未来予知
「私は未来予知ができるんだ」
パタン、と音を立てながら本を閉じた後、不意に佐々木先輩が僕にそう告げた。あまりにも唐突な告白に僕は言葉を失い、文芸部の部室に沈黙が流れる。
「……未来予知、ですか?」
「ああ、そうさ。どれ、君の未来を視てやろう」
確認するように絞り出した言葉に対し、佐々木先輩はクスクスと笑いながら立ち上がって僕の前に立つ。背が高く、学校一の美貌を持つ彼女に見下ろされ、たったそれだけで僕の心臓は情けないことにドキリと跳ねてしまう。
「ふむ……ふむふむ」
ジロジロと何かを探るように僕の周囲をグルグル回った先輩は面白そうに笑い、再び正面に立ってこちらを指さした。
「明日、傘を持ってきなさい。きっと、あなたの想い人と相合傘ができるでしょう」
「……」
申し訳ないが、彼女の未来予知を聞いて思わず、『天気予報かな?』と思ってしまった。だが、今朝のニュースでは明日の天気は快晴だと言っていたはず。
「さて、信じるも信じないもあなた次第。君はどうする?」
クスクスと笑う先輩を見て僕は傘を持ってくることを心に誓った。先輩のことが好きだから相合傘してアオハルしたかったのである。
「……めっちゃ晴れてんじゃん」
次の日の放課後。夕暮れになるまで待ったが、先輩の予知は外れてしまい、先輩と相合傘はできなかった。
「昨日はすまないね。ちょっと調子が悪かったようだ」
「……いえ、気にしないでください」
次の日、部活の時間で先輩は笑いながら形だけの謝罪を口にする。まぁ、荷物が増えただけなので特に被害を受けたわけではない。少し残念だっただけだ。
「今日こそは当てよう。どれどれ……ほほう? これはこれは」
「どんな未来が視えたんですか?」
「今日、この後、校舎裏へ行くといい。あなたは想い人に告白されるでしょう」
それは遠回しの告白ですか? 僕の想い人はあなたなのであなたが告白することになりますけど。
「さて、信じるも信じないもあなた次第。君はどうする?」
「……行ってきます」
「うんうん。素直な君は好きだぞ」
僕もあなたのことが好きですよ。だから、一緒に校舎裏に行って告白してください。速攻オッケー出すので。
結局、日が暮れるまで待ったが先輩は姿を現すことはなかった。
「おかしいな。はっきりと君の想い人と君がラブラブちゅっちゅするところまで視えたのだが」
「ぜひ、ラブラブちゅっちゅしたかったですね。残念です」
次の日の放課後、首を傾げながら僕を見つめる先輩に対し、思わずため息を零した。そもそもどうして先輩は僕に想い人がいることを知っているのだろうか。未来予知で知った? なら、それが自分だということも一緒に視て欲しかった。
「さて、今日の予知だ……ほー、なるほどなるほど」
「どんな未来だったんですか?」
「今度の土曜日。駅前のベンチに座っていなさい。駅から出てきた想い人と出くわしてそのままデートができるでしょう」
「……」
この前、見たことないほど嫌な顔をしながら『電車というものに乗ったことがないし、これから乗る気もない』とはっきり言っていたのは僕の記憶違いでしょうか。
「お? おお? これはこれは……喜べ、少年。君はその日、大人の階段を登るであろう」
「駅前で待ちます」
「素直な君は好きだぞ」
さーて、その日は色々清潔にしていかないとな。念入りに支度をして朝早くから駅前で待たなければ。
土曜日、先輩が駅に姿を現すことはなかった。その日の夜、僕は涙で枕を濡らし、精神的に一つ、大人の階段を登ったような気がした。
「どうだったかい? 土曜日はお楽しみ……ではなかったようだね」
「僕の12時間を返してください」
「……それはちょっと引いた。だが、確かにお詫びが必要だな。さて、今日の予知の時間だ」
月曜日の放課後、いつもの先輩の予知が始まる。むむむ、と念を込めるように両手をうねうね動かしている彼女は少しだけ可愛かった。
「ほー、これはまさかの結果が出たぞ」
「どんな結果ですか?」
「明日のお昼休み、文芸部室で昼食を取れ。あなたは想い人と甘いひと時を過ごせるでしょう」
「……先輩っていつもどこでお昼ご飯食べてます?」
「学食だが?」
もう、駄目じゃないですか。いきなり、先輩がお弁当を持ってきて文芸部室で食べるわけないじゃないですか。
「あー、でも、明日はどうしようか。久しぶりにお弁当でも持ってこようかな」
「ここで明日、お昼ご飯を食べるので部室の鍵を貸してください」
「素直な君は好きだぞ」
ええ、僕もあなたのことが好きですよ。だから、明日、一緒にお昼を食べましょう。
「え? 佐々木? 今日、休みだけど」
「……」
次の日のお昼休み。佐々木先輩を訪ねて彼女の教室に行ったが、家の事情で学校を休んでいた。このお弁当、どこで食べよう。せっかくだし、部室で食べようかな。
「昨日は……駄目だったようだね」
「ええ、そうですね」
「……本当に私の予知通りに行動しているのかね? ここまで外れると私が嘘を吐いているみたいじゃないか」
そういう遊びではなかったのでしょうか? 思春期真っただ中の男子高校生の純情を弄んでいるだけなのかと。まぁ、先輩が楽しそうなのでそれに乗る僕も僕なのだが。
「では、今日の予知をしよう……お? この後、少しの間、この部室で待機していれば――」
「――あ、ごめんなさい」
先輩の予知を聞いている最中に着信音が部室に鳴り響く。どうやら、ポケットの中に入れている間に偶然にもマナーモードが切れてしまったらしい。マナーモードにするついでにスマホの画面を見れば妹からだった。こんな時間に珍しい。何か急用だろうか?
「すみません、ちょっと電話出ますね」
「あ、待て。私の話を――」
「――え? あ、もしもし? どうした?」
どこか焦ったような様子の先輩を見て慌てて指を止めようとしたが、間に合わずに電話に出てしまった。こうなってしまっては妹の話を聞くしかない。心の中で先輩に謝りながら妹の話を聞くと今日、両親が遅くなるから晩御飯の準備をしなければならなくなってしまったようだ。妹は料理ができないので僕が用意するしかない。今から買い物をすると考えるとすぐに向かわなければならなそうだ。
「先輩、すみません。家の事情で今日の部活はおやすみしますね」
「あ、駄目。待って。少し話を……」
「予知は明日、聞きますので。では」
何故か、顔を青ざめさせている先輩に頭を下げた後、そそくさと帰る準備をして部室を出る。先輩には悪いが今日は未来予知ごっこには付き合えない。学校の廊下を駆け足で進み、校門を出た。さて、最寄りのスーパーは――。
「――成田君!」
「え?」
校門前の横断歩道を渡っている途中でドン、という衝撃が背中に走った。ぐるりと世界が回転し、ゴロゴロと地面を転がる。
そして、凄まじい轟音とぐしゃりという日常では聞き慣れない肉の潰れる音が耳に届いた。
「……え?」
体を起こしてまず目に入ったのは夥しい赤い何か。まるで、ハリウッド映画で見るような真っ赤なカーペットが道路を塗装していた。
「せ、んぱい?」
自然とカーペットの先を追い、終点で転がっていたのは見るも無残な佐々木先輩の肉だった。フラフラと立ち上がって歩み寄り、見下ろす。その途中で空気を裂くような女の子の悲鳴が聞こえた。
『女の子が轢かれたぞ!』
『救急車!』
『誰か先生呼んできて!』
そんな声が遠のいていく。そして、それと反比例するように微かであるはずの先輩の呼吸音が大きくなっていった。
「ごっ……はは。また、駄目だったか」
「何、言って……先輩、僕を庇って……」
ごぼり、と口から血の塊を吐き出した後、先輩は奇跡的に残った口でそう言葉を零す。ああ、駄目だ。思考が回らない。目の前が少しずつ暗くなっていく。だって、先輩は僕のせいで――。
――私は未来予知ができるんだ。
「ぁ……」
不意に浮かんだその言葉で僕は何もかもを理解した。
佐々木先輩は未来予知ができるのではない。
そんな生易しい物ではない。彼女は――。
「さすが、わ、たしの後輩だ……かなら、ず、その答えにいき、つく」
「せん、ぱい……」
「あーあ……相合傘、した、かった。こ、くはく……したかった。デート、したかった。甘いひと時を過ご、したかった」
そう言いながら先輩は一筋の涙を流し、すぐに赤と混ざり、どこかへ消えてしまった。
「でも……そうすると、君が死んでしまう。何度も、何度も、何度も……死んでしまうんだ」
「先輩、もう喋らないで! 傷が……あ?」
少しでも出血を抑えようと彼女の体を両手で圧迫するが、その直後、彼女を中心に空間が歪み始める。何が、起きて?
「どうやら……神は歪みが、嫌いな……ようでね。タイムリープに気づくとす、ぐに……なかった……ことにするんだ」
それがタイムリープの原因。どういうわけか佐々木先輩は過去の記憶を保持できるらしく、それに他人が気づくと強制的にやり直しさせられる。
「だ、から……それ、を……利用して、何度も、やり直して……るんだ。最近だと、君の……代わりに私が……死ねるように……なった」
「そんな……」
「じゃあ、また……いって、くるよ。でも、ちょっとしんどいから……応援して?」
ボロボロと泣きながら笑う先輩に僕は何もできない己の情けなさを呪った。きっと、先輩は何度も、何度も、何度も、何度もやり直してその度に僕が死んで、悲しんで、やり直しして、また死んで。
その過程で『未来予知』という嘘を思いついた。僕の行動を制限することで少しでも僕が生き延びる未来を掴もうとした。僕に先輩がタイムリープしていると悟られないように。
「先輩……」
先輩の周囲に発生した空間の歪みが酷くなっていく。本能でわかる。もう時間がない。こうなってしまった以上、僕にできることは何もない。出来ることといえば――。
「――好きです、先輩」
「――ああ、私も大好きだぞ、成田君。私、頑張ってくるね」
僕の言葉を聞いてクスクスといつもの笑みを浮かべる先輩。
そして、全てがなかったことになった。
いつもの時間、いつもの場所、いつもの光景。
文芸部室にペラリとページを捲る音が響く。10、20、30……126回。
「……」
パタリと音を立てて本を閉じた後、その音で顔を上げた成田君に私はいつものようにこう告げる。
「私は未来予知ができるんだ」
さぁ、今日も嘘を吐こう。安心して君に想いを告げられるその日まで。