82 『トワイライトビーチ』
二人は砂浜にやってきた。
カナカイアに会う前にサツキが言っていたように、場所は砂浜にした。ここなら人もほとんどいない。
波の音だけがあった。
風は涼やかで、日も暮れかけている。
呼吸を整えていると。
バーン!
花火が上がったような音が鳴り、ヒナとサツキは空を見上げる。
しかし花火などなかった。
飛び交う海鳥の影が見えるのみだった。
「花火、か?」
サツキの問いに、ヒナは目を閉じて言った。
「ちょっと遠いけど、爆破の音ね。爆弾が破裂したんだと思う」
「そうなのか。だれか、なにかあったのだろうか……」
「考えても仕方ないわよ。さすがにそれ以上は、あたしの《兎ノ耳》ではわからないし」
「そうだな」
仲間のことでも考えているのだろうか。
そういえば、どうしてサツキは今一人きりなのだろうか。
気になることはあるけれど、ヒナはもう足踏みなんてせず、本当に聞きたかったことを聞く。
「話の続きだけど」
一呼吸。
波が打ち寄せて、引いて。
ヒナは切実に問いかけた。
「サツキは、地動説について、どこまで知ってるの? サツキの常識は、この世界の常識じゃないよ」
迷ってはいなかった。
ただいつもみたいに淡々と、サツキは答える。
「俺の世界の常識だっただけだ。つまり、俺はこの世界の人間じゃない。異世界人ってことになる」
「……」
ヒナのサツキを見る視線はじりじりと強まってゆく。
――やっぱりそうだったんだ! すごい! 本当に、そんなこと、あるんだ。
なんでもない一介の少年が地動説を知っていて、天動説を過去の遺物と言い切るなど普通ではない。
その少年が異世界人だというほうが、かえって驚きは少ないことかもしれない。
だが、ヒナにはトチカ文明の研究から知った異世界人の話とつながり、不思議な感覚だった。
自分でも気づいていないが、顔まで近づいてきている。
今度はサツキが聞いてきた。
「ヒナのお父さんが、浮橋博士だな?」
「そうよ」
「裁判、どうするんだ?」
「地動説を証明するに決まってるでしょ」
「立証する手立てはあるのか?」
「ないわよ。証拠が弱いの。証拠を集めるために、あたしも星の満ち欠けを調べてスケッチしたりしてるんだけど物足りなくて……」
「それで、望遠鏡を持ってるんだな」
「あたしのしてることだけじゃ欠陥がある。だから、困ってるんじゃない……。さっきのカナカイアが言ってることも一理ある。わかってる。証明できなきゃ、意味がないって……」
つい、弱気なことを口走ってしまった。
サツキはオレンジ色の海を見てつぶやく。
「浮橋博士、なんだかガリレオみたいだな」
「なにそれ。名前?」
「俺のいた世界の偉人だ。天文学や物理学の天才だったけど、政治的な人間関係が苦手だったんだ。それで、彼を快く思わない人間から反感を買い、宗教に沿わない発見である地動説を理由に、異端審問にかけられた。結局、ガリレオは生きているうちに完全には地動説を立証できなかった」
別の世界でも、そんなことがあった。
そう聞くと、悔しさや悲しさや怒りが込み上げてくる。きゅっと拳を握るが、すぐにその拳をほどいた。
「あたしね、素直じゃないんだ。お父さんが、心に嘘をついて生きるのは辛いから、素直に生きなさいって昔教えてくれたの。でも、それじゃうまく生きられないみたいだって知った」
言霊の力の話もそうだ。
父はこう言っていたのだ。
「言葉だけでも明るく前向きで、優しくて綺麗にすると、よりよい世界を創り出せる。それは、お父さんもそう思う」
それに続けて、
「でも、嘘をつく必要はないよ。心から、そうなって欲しいと思うことを口にすればいい」
と言って、
「なによりも良くないのは、心から思っていて信じていることなのに、嘘をついて否定して言葉にしてしまうことだ。言葉にしたらその通りになっていってしまうからね」
そんな風に、言霊の力について教えてくれた。
「ネガティブな嘘をついちゃダメってことだよね」
ヒナがそう言ったとき、父は優しくうなずいて。
「うん。うん。ヒナは本当に、賢い子だ」
そして、こう言ったのだった。
「心に嘘をついて生きるのは辛いからね。素直に生きなさい。そうすれば……」
そうすれば。
あのときの父の言葉を思い出す。
――そうすれば、後悔しないよ。お父さんは、そう言ってた。