、私達の横を走り去っていこうとした馬車が、停車した。
「……シルフ? まさか、シルフなのか?」
すぐ真横で停まった馬車。
その窓から、一人の男が驚いた顔で私を見下ろす。
「……勘弁してくれ」
デザンだった。
……何てタイミングの悪い。
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