83 『カチューシャ』
グリエルモの申し出は衝撃的だった。
少なくとも、『ASTRA』であるジェラート屋の青年にはそうだった。
「本当ですか?」
疑い。
腑に落ちない。
半信半疑になる。
しかし一切を否定できないのは、「誘神湊くんの助言でね」という言葉があるからであり。
目の前にいるグリエルモがあまりに堂々としていて、それでいて敵対心がまったく見えないからだった。
このあと、グリエルモはミナトとの会話の仔細を話し、無事に『ASTRA』の取り次ぎを受け、「味方につくこと」を表面的には認められたのだった。
浮橋陽奈は腰に両手を当て、不機嫌そうにぼやく。
「で。なんであたしはこいつらといっしょなわけ?」
ヒナは、父の家を訪れた。
裁判を明日に控え、最後の挨拶をしてきたところだった。
明日の打ち合わせは済んでいるし、顔見せだけしたかったのだ。
しかしそのあと。
一人で歩いていたところで、世界が変わった。
文字通り、ガラッと変わった。
空間の入れ替えが目の前で起こり、ヒナのいた区画がどこか別の場所と入れ替わっていたのである。
「自分がどこにいるのかわからなくなってたのは、地動説証明のためのデータを集めていたときからずっとそうだった。世界を旅していたときから、ずっと。でも、これはさすがに意味不明だわ」
どこの景色が現れたのか、土地勘があるヒナにはうっすらわかる。
ただ、どこへと入れ替わったのか、正確なことがわからない。
何度も繰り返し入れ替えが起これば、原形を留めない。
元々どこにあった区画かはわかるけれど、今どこにある区画になったのかは予想もつかなかった。
ルービックキューブの面がバラバラになったように、元々の場所など関係ないのである。
そんな中で、ヒナが出会ったは二人のトリックスターだった。
「今日はなにかあるのかな?」
「なんだか、イベントっぽいよね!」
「お祭りか?」
「まさか?」
と言って、二人は笑い合っていた。
「なわけ……。サヴェッリ・ファミリーってマフィアの襲撃なんて、血祭りにしかならないっての」
ヒナの冗句も聞こえない二人は、観光気分でいびつなマノーラの街をカメラで撮影して楽しんでいる。
『トリックスター』明善朗と福寿笑。
『星降の妖精』とも呼ばれる不思議な二人組の男女だ。
年の頃はそろって十代半ばに見えるが、現在二十歳。次の一月で共に二十一歳になる。
若作りなのは性格もそうで、いつも純真な子供のように楽しそうにしていて、元気印のオレンジ色の半袖のパーカーと頭には日の丸が描かれたサンバイザーがトレードマーク。背は一六五センチほど。
アキがヒナを振り返った。
「おーい、ヒナちゃん」
「向こうにジェラート屋さんがあるよ!」
と、エミが指差す。
ちょうどスーツ姿の中年男性が去って行ったところであり、あまりに堂々としたオーラにヒナはつい耳を澄ます。
彼からは落ち着いた鼓動が聞こえる。
ヒナが頭にしているうさぎ耳のカチューシャは、《兎ノ耳》という魔法の媒介となっており、遠くの音や小さな音も拾えるのだが。
おかしな音はなにも混じっていない。
しかしただ者ではないと思えて足が止まる。
そのとき、男性の独り言が聞こえてきた。
「さあて。サヴェッリ・ファミリーの情報はすべて売った。このマノーラにかけられた魔法の正体も、その魔法を使ったのがだれなのかも。しかし、この密告は私が彼を気に入ったから。つまり、彼の手柄ということになるのかもしれないね。ね? 誘神湊くん」
男性の口から出てきた名前に、ヒナは思わず飛び跳ねそうになった。
「ミナト!? どういうこと!?」
読めない。
ヒナにはなにも解読できなかった。
予想外に重要なことを男性が口走った。
その事実がヒナを驚かせ、ミナトの名前が追い打ちになって、冷静さを欠いてしまったのだ。
――ちょっと待って! 落ち着いて。落ち着くのよ。
ぎゅっと、カチューシャのうさぎ耳を握った。
握ると音が遮断される。
完全に、とはいかないが。
ざわめきをシャットアウトできた。
世界に溢れていた音の波が小さくなり、あまりに優れた聴覚の鈍化は静寂に似た落ち着きをもたらし、ヒナに思考を巡らせる隙間を与えた。
ふう、とひと息つく。
――あいつ……情報を売るとか、密告とか言ったわよね。てことは、サヴェッリ・ファミリーを裏切ったってこと?




