79 『メイドロジカリー』
ナイフを片手に、カナカイアは群衆の中を縫うように紛れて、高速で走る。目にも見えない速さだった。
――見えない! どんだけ足が速いのよ!
周囲にいる人々は、消えたカナカイアに驚きざわめいていた。
「うおお! なんだ?」
「今、ぶつかった?」
「ていうか、地動説について言い合ってたけど、なにが正しいんだ?」
「浮橋博士って、人の研究を横取りとかしたのか?」
「え、晴和人として応援してたんだけど……」
「あの子、浮橋博士の娘なの?」
ヒナは唇を噛む。
――違う! お父さんはそんなことしない! 今すぐ否定してやりたいけど、しゃべってる余裕なんてない……。
「痛っ!」
「……っ」
ヒナとサツキの頬に切り傷がつく。
頬の熱くなったところを指でぬぐったヒナは、その指についた血を見て息を呑んだ。痛みと恐怖に身体が硬くなる。
――あいつ、どこに消えたの?
ラナージャのときと同じだ。
命をかけた戦い。
簡単に、命を奪われてしまう。
今、ヒナはそんな戦場にいるのだ。
スパッと、サツキの腕にも切り傷がつく。
「音さえなく、どこからか切りかかってきたのか」
サツキのつぶやきに、ヒナがうなずく。
「そうみたい。あたしの《兎ノ耳》はどんな小さな音でも拾う。でも、周りが騒がしくて聞こえない。あいつの足音が……」
「周りのせいにするところは、父親そっくりだな! 浮橋陽奈!」
どこからかカナカイアの声がする。
声を探すようにヒナが頭を巡らせるが、どこにも姿を見出せない。
「人のせいにしてんのはそっちでしょ!」
「だまれ! 人に罪を押しつけるな!」
「なんなのよ、あんた!」
悔しくてもヒナにはそう言い返すことしかできない。
サツキは冷静に言った。
「ヒナ。世の中には、事実を言っても認めない者もいる。わからない者もいる。わかろうとしない者もいる。逆恨みされることもある。でも、世の中のことはすべて論理的にできているんだ。無数の論理が積み重なって集まって、その形が結果になるんだ。デタラメや間違いが人々の共通認識になる場合にも、そうなった因果がある。デタラメをつなぎ合わせて積み上げた人間たちがいるからだ」
ヒナは鼓動が一瞬止まったように目を見開いて、サツキの横顔を見た。その瞳は潤んでいる。
――お父さんと、同じこと言っている。
だから、ヒナはサツキのことがこんなに気になっていたのだろうか。
だから、サツキになら自分のことを理解してもらえると思ったのだろうか。
だから、助けを求めたくなってしまったのだろうか。
サツキは言葉を続ける。
「朝が生まれて、夜が生まれて、その繰り返しの中で移り変わる空の景色は、地動説じゃないと説明できないようになってる。たぶん、それでもカナカイアは言ってもわかってくれない」
そうしゃべる間にも、サツキの腕や脚はナイフで切られて、血が流れる。
「だから、まずはこの場は戦おう」
「うん!」
覚悟を決めて、ヒナは大きくうなずいた。