106 『ミニスターディオン』
――身体が、動かないようにされたのか……!?
裁判長がそれをサツキの仕業かと思って見るが、別のところからよく通る低い声が法廷に響き渡った。
「よろしいですかな」
聴衆席からだ。
否、聴衆席の入口からである。
この法廷に入ってきた闖入者。
判決に待ったをかけた声の主。
彼のほうへ、みなの視線が集まる。
「あなたは……」
審問官が息を呑む。
声の主は、壮年の男性で、濃紺のスーツを着こなしている。彼の一歩後ろにはもう一人、ピンクパープルのスーツの青年。
「ディオン大臣!?」
「どうも。突然失礼しますね」
ピンクパープルのスーツの青年が薄い微笑を口元に浮かべ、驚いている裁判長に言った。
固まっていた裁判長が呆気にとられたように手を下ろす。もちろん、ちゃんと木槌を打てたわけではない。急に身体が動くようになり、裁判長は自分の手と木槌を不思議そうに見ていた。
――あのディオン大臣がしたことなのか……?
裁判長は目を白黒させるばかりで言葉が出てこず、審問官も他国の要人の登場に困惑していた。
一方、サツキはディオンの魔力の流れと手の動きをよく観察していた。
――手に魔力……しかし、魔力量は少ない。手に集まったそれは、おそらく魔法。ディオン大臣は手の動きに連動して魔法を発動させるタイプか。それほど不自然ではないが、なぜか右の拳を握っていた。が、拳を開くと、途端に魔力反応が消えた。同時に、裁判長の身体が動き出した。つまり、拳を握ると人か物の動きを止めることができ、拳を開くと魔法が解除される。そんなところだろうか。
条件を網羅したわけでもないが、条件の一つには数えられると思われる。
たったこれだけで動きを止められたら、かなりの汎用性を持つ魔法だと言える。
さすがに一国の大臣ともなると不思議な魔法を使うものだ。
「ワタシは、シャルーヌ王国の外務大臣、返照慈恩です」
「ボクはディオン様の側近、識斗成琉といいます。本日は、シャルーヌ王国国王、フィリベール様の使いで参りました」
と、ナゼルもディオンに続けて挨拶した。丁重だが軽やかな、独特の声のトーンと佇まいの人だ。
サツキはつぶやく。
「シャルーヌ王国……?」
クコは、立っているサツキに合わせて立ち上がり、サツキの左肩に右手を置いて、左手をサツキの左耳に添えてささやく。
「このイストリア王国の隣です。西側にあります。近年、革命があったばかりで、世界をにぎわせていました」
なるほど、とサツキは理解した。前にもクコから聞いたことがある。世界地図も教えてもらった。つまり、シャルーヌ王国はサツキの世界でいうフランスにあたる位置にある国だ。
ディオン大臣は、本名を返照慈恩という。
背が一八六センチと高く、がっしりした体つきの紳士である。精悍な顔で、優れた政治家を思わせるよく響く低い声を持つ。年は三十一歳。現国王・フィリベールの側近でもあり、もっとも信頼された大臣といえる。『新政シャルーヌの柱石』と称賛され、『シャルーヌ革命の英傑』としても世界で広く顔を知られた存在らしい。若くフレッシュでありながら、堂々とした威厳も備えた人物だった。
側近ナゼルは、本名が識斗成琉。
年はディオンより十歳下の二十一歳。若くしてディオンの側近を務めている。秘書も含めた補佐官のような役である。一七三センチほどと、この地方では平均よりも五センチから六センチ低いが、目の奥に光るものがあり、優雅な佇まいと合わせてちょっと変わった存在感があった。投機好きで『山師』の異名を取る。
「シャルーヌ王国は若い国なんだな」
サツキのこの言葉には、またクコが教えてくれる。
「革命を成功させた現国王は、まだ三十五歳ですから。このフィリベール国王を支えた周りの方々も若い方が多かったといいます」
「なるほど」
話に聞くフィリベール国王という人は、サツキが持っているフランスの知識と照らせばナポレオンに似ているだろうか。革命家であり、皇帝にもなった人物である。ナポレオンも若くして皇帝になったのだから、こうした革命を成し遂げる人物たちのエネルギーは若さにもあるだろうし、おかしな話ではない。大事なのは、ここからどう国を整えるかだ。
ついでに言えば、この世界ではサツキのいた世界と年齢感覚が異なる。戦国時代と現代を比較するようなものだろうか。サツキの世界だと、二十一歳のナゼルは二十代後半くらいで、ディオンは四十歳くらいの感覚とみていい。フィリベールの三十五歳は四十代前半とすれば、それでも若いエネルギーに満ちた国と言える。
ディオンはヒナに目配せして、階段を下りてゆき、浮橋教授の隣まできた。
「?」
ヒナはディオンの目配せの意味がわからない。親しみを感じるが、なぜそんな他国の重要人物が出てくるのだろうか。
――味方、なの……? それに、あの顔、どこかで見たような……。




