99 『ミッシングザポイント』
他にも、もう一人だけ、同じく新聞記事に意見を述べていた学者がいた。
名前は、牙雨伝地衛解有出。
彼も以前こんなことを言っていた。
『エドアルディ博士はイストリア王国の人々の良心に訴える。ちまたには、浮橋教授の地動説を擁護することで、イストリア王国の国民の持つ精神性を否定する声も見受けられる。しかし、まずはその科学が論理的に矛盾のないものなのかを見極めていただきたい。世界を見ていただきたい。イストリア王国だけが世界から外れた道を進むことは正しいのだろうか。歴史を見れば、宗教は侵略に用いられてきた。浮橋教授の故郷、晴和王国の宗教についても精査が必要かもしれない。イストリア王国を守ってきたのは、宗教とそれを正しい心で信仰した国民たちだったのではないか。イストリア王国は晴和王国の過度な介入を避け、世界と歩調を合わせて行くべきだと考える。仮に浮橋教授が虚偽の科学を唱えていた場合、いずれ報いを受けるだろう。審判は下されるだろう。その時を待ちたいと思う』
この記事を読んで、ヒナはひざを抱えて泣いた。
敵対している宗教側がいかに大きな勢力であり、どれだけ力を持っているのかを実感した。フェルディナンド教授からエドアルディ博士と続き、終わりの見えないいわれのない非難に心が擦り切れそうだった。
「今まで、世界中で宗教を利用して侵略してきたのはルーン地方の国々でしょ……! 一部の支配者が宗教を利用してきたんでしょ……! しかもいちいち論点のすり替えをして、お父さんや晴和王国を非難して……! いったい、いつまで続くの……?」
真っ暗なトンネルを進む恐怖を感じたあの日から、随分と時間が経った。
しかし、まだ絶望は終わらない。
浮橋教授が一度は阻害された反証を今度こそ言おうと手を挙げたところで。
エドアルディ博士は言った。
「私からもいいですか」
「どうぞ。エドアルディ博士」
審問官はなんのためらいもなく促す。浮橋教授のことは完全に無視だ。
「非常に嘆かわしいことなのですが、我々のような科学者の意見は、いつもぞんざいに扱われるのですよ。同じ科学者として、浮橋教授ならば気持ちもわかることでしょう」
顔を浮橋教授に向けて、うんうんと二度もうなずいて共感を示すと、審問官に向き直って続けた。
「我々科学者は、人々の幸せのために研究に励んでおります。それはどの国においてもそうです。世界は幸せへの道を歩いているのです。その手助けを、我々科学者がするのです。今の科学はお世辞にも完璧じゃない。けれど、世界は足並みをそろえて、確実に、着実に、幸せへの道を歩いています。少なくとも、イストリア王国はその道から外れる必要などないのではないでしょうか」
「なるほど。根源的な部分でのお話、ありがとうございます。審問官として、気になったことを問うていきたいのですが、まず晴和王国の宗教についてご存知のお方は……」
「はい」
別の裁判官が挙手した。
彼は宗教側によって買収されていない裁判官で、晴和王国の寛大な宗教観について話していった。
晴和王国では、唯一神の信仰はない。
すべての物に魂が宿り、それらはすべて神であるというような、八百万の神といった考え方があるとした。
「それは理解の難しい話ですね。やはり国が違えば考え方も違う。では、話を科学と幸福の関係性について戻して、イストリア王国と晴和王国の幸せへの考え方を……」
と、審問官は言い出す。
ここまで大人しく話を聞いていたバンジョーは、斜め前に座るサツキに小声でささやいた。
「こいつらなに言ってんだって感じだな。特に、あいつら三人」
「ああ」
と短く答えるサツキ。
言うまでもないが、あいつら三人、とは審問官と二人の裁判官を指している。
バンジョーは「サツキもそう思うか」とうなずいて、
「あのよ。オレ、あいつらがオレより頭いいからなに言ってんのかわかんねーのか、あいつらがオレより頭悪いからなに言ってんのかわかんねーのか、それがわかんねーんだ」
声を落としてそうつぶやいた。
これには玄内から解答がなされる。
「おまえの質問の答えは、『両方』だ。わからなくてもいいから静かにしてろ」
玄内に襟をつかまれ、バンジョーは「はい」と答えて座り直した。
サツキも正直、この無意味で道に逸れてばかりの話にうんざりしてきた。
――まともな主張が出るとは思っていなかったけど、やはりこの裁判、荒れそうだな。ヒナも、こんな裁判には相当もやもやして苛立っているだろう……。
チラと横を見ると、ヒナは悔しそうな顔に苛立ちを滲ませ、もどかしそうにしていた。
しかし。
ひとしきり審問官とフェルディナンド教授が天動説の正義を主張したところで、裁判は次の工程に進む。
いよいよ浮橋教授が直接発言する場がもうけられた。
「では、被告人。地動説がどうして正しいのか、説明があるならば発言を許します」




