8.初めての授業 ( 3 )
割れてしまった卵を見つめる。
困ったわ。すばしっこく動く上に、逃げないよう力を込めて捕まえると割れてしまうなんて……。
こうしている間にも時間は過ぎていく。何か方法はないかと思案していると、ふと背中に感じる重み。私としたことが、リュックの存在をすっかり忘れていた。『必要な物はリュックに入っている』と先生が言っていたはず。
急いで背中からおろし、中身を確認する。入っていた物はたった四つ。食事と水。転移直前に説明された避難用の札。そして袋が一枚。捕まえた卵はこの袋に入れろ、ということのようだ。
本当に最低限の物しか入っておらず、一瞬見えた希望の光はすぐに消えてしまった。
「どうしたらいいのかしら」
物には頼れない。頭を使うしかないわね。ゆっくりと息を吐き、以前に読んだウィキッド・エッグの記述をできる限り詳細に思い出す。
ウィキッド・エッグ。力は弱く、魔法も使えない。卵に手足が生えただけの魔道具。ただその性格は厄介で、物を隠したり、汚したり、地味な嫌がらせのようなことをしてくる。捕まえようとすると、小さな身体ですばっしこく逃げるため、まともに相手をするととても面倒。
悪戯に使用されるケースがほとんどで、何とも悪趣味な魔道具だ。誰が卵に魔法を込めようと思ったのだろうか……。
一度取っ掛かりを見つけると、本に書かれていた内容がスラスラと思い出せる。確か、捕まえ方についての記載もあったはず。
捕まえる方法は三つ。
一、粉薬を使用する。粉の効果で痺れさせたり、眠らせることができるが、これには薬草が必要となる。
二、卵を温める。卵の性質なのか、人肌程度の適温に温めると落ち着き、動きが鈍くなる。しかし、適温を超えると逆に逃げ出してしまう。調理されると勘違いするらしい。
三、驚かせる。これは逆の発想で、卵をびっくりさせるとその衝撃で元の姿に戻るという。
辺りを見回すが、薬草は生えておらず、粉薬を使用する方法は難しそうだ。とすると、残るは温めるか驚かせるか。
温める……。落ちている枝や木の葉を使えば、焚き火を準備することはできそう。
「きゃはははは」
「ウィキッド・エッグ!」
卵の楽しそうな笑い声が聞こえる。ちょうど近くにいるみたいだ。よし、次は温める作戦を試してみよう。
そこら辺に落ちている枝を集め、ちょうど良い長さに折って重ねていく。一緒に木の葉も集め、より火が広がりやすいよう枝の合間に入れる。こんもりとした枝の山ができあがったら、その前に座り、魔法で小さな火を出した。火は枝から枝へと少しずつ広がっていく。合間にある木の葉が、その橋渡しの役割をする。魔法で出した小さな火が、ゆっくりと広がり焚き火が完成した。
火の魔法は少し苦手なため、これくらいの小さな火で何とかなって良かった。
魔力を持つ者であれば、簡単な魔法は基本的に属性関係なく使用することができる。しかし、魔力量や相性による得意不得意、中には発動できない魔法もあったりする。
私の場合は、風魔法が得意で炎魔法が苦手だ。炎系の魔法は魔力を多く消費するし、コントロールが難しくとても疲れてしまう。もし火力を必要とする演習だったら、より苦戦を強いられていたことだろう。焚き火程度の火力で良かった。
目の前の火はパチパチと小気味良い音を奏でている。先ほどまで近くで聞こえていた小走りな足音と、笑い声はいつの間にか止んでいた。
どこに行ったのかと見回すと、焚き火の音につられたのか、卵は自ら焚き火へとてくてく近づいてきていた。また追いかけると逃げ出してしまうので、私は動かず、焚き火の前に座っている。横目に卵の動向を見ていると、焚き火の前まで来ると『わー!』と声をあげていて、不覚にも可愛いと思ってしまった。
わたしと同じように焚き火の前に座った卵は、炎をじっと見つめている。それから数分、卵がゆらゆらと揺れだした。火の温かさが心地良いのか、うとうとしているようだ。そして、そのままコロンと転がり動かなくなった。
「捕まえた」
起きる前に早く袋に入れてしまおう。リュックから袋を取り出し、眠ってしまった卵を入れる。すると、生えていた手足がすっとなくなり普通の卵に戻った。一度袋に入れれば、もう逃げ出す心配は無いようだ。たまたま視界に入った腕時計を確認すると、既にけっこうな時間が経っている。
「二時間経って、やっと一個目だわ」
たったの一個ではある。しかし、逃げられたり、割ってしまったりと苦戦し続けた末の一個は、私に大きな達成感を覚えさせた。
この方法でもう一個……!そう意気込んで、次の卵へと気持ちを切り替えた時だった。
ドスン……ドスン……!
どこからか、大きくて重たい足音が聞こえた。足音は徐々に近づいて来ているようで、足元の地面まで振動している。
音のする方へ目を向けると、遠くから何かがこちらに向かって走ってきているのが見えた。
ドスンドスンドスン!!!
激しい足音とともに現れた何かは、近くまで来てやっと正体が分かった。
「イノシシ!?」
私の背丈以上もある巨大なイノシシがこちらに向かって走ってきている。このままでは潰されてしまう。逃げないと。そう思っているのに、怖くて足がすくんでしまう。
もうイノシシの鼻や牙までしっかりと見える。それほどの距離しかない。
ぶつ……かる……ぶつかる!
これから来るであろう衝撃を覚悟し、目を強くつむる。
「止まれーーーーーーい!!」
大きな声が森に響き渡る。
恐る恐る目を開けると、目の前のイノシシと目が合った。ひっ、と声にならない声をあげる。
どうやら、イノシシは私に激突する直前で停止してくれたようだった。響き渡った声のおかげだろうか。あの声、聞き覚えがあるような。でもどこから?
周りを見渡すが、目の前のイノシシ以外に生き物の気配はない。確かに人の声がしたのに。
「セレーネ!!」
今度は上から声が降ってきた。焦って見上げると、イノシシの背中からぴょこっと赤い髪の毛が姿を見せる。
赤い髪。あの大きな声。もしかして……。
「クラーク君?」
「会えて良かったー!」
より身体を傾け、完全に顔が見えるようになったクラーク君は、満面の笑みでこちらを見ている。その顔を見ると、何だか急に安心してしまい、足の力が抜けその場に座り込んでしまった。
突如始まった演習。薄暗い霧のかかる森。そして巨大なイノシシ。自分では意識していなかったが、私の精神はだいぶ追い込まれていたようだ。
「だ、大丈夫か!」
「良かったぁ……」
知っている人の顔を見て、緊張の糸が切れてしまった。
「セ、セレーネ!?ななな泣くな!!」