114 『パラドックスゾーン』
騎士団長・樹里阿野冶選琉努の持つ異名、『独裁官』はあらゆる領域を支配する政務官を指す言葉だった。
独裁者の語源とも言われ、絶対権力者の称号としてこれほど強い名前もないだろう。
それをジェラルド騎士団長は有している。
が。
「政務官には見えないが」
サツキがそう言うと、ジェラルド騎士団長は顔色一つ変えずに答えた。
「軍務も政務もすべて、我の手にある。ブロッキニオ大臣が貴様らに直接送り込んだ者共のことは我の知ったことではないが、クコ王女とリラ王女の奪還は我らアルブレア王国騎士団の使命だと思っている。二人を返してもらおうか。士衛組局長、城那皐」
「サヴェッリ・ファミリーなどというマフィアと手を組んで、そのクコを赤ん坊同然に人格を変えて危険にさらし、よく言う。それ以上に、クコが王国から逃亡してまでやらねばならないことがあり、そのために結成した士衛組だというのに。なにが奪還か。むろん、断る」
「答えは拒否か。それより、クコ王女の身に危険が及んでいるとは。看過できん。手を下したのはアルブレア王国騎士か?」
「え……?」
意外な問いかけに、サツキはかぶりを振った。
「シスター・ヨセファというサヴェッリ・ファミリーらしいが……」
「なるほど。のちに、サヴェッリ・ファミリーは懲らしめる必要があるようだ。そして、クコ王女が自らの意思で王国から逃亡したとは初めて聞く上、クコ王女自身の手で結成されたのが士衛組とは話が違う。ブロッキニオ大臣とは話し合いの場を作る必要があるようだな」
「話って……」
「だが、しかし。貴様らとの敵対は変わらない。事情を聞くにも及ばず。貴様らは絶対に我々にクコ王女を渡す訳がないと、容易にわかる。戦いによってしかクコ王女を我が手に招くことはできないだろう。覚悟しておくんだな」
「……」
ゴクリと唾を飲み、サツキは改めてハッキリとジェラルド騎士団長を一瞥した。
威圧感がすごい。
圧倒する力は、これまで相手にしてきたアルブレア王国騎士の比較にならない。
常人を射竦めるには充分過ぎる彼から視線を外して、再び横を見た。
――これほどの威風、相手にするのは《賢者ノ石》だけじゃ命がいくつあっても足りない。この人の側近だと言うだけあって、『瞳の三銃士』が強いのも納得だ。……が、ここは避けて通れない。ジェラルド騎士団長は、もしかしたら話せばわかってくれる人かもしれない。そんな可能性が頭をかすめた。しかし、それはクコがクコの言葉で直接語りかけたときだけだ。俺相手では、話し合いをしてくれそうにもない。この戦いは、もう始まってる。
サツキは小さく呼吸を整える。
そこに、ジェンナーロが声をかけてきた。
「まずはオレたち『瞳の三銃士』が相手になってやる。ジェラルド騎士団長が手を煩わせるまでもない」
「ですね、ボクの《消失点消失》に手も足も出ないんだから」
マサオッチがせせら笑うと、フレドリックが鋭く注意した。
「油断するな、マサオッチ。ヤツはすでに先程の傷もかなり回復している。底知れないなにかがあると思っておいたほうがいい」
「は、はい」
続けて、フレドリックはマサオッチに告げた。
「ワタシやジェンナーロさんが出る幕でもないかもしれないが、少しでもヤツの力に押されるようなら手を出させてもらう」
「わかりました」
ジェンナーロも「頼んだ」と言って、マサオッチ一人が前に進み出た。
サツキとしては、正直三対一にならずに助かった。
かといって、素直に喜んでもいられない。
まだ《消失点消失》の解析も終わっていなければ、対策すらも考えついていないのだから。
これ以上考える時間はくれなかった。
マサオッチが剣を抜き、駆け出した。
――あと何秒でここまで来るんだ。
めまい抑制のためにあまりマサオッチの方向を見ずにいたサツキだが、どれほどの速度で移動してきているのか、どこまで距離を縮めてきているのか、さっぱりわからなかった。
遠近感の失われたサツキがわかるのは、剣が振られたとき。
振られて初めて、斬られる直前だと理解できる。
気づいたときには手遅れになる時空間。
たったこれだけのことで生まれるパラドックスのような現実に、サツキは神経を尖らせるしかできなかった。
――来た。
マサオッチが剣を振る。
反射神経と経験で剣筋を見極め、サツキも抜刀した。
剣を押さえるための抜刀は、しかし空振りに散った。
マサオッチにとって、サツキの剣はまったくもって予想通りのことだったのかもしれない。すべて織り込み済みでの攻撃だった可能性が高い。
サツキの剣尖など読まれていた。
ひらりと、マサオッチの剣はサツキの剣をよけ、サツキの右腕に襲いかかったのだった。




