104 『ドラウンアウト』
審問官が裁判長に促す。
「お願いします」
「……」
神妙に、裁判長はうなずいた。
彼は未だに迷っているのかもしれない。
サツキとヒナが見たところでは、二人の裁判官が地動説を認め、フェルディナンド教授とエドアルディ博士の二人が地動説を否定している。
合議制において、この場合、最後の一人となる裁判長がどちらを選ぶかですべてが決まってしまうのだ。
――どうか、勝たせて……! お父さんを守って。正しいことが正しいと認められる世界でいて。士衛組の未来を明るく照らして。士衛組のみんなのためにも、勝ちたいよ。お母さん……お父さんを守って!
ヒナは祈る。
裁判長は一人ずつ聞いていった。
「いかがですか。地動説を認めますか」
「はい。なんの矛盾もない正しい論理に裏打ちされていると言ってよいでしょう」
一人は答えた。
「地動説を認めますか」
「データ不足は否めませんな。それに、かもしれませんなど言葉に説得力が足りない箇所も多い。ゆえに、認められませんね」
エドアルディ博士は涼しげに答えた。
「地動説を認めますか」
「認めましょう。今日この瞬間が、新たな歴史の一歩となると期待します」
晴和王国についての知識もある裁判官はそう答えた。
「地動説を認めますか」
「認められませんよ、こんなもの。だれかはデータ不足と言いましたが、それだけじゃない。データの捏造が可能な資料をどう信じろと? 目の前で実験したわけでもないのに、人々の幸せを覆す作り話を持ち出す不届き者の話を信頼できると? 冗談じゃない」
フェルディナンド教授はネチネチと言ってから、笑顔を作る。
「そうした考えを持った人が大半でしょう。やはりワタシも認められません」
裁判長はあごひげを撫でる。
「二対二、か」
「あとは裁判長の判断で決まります」
目で合図するように、審問官が促した。
一度は審問官から目をそらした裁判長だが、また目を合わせると、小さくうなずいた。
――まずい!
サツキは直感する。
――やはり魔女裁判。最初から裁判長は認めるつもりはなかったんだ。士衛組も『ASTRA』も接触できなかったこの裁判長だけど、当然と言うべきか、宗教側から声をかけられていたとみえる。
最初から味方と決まっている二人はともかく、どちらに転ぶかわからない裁判長に対して、宗教側がアクションを起こしていないはずがなかった。
――判決が……下る!
裁判長は木槌を手に取り、
「それでは、判決を言い渡します」
次になんと言うのか。
サツキにはわかってしまった。
おそらく、地動説を否定するのだ。
だから手を打たなければならない。
今なにができるのか。
それは、なんとか提案するだけだ。
「浮橋教授の地動説を認めま……」
その瞬間、ヒナは悟った。
続きの言葉がわかってしまった。
この法廷にいるだれよりも先に聞き取れてしまった。
《兎ノ耳》によってとてつもない聴覚を持つヒナには、「地動説を認めま……」の次に、「せ」と言葉が続くのが聞き取れたのである。
つまり、続く言葉は「認めません」となる。
言葉よりも感情が溢れる。
――うぅ……!
だが。
ヒナの目に涙が溜まるのに反して、なぜか裁判長の声は続かなかった。音になる前の空気の音だけがヒナに聞こえたあと、続いて聞こえるはずの音は消えていた。
代わりに、
「待った!」
裁判所内に、サツキの声が響き渡る。
ピタリとした静寂が現れた。
「……っ! サツ……キ……」
涙を浮かべて祈り判決を待っていたヒナが、サツキの顔を見る。その瞳からは、もう涙がこぼれていた。
サツキの声は裁判長の声を遮った。それどころか、裁判長の声を、その続きを消し去ってしまったのだ。
――なにが、あったの……?
認められなかった絶望に泣きそうになって、その瞬間に、サツキの声があったのだから、ヒナは理解が追いつかないまま、潤んだ瞳をサツキに注いだ。
――サツキが、止めてくれたの?
裁判長も口をぱくぱくさせるだけでなにもしゃべれず、今になって、
「……お、おい。おい。いったい……あ。な、なんだったんだ」
などとつぶやいている。
そんな裁判長のことなんて、今はだれも見ていなかった。
裁判所内にいる全員が、サツキを見ていた。
事情はわからない。
ただシンプルに解釈すれば、裁判長は決断を伸ばしてサツキの声を聞こうとしているということになる。それゆえにみんながサツキを見ているのだ。
しかもサツキの声は特別に大きいわけじゃなく、不思議な響きを持ってだれの耳にも届いた。場を支配するような力があった。
そしてこのとき、玄内だけが今なにが起こったのかを理解していた。
――なるほど。《波動》か。
《波動》は、サツキの魔法だ。
――そもそも《波動》ってのは振動だ。音も波状になって空気や物体を震わせることで聞こえる。サツキは本人が意図せず、他人の波長を打ち消すような《波動》を放って声を発した。だから音が掻き消されたんだ。
 




