80 『ミュートマフラー』
フッと、カナカイアが姿を現した。
場所はサツキたちの正面。
手に収まったナイフを指でなぞり、眉の間に深いしわを寄せる。
「戦うだぁ!? そんなの無理なんだよおッ! オレの音を聞き取れないのも論理なんだからよ」
またカナカイアは動き出す。
姿は見えなくなった。
動きながら、語りかけてくる。
「オレは元マノーラ騎士! 正義の騎士! 実力も認められたエリートだった! だが、オレは科学の道を選んだ! マノーラ騎士には智恵の足りない奴等が多かったから、オレの実力が理解されないこともしばしばで、それがストレスだったからな!」
「そんなのあんたに本当の実力がなかったからでしょ」
「今も痛めつけられて、オレのスピードを見て、それでもわからないのか? やはりおまえはつくづく頭が足りないな! オレは《ミュートマフラー》の魔法により、声以外のオレから発する音を消すことができる。しかもマフラーは空気を吐き出すごとに加速する。浮橋陽奈、おまえの魔法が音を聞く魔法だってのも運命がすり合わせた論理なのかもな。オレとは相性が最悪だぜ」
カナカイアの挑発に、ヒナはひるまず言い返す。
「悪いわね。あたしは『科学の申し子』浮橋陽奈! 天才物理学者にして天才天文学者のお父さんの娘だから、運命なんて信じないの!」
この騒ぎに注目していた観衆がざわざわし始める。
「あいつ、血のついたナイフを持ってたぞ」
「でも、それだけ怒ってるってことなのかもしれないわよ」
「どうだかな。あの男、まだ自分の都合しか言ってないぜ?」
周りの囁きを、カナカイアは聞き分けた。そして、カナカイアの言動に疑念を抱いたような発言をした青年を切った。青年の腕には、ナイフにより大きな切り傷ができ、血が噴き出した。
「うああああ!」
「きゃぁっ!」
「な、なに!?」
隣にいた人たちが戦慄しあわてふためく。もうカナカイアについての非難を口にする者もなくなる。ただ見守るだけになった。
ヒナがサツキに言った。
「これ以上、あいつを好きにさせちゃいけない。あたしのせいで、他の人にも危害が……」
「だな。早く片をつけるぞ。でも、ヒナのせいじゃない。あいつの身勝手のせいだ」
「う、うん。だよね!」
「ヒナ。あいつの呼吸とか息づかいとかは聞こえるか? 目では追えないから、音で探れると助かるんだが……」
「そんなのいいんだよ。サツキ」
「?」
もうわかった。
なにをすれば良いのか。
どうすれば勝てるのか。
「つまり、策はあるんだな」
「一つだけ。サツキ、あたしを信じてまっすぐ正面を攻撃して。あたしの合図に合わせて、まっすぐに」
「了解。俺は不器用だから、まっすぐは得意なんだ」
すぅっと息を吐き出し、サツキは肩幅に足を開く。両手の拳をおろし、集中を始めた。
「ヒナ。あと二分だけ待ってくれ」
「わかった」
カナカイアは挑発を続ける。
「どんな策があるって? あと二分だけで盤面をひっくり返すってか? だが、オレの移動を追えるわけがないのさ! 決まってる! オレが教えてやるよ、おまえらの死をもってな!」
声と共に、サツキの足にまた切り傷ができる。
ヒナの足首にも切り傷がつく。
――痛っ! でも、我慢! サツキの集中の邪魔をしないようにしなくちゃ。
少しずつ、サツキの力が漲っているのがわかる。魔力が見えるわけでも計測できるわけでもないが、サツキは今、力を溜めているのだ。
今度はサツキの腕にもさらに切り傷ができる。両腕両足、肩にまで切り傷ができて白い服には血が滲んでいる。
そんな中でも、サツキは構わず目を閉じて集中力を高める。
――サツキ……なんて集中力なのよ。身体も傷つけられてるのに。助太刀したって利益なんてないのに。あたしの戦いなのに。でも、今ならわかるわ。サツキには、そうやってまっすぐに立ち向かうべき敵がいるんだよね。だから、そんなに気持ちが強いんだ。あたしも、足首の痛みなんてふりほどいて、サツキに教える! この《兎ノ耳》を澄ませて、敵の位置を捕捉する!