86 『ビーミングスマイル』
二人が砂浜に書いたものが消えてしまった。
サツキが描いたロケットの絵も、ヒナが書いた父の言葉も。
楽しいおしゃべりと温かい思い出を波がさらっていったように見えて、また論理の欠片も流されてしまったような気がして、ヒナの眉が寂しげに下がった。
しかし、サツキは軽く言う。
「いいさ」
ヒナは「むぅ」と不満げにサツキを見る。
なぜか、サツキはその視線を柔らかに受け止めて。
「それは、俺たちが今から拾い集めに行くんだろう?」
照り返すサツキの視線に、ヒナの瞳は揺れ動いた。また感情が揺さぶられる。何回、ヒナの心を揺さぶれば気が済むのか。どれだけ、ヒナの想いは揺さぶられてしまっているのだろうか。感情どころか言葉もコントロールも効かなくなっていきそうで、ぎゅっと気持ちを抑えるように腕組みした。
「……と、当然よ! そのロケットの話とかも、あとで聞かせてよね」
そんな照れ隠しにも、サツキは穏やかというか、クールというか、平然と言ってのける。
「機会があればな」
「いっしょに旅すれば、いくらでもそんな機会あるでしょ?」
と、横目にサツキを見る。
「そうだな」
ヒナは腕を解いて、少し緩みそうになった口元を挑戦的に微笑ませ、うなずいた。
「うん」
そして、ヒナは決心する。
――サツキ! やっぱり、あたしにはあんたが必要みたい! だから、言うわ。
だが、いざ言うとなると、また照れくさくなってしまう。
「それで、仲間になるって話、本当なんでしょうね?」
こんな言い方が精一杯だった。
ついさっき、サツキが地動説証明の方法を知っているかもしれないと思ったときには手まで取っていっしょにイストリア王国まで行って欲しいと言ったくせに、恥ずかしくなるくらい至近距離まで顔を寄せていたくせに、確かめるような口調になってしまった。
一歩詰めて、サツキを見上げると。
サツキは真剣な目で答えた。
「この旅は危険なものだ。幾度となく戦うことになる。同行する場合、力を借りる場面もあるだろう。その代わり、俺も地動説証明のために力を尽くそう」
「約束、だからね?」
「約束だ」
「うん」
うむ、とサツキがうなずき返した。
手が差し出される。
「ヒナ。それでよければ、仲間にならないか? 俺たちで、地動説を証明しよう」
戦うことも、力を借りるということも、ヒナを心配して気遣って言ってくれたことだ。それくらいはヒナにもわかる。優しくて不器用な性格は筋金入りのようだ。
サツキの手を見ると、ヒナは心が熱くなった。
――久しぶりに、だれかと星の話をしたな……。
どこまでも真面目で真剣で、不器用で優しい父とサツキが重なって見えてしまっているのに、ヒナにはサツキが他のだれとも違う特殊な存在にも見えて仕方なかった。
そんなサツキと星の話をしたのが楽しかったのか、父との天体観測や会話を思い出したからか、理由はハッキリとはわからない。なのに、知らずに、いつのまにか目の端に涙の粒がたまっていた。それを見られないように、サツキに背中を向けて指で拭う。
――めげずに、続けてきてよかった。小さくなってた誇りでも、必死に守ってきてよかった。こうしてサツキに会えたんだもん。サツキはきっと、信じられる。信じてみようかな。お父さん、信じてみてもいいよね。信じてみたいんだ。この不思議な引力を。
自分をここまで引き寄せる星のような引力に、賭けてみたくなった。
――あたし、期待しすぎてる。でも、サツキ以外にあたしの答えはない。
気持ちを固めて、サツキに見せる笑顔を選ぶ。できれば、心からの素直な笑顔で応えたかった。
だから。
今の自分に似合う、満天の笑顔をつくって。
ヒナは振り返った。
「ありがとう! よろしくね、サツキ。地動説、証明してみせよう!」
そして、ヒナはサツキに手を伸ばした。




