52 『テイスティング』
桐村我門の刀が店員の血を吸い上げてゆく。
刀は血をむさぼる生き物そのもののようだった。
血が吸い尽くされて、店員の顔は真っ青になってしまった。
そこでようやく、ガモンは刀を離す。
――この瞬間がたまらないどん。
嬉しそうに刀身を見て、刀が血を吸い尽くしたことを確認する。ペットが食事する様子を愛でる飼い主のように、
「ひひひ、ごわわ」
と笑った。
そして、こう言った。
「《血喰ノ刃》」
魔法の名前。
今、店員の血を吸い取った魔法がそれだ。
「血といっしょに力を吸い取らせてもらったでごわすよ。力といっても腕力どん」
ペロッと刃を舐め、
「うまぁいどん」
恍惚の表情を浮かべる姿は、狂気に満ちている。
――何度舐めても、血の味こそ至高でごわす……! あぁ、悪の思想にまみれ、汚れた血なのに、なんてうまさ……ん?
我に返り、また怒鳴った。
「てめえら! なに見てるどんッ! ごわアッ!」
周囲を威圧する声に、ガモンを見る者もいなくなった。
もちろん、ヒナもガモンから視線をそらした。
すると、さっきから焼けていたもんじゃ焼きから黒い煙が上がっていることにヒナは気づく。
「あ、こげてる……」
声を漏らして、ハッとして口を押さえるヒナ。
ガモンはこの声を聞き逃さなかった。
――それも変化。それこそ自然の摂理。そういうもんでごわす。そうあらねばならないどん。
そして、ヒナへと視線を移される。
「そうやってなんでも変わるモンでごわす! ほっといたらなんでも焦げて腐って朽ちていく! そういうモンどん!」
「……」
ヒナは恐怖でガモンを見返すこともできず、うつむいたまま、もんじゃ焼きに手をつけない。
だが、ガモンはしゃべるのをやめなかった。
「この『人斬りガモン』、幕末に名を馳せたはいいが、倒幕のみで革新を果たせなかったどん! それもこれも、邪魔なやつらが多すぎるからでごわす! また戦国時代に戻るなんざ愚の骨頂どん!」
ヒナは机の下で、きゅっと拳を握った。
「……」
ガモンの話は、ヒナの父が言っていた幕末のイメージと異なる。
父は言っていた。
『幻の将軍』音葉楓が、維新という名の革命は外国からの侵略であり戦略であると気づき、それを阻止した。
アルブレア王国からの武器供給が裏ではあって、それによって戦いは激化していった。倒幕こそ許してしまったが、『幻の将軍』が戦国時代に巻き戻すことで外国からの支配を逃れた。
そんな話だった。
つまり、ガモンの人斬りは裏から操られていたものであり、本人にその意識があろうとなかろうと、晴和王国乗っ取りのための駒にされていたということだ。
とはいえ。
ヒナからしてみれば、ガモンは哀れな革新派というより、人を斬る殺人行為とテロリズムによって国家転覆の片棒をかついだ狂人……そのようにしか思えない。
だから同情もない。
しかし、目の前の狂人への恐怖は大きかった。
ガモンはヒナに言うでもなく、だれにともなく語りかける。
「どうしてこんな戦国時代に戻っちまったかわかるどん? それは、この世に伝統があるからでごわすよ。現状が壊れるのを恐れるやつは、伝統って言葉でいつも新しいものを否定するどん。だから! こういう! 伝統が! 悪いんでごわァアす!」
ガモンは再び刀を抜いた。
刃は、窓の横の壁に貼られたメニュー表にある『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』の文字を貫いた。
ががごん!
と、内と外を隔てた厚い壁が、大きな音を立てて破壊された。壁が割れて、ドア一枚分ほどの大きさで切り取られた。
窓ガラスも地面に落ち、パリンッと乾いた音を立てて割れる。
店の壁が派手に破壊されたから、通りを歩く人たちも何事かと店内を覗いた。
――な、なんて馬鹿力よ。あんなに分厚い壁がひと突きで……。これが、血を吸って強くなったっていう力……?
ヒナはごくりと唾を飲み込む。
これ以上ガモンに絡まれないように、気持ちだけでも身を縮めた。
「変わらないのは概念だけで充分どん! けど、それさえも少しずつは変わるでごわす! それが自然の摂理ってモンでごわす! 変わらないだとか時代が戻るなんてのは、地球のまわりを回る太陽が逆向きになるくらいおかしなことどんよ。ごわっごわごわあ」
暴れてスッキリしたのか、言いたいことを言えたからか、ガモンは高らかに笑った。
だが。
ヒナは我慢できなかった。
どうしても譲れない言葉があったからだ。
バン!
とテーブルを叩いて立ち上がった。
「そんなのデタラメよ!」