120 『リウォーディングチャット』
治療が始まって五分もすれば、メフィストフェレスはその仕事を一旦終えて、使っていないテーブルに腰掛け休んでいる。ミナトもサツキの腕を見ることをやめ、メフィストフェレスと雑談していた。
「へえ。城那皐くんの世界というのは魔法がないのか。それはおもしろい」
「科学の発展した世界だそうで」
「キミのおかげで、彼に聞きたいことがどんどん増えてゆくよ」
その間、ルカはじっとファウスティーノの治療を観察していた。
どれくらいそうしていたか、レオーネが現れた。急にファウスティーノの目の前に出現して、穏やかに微笑んだ。
「やあ。ファウスティーノ」
「早かったな。まだ十三時の十分前だ」
「オレとロメオの出番が十三時だからね。その前にミナトくんを迎えに来ようかと思って。次の試合があるし、食事は早いほうがいい。コロッセオに戻ろう、ミナトくん」
「どうするのだ?」
ファウスティーノがミナトを振り返る。
ミナトはメフィストフェレスを見てから、レオーネに向き直った。
「おしゃべりが楽しい相手もいますが、僕がここにいてもサツキのためにしてやれることはない。試合に備えて、戻って食事をいただきます」
「わかったのだ。治療が必要なときはいつでも来ればいい」
「はい。ありがとうございます。サツキのこと、お願います。ルカさんはどうします?」
水を向けられ、ルカは答えた。
「私は残るわ。サツキについていてあげたいし、治療も見ていきたいから」
「そうですか。ルカさんもサツキのこと頼みました」
「任せて」
そして、メフィストフェレスは残念そうに肩をすくめた。
「寂しいよ、もっとおしゃべりしたかったのにさ。でも、キミと話せたのはボクにとってかけがえのない素晴らしい時間となった。感謝する」
そう言って、メフィストフェレスはミナトの胸に人差し指を当てた。
「?」
「これはサービス。毒をもって毒を制す、とも言うしね。少し中和したようなものだから、結果だけ見るなら時期を遅らせたに過ぎない。今大会、キミは傷一つ負ったりしなそうだけど、またおいでよ」
「ありがとうございます。ぜひ」
ミナトの返事を満足げに聞いて、それからメフィストフェレスはレオーネに気安く話しかける。
「やあ、レオーネ。ご機嫌麗しゅう。キミたち以外にボクを楽しませてくれる存在がこんな近くにいたなんて知らなかったよ。教えてくれたらよかったのに」
「ちょうどここを訪れるタイミングがなかったんだ。まあ、会えたのだからいいじゃないか。悪いがミナトくんは連れて行くよ。サツキくんのこと、よろしくね。オレはサツキくんを連れに、また来るからさ」
「ああ」
と、メフィストフェレスは笑ってみせる。爽やかなレオーネと並ぶと、メフィストフェレスの胡散臭い微笑は妖しさを増すようだった。
「ファウスティーノ。頼んだよ」
「手は尽くす」
「ではまた」
レオーネはミナトの肩に手を置いて、もう片手にカードを持って魔法を唱えた。
「《出没自在》、ロメオ」
モルグからレオーネとミナトが消えると、メフィストフェレスは退屈そうにしていた。
治療中のファウスティーノの邪魔をしないよう、彼とは話せないからだ。
この場でやることがないのは、ほかにはルカだけになる。だからルカにも話しかけてきた。
「ねえ、宝来瑠香くん。キミもなにか城那皐くんの世界について教えてくれないかい?」
「ミナトが話したこと以外に、私が知っていることは少ないですよ」
「それでも構わないよ。どんな些細なことでも聞きたいんだ」
「わかりました。しかし、こちらからも聞かせてください。さっきあなたがミナトになにをしたのか」
「特別なことをしたに過ぎないが、それは特別であるゆえに、説明はしたくない。誘神湊くん自身が周囲に言っていないことみたいだし、彼がその身に抱えていたことにどれほど正確に気づいていたかもわからない。あえてボクから言うのは憚られるというものだ。それでも聞きたいかね?」
人の秘密に土足で入るようなことは、ルカもしたくはない。ミナト自身がお礼を言っていたわけだし、悪いことをされたわけじゃないことも察せられる。だからルカは首を横に振った。
「いいえ。やめておきます」
「さすがは宝来瑠香くん。賢明だ。キミはあの細菌学者の娘だと思われるが、間違ってないかな?」
「はい。宝来理句のことを言っているのであれば」
「やはりそうか。キミたち士衛組というのは実におもしろい」
話がそれたせいもあってメフィストフェレスがひとりでしゃべる時間も長かったが、ルカはサツキの世界についても少しばかり話したのだった。
治療に終わりが見えてきたのは、十四時を過ぎた頃である。




