5.先輩
窓から差し込む朝日で目が覚める。ベッドから身体を起こし、思い切り背筋を伸ばした。どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、とても清々しい朝だ。
ギヴァルシュさんはまだ寝ているようで、カーテンの向こうからは小さな寝息が聞こえる。時計を見ると授業まではまだまだ時間がある。私はギヴァルシュさんを起こさないよう、静かに登校の支度をした。
今日から授業が始まる。どんなことを学べるのか、期待に胸が膨らんだ。
ゆっくりと登校準備を済ませ時計を確認すると、そろそろ起きないとまずい時間に。今から起きて、朝ご飯や身支度をすると思うと、だいぶ急いで準備をしないといけなくなる。だが、未だにベッドから出てくる気配の無いギヴァルシュさん。起こした方が良いかしら……。
悪いと思いつつ、ベッドの方をちらっと覗き見る。ギヴァルシュさんは、それはそれは気持ち良さそうに寝息をたてていた。
申し訳ない気持ちはある。しかし、このままでは授業初日から遅刻してしまう。迷いに迷ったが、私は心を鬼にして起こすことを決めた。
「ギヴァルシュさーん」
声をかけるも、反応無し。
「ギヴァルシュさーん!」
先ほどよりも大きな声で呼びかけてみたが、依然反応無し。もう最終手段に出るしかないようだ。二段ベッドの階段を登り、寝ている彼女の真横まで近寄る。
「ギヴァルシュさん?」
今度は身体を軽く揺さぶりながら声をかけてみた。これはさすがに効果があったようで、やっと反応してくれた。うーん、とまだ半分寝ぼけている声を出しながら、目を少し開き、こすっている姿はとても可愛らしい。
「あの、そろそろ準備しないと遅刻しちゃいますよ?」
「!!!」
ガバっと勢いよく起き上がったギヴァルシュさん。時計を見ると、声にならない声をあげて大急ぎで準備を開始した。歯ブラシやら、フェイスタオルやらを片手に洗面所へ向かいかけたが、部屋を出る直前でピタッと停止する。
くるりと振り返ると私の方を見て、ぺこりとお辞儀をする。そして、今度こそ洗面所へと駆け出していった。まぁ。なんてかわいいんでしょう。
ギヴァルシュさんも起こせたことだし、そろそろ朝ご飯を食べてから登校しようかしら。朝ご飯は、昨晩の夕飯同様に寮内の食堂に準備されているはず。登校用の鞄を持ち、食堂へと向かった。
食堂に入ると、鼻腔を満たす美味しそうな香り。うわあ、やっぱり朝食もとても美味しそう。
並べられている食事を見ると、サラダや、パン、フルーツ等、豪華な朝ご飯が準備されている。中には持ち運べるよう包んであるパンもあり、私はちょっと悩んだ末にこれを一つ手に取った。今日はせっかく時間があるので、学園内を探索も兼ねて、どこか良い場所があれば外で朝ご飯を食べよう。
広い学園の中で、ぱっと思いついたのは昨日教室の窓の下に見えた庭。しかし、着いてみるとここは人気スポットのようで、既にベンチは学生たちで埋め尽くされていた。
どこか良い場所はないかと、庭の奥の方へと進んでいく。校舎からは離れてしまうが、まだ授業が始めるまで余裕があるので問題ないだろう。歩いていくにつれて、だんだんと人気がなくなってくる。庭の奥の方にベンチは無く、代わりに日当たりの良い芝生を見つけたので、そこに座って食べることにした。
あまり朝露で湿っていなさそうなところを探して辺りを見回していると、ふと目の前を横切るハンカチ。ひらひらと風に乗って舞い降り、綺麗に開かれた状態で座ろうとしていた場所に着地した。
ハンカチ……?
「良かったら使っておくれよ」
制服姿の男性が微笑みながら立っていた。朝日を受け、少し透けるような透明感のあるグレーの髪が、風に吹かれてふわふわと揺れている。
「えっと……」
「あぁ、ごめんね。敷くものが無いみたいだったから、つい」
「汚れてしまいますよ、ハンカチ」
私の言葉に、一度目をぱちくりする彼。
「そんなこと気にしないで大丈夫!さ、授業始まっちゃうから食べよう!」
そう言うと、敷いてあるハンカチの横に腰掛け、持っていたパンを食べ始めた。ダリア、クラーク君に続いて……。この学園に人見知りという言葉は存在しないのだろうか。
ここまでしてもらって、断る勇気もない。お言葉に甘えてハンカチの上に腰をおろした。
「僕、二年生のルイ・ブランシャール。ほら、ネクタイの色が青色でしょ?」
と、自分のネクタイを持ち上げて見せてくれる。あまり気にしていなかったが、確か昨日学園を案内してくれたデカルト先輩も青色のネクタイをしていた。イーストウッド先輩は……何色をつけていただろうか。
「あれ?もしかして知らない?君たち一年生は赤。僕たち二年生は青。そして三年生の先輩方は紫色のネクタイなんだよ」
私が怪訝な表情をしていたためか、学年別で色の決まりがあることを優しく教えてくれるブランシャール先輩。
「なるほど。そうなんですね。ありがとうございます」
言われてみれば、イーストウッド先輩は紫色を付けていた気がする。
「そうだ。君の名前は?」
「セレーネ・オルセンです」
「セレーネちゃんで良いかな?」
やはり、この学園には人見知りは存在しないようだ。誰も彼もコミュニケーション能力が高すぎる。
「はい」
「じゃー、僕たちの出会いを記念して特別に!」
何やら呪文を唱え始めた先輩。呪文に呼応するように、周りの芝生についていた朝露がふわっと空気中に舞い上がる。少しの間浮いていたかと思うと、今度は水しぶきをあげたかのように消えていった。同時に何かがキラッと輝き、眩しさに目を閉じる。ゆっくりと目を開くと、私たちの前に小さい鮮やかな虹がかかっていた。
「わぁ!!」
「喜んでもらえたみたいで、良かった」
先輩の方を見ると、ふんわりと満足そうに微笑んでいた。
ゴーン
校舎の上にある、大きな鐘が鳴り響く。
「あ、鐘が一回鳴ったってことは、授業開始の十五分前だね。そろそろ教室へ向かおうか」
先に立ち上がった先輩が、手を差し伸べてくれる。ためらいながらも、その手をそっと取り、立ち上がった。
「これから初授業だよね。最後まで諦めないでね!健闘を祈ってる!」
「え?」
先輩は一度振り返り、答える代わりにニコッと微笑んだ。
「じゃ、またね!」
そう言い残し、走り去っていく先輩。
健闘を祈る……?
「あ!」
座っていたところを振り返ると、置きっぱなしになっているハンカチ。
返しそびれてしまった……。でも、汚れちゃっているし、一度洗ってから返すのが礼儀かしら。むしろちょうど良かったのかも。
拾い上げたハンカチを軽く払う。綺麗折りたたんでポケットにしまい、教室へと向かった。