109 『マテリアルロック』
ディオンの言葉が鶴の一声になって、裁判は終わった。
裁判が終わったのち、外では、ディオンとナゼルがサツキたち士衛組を待っていた。もちろん、浮橋教授やリディオにラファエルもいっしょである。
ディオンを見るや、最初にクコが慇懃なお辞儀をした。
「ありがとうございました。おかげさまで、この裁判で勝てる可能性が高まりました」
「本当にありがとうございます。助かりました。あとは公開実験で証明するだけです。それと、さっき裁判官が木槌を振り上げた時のあれは、もしかして……」
サツキが言葉を続けようとすると、側近ナゼルが「ええ」と答えて、
「その通り。ディオン様の魔法です。その名も《物質固定》。ディオン様の《物質固定》は、物を空間に固定する。固定する場所は、魔法が発動した瞬間にその物があった場所であり、その地点を任意でずらすことは術者のディオン様でさえできない。固定できるのは物だけで、生物には干渉不可。一度に複数の物を固定することもできます。最大でいくつ固定できるかは伏せておきますが」
「なるほど」
「さて。ご存知の通り、このイストリア王国の裁判では、木槌を鳴らすと裁判が終了します。ですから、ディオン様は魔法で木槌を固定させ、裁判が終わってしまうのを阻止したのです」
「そうだったんですね。裁定が覆ることはありませんから、とても助かりました」
クコが笑顔を浮かべる。
あの瞬間、裁判官が動きを止めたのは、下ろそうとした木槌が空間に固定されて下ろせなかったから手が動かなかっただけであり、木槌から手を離せば、身体を動かすことはできた。その場合、木槌は空間に固定されたままになるが。つまり裁判官は木槌から手を離さなかったばかりに身体まで動かなくなってしまったような錯覚に陥り困惑したのである。
ナゼルは士衛組の顔を見回した。
「うん。やっぱりいい面構えですね、士衛組のみなさん。ね、この人たちに賭けてみてよかったでしょう? ディオン様」
軽快なのに落ち着いた独特の調子のナゼルに対して、ディオンは純粋な紳士といった雰囲気だ。
「おまえの投機好きには振り回されるが、今回は、確かにそうだな。おもしろいものが見られそうだ」
「借りを返したつもりか?」
玄内が問うと、ディオンはやっと引き締まった顔を緩めて柔らかい微笑みを浮かべた。
「覚えていてくださいましたか。伊万里屋で助けていただいたときのご恩、いつかお返ししたいと思っていました。それがこのような形になるとは思いもよりませんでしたが」
「人助けとかいいことはしておくもんだなー! なっはっは!」
陽気に笑っているバンジョーに、ナゼルが釘を刺す。
「でも、まだ油断はいけませんよ。実験は十月四日から十日の間でお願いしようと思っています。国王の都合ですみません」
「十月四日から十日ですね」
と、クコが答える。
「日付が決まったら追って連絡します」
「はい」
「みなさん、この期間は大事に過ごしてください。こちらにも準備期間があります。しかし同時に、相手側にも無理筋を考えてでも地動説を批判するための材料をかき集める時間ができてしまったのですから」
「そういうことです。力になりたいが、ワタシにできるのはここまでです。気を抜かずに」
きびすを返して立ち去ろうとする二人。
そこで、浮橋教授とヒナが前に進み出て、そろって頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人の声が重なって、それを聞いたディオンとナゼルはどこかうれしそうな背中を見せた。
「我が国王フィリベールは科学の好きなお方です。期待していますよ」
最後にディオンがそれだけ言い残し、二人は去って行った。