11 『慎重な観察』
あの人。
それは、道の先で倒れている人のことである。
では、なにかおかしいというのはどういうことだろうか。
距離は五十メートルくらい離れているから、ヒナにはよくわからない。
「道の真ん中で倒れてるのは、普通じゃありません」
「あぁ、確かに」
まず、それがおかしい。
チナミは小声で続ける。
「もう一つ。時間です。私の視力では、あの人の衣服がボロボロになっているのが見えます。怪我もしているでしょう。呼吸するたびに身体が動くほど、浅く激しい息づかい。あの様子だと、怪我をしてからそれほど時間も経っていません」
こうしたことを、チナミはものすごく小さな声でしゃべっていた。
それというのも、ヒナの耳をもってすれば聞こえるからだ。
今チナミの視界に入り、一メートル以内でもないと、チナミのささやき声など聞こえない。
だから、この会話は安全なのだ。
もっとも、ヒナがチナミに聞こえる声でしゃべっていたらあまり意味がないが。
「それじゃあ――」
ヒナが口を開くと、
「しっ」
とチナミが人差し指を口に当てる。
慌てて、ヒナは口を押さえた。
「ヒナさんはしゃべらないでください。しゃべるときは私の耳元で、ささやき声です」
ぶんぶんと縦に頭を振ってうなずき、ヒナはそろそろと歩いてチナミの横に来てささやく。
「どうするの?」
「ヒナさんは物陰に隠れて待機していてください。私が近づいて様子を見てきます」
「大丈夫?」
「私になにかあれば、全力で馬車に戻ってサツキさんに報告してください」
ごくり、とヒナは唾を飲んだ。
「わ、わかった」
「では、いってきます」
チナミはすぅっと溶けるように地面に潜り込んだ。
魔法《潜伏沈下》。
地面や水中に溶け込み、移動できる魔法である。
上半身だけは身体を沈めるとか顔だけ地面から出すとか、融通も利く。
ただし、顔を出していない状態では呼吸ができなくなってしまうため、使い方には気をつける必要がある。
また、他者を地面や水中に引きずり込むこともできるので、ヒナを連れて行くこともできるのだが、ヒナの面倒を見ながら移動するより一人のほうが効率が良い。それに、もしなにかあったときに助けを呼びに行きつつ、危険を報せに行ってもらわなければ、偵察に来た意味がない。
――この《潜伏沈下》は、移動速度があまり速くないのがネック。小走りくらいのペースで移動できるし、偵察に使う分にはいいけど。
こうして地面に潜っている間、地上の様子ははっきりとはうかがうことができない。
地中からの見え方としては、スネルの窓に近い。
自分の頭の上では、上空の様子がある程度しっかり見えるが、遠くになるといびつになってしまう。魚眼レンズのイメージだ。
視野の窓は半径五メートル程度。
その窓から、チナミは外の様子をうかがいつつ進んでいった。
――近づいてきた。あと、十メートル……。
ここまで来ると、だいぶ様子が見えてくる。
それが五メートルになったところで、チナミは道に倒れていた人を観察した。
――やっぱり、怪我をしてる。息も浅く、荒い。苦しんでいるのがわかる。性別は男性。年齢は十代半ば。衣服から見て、アルブレア王国騎士でもなさそう……だけど、本当にそうかはわからない。敵か味方かは不明。ただ、怪我をしてからそう時間は経っていないということはわかる。
これ以上、今のチナミにわかることはなかった。
――とりあえず、サツキさんに報告。
一度道の端の草むらで鼻と口を出して呼吸を整え、周囲を見てみた。
だが、怪しい者は近くにいなかった。
――近くに怪しい人は潜んでいない。倒れている人は単独で、ここにいる。こっちの道に来ても大丈夫だと思うけど、それもサツキさんの判断に任せよう。




