51 『ドリンクブラッド』
隣のテーブルについた牢人風の男を、ヒナは横目にうかがった。
顔には横一文字に深い切り傷が走る。これまでに相当の修羅場をくぐってきたのであろうか。
目の周りを赤く縁取っている様は歌舞伎役者のようでもあるが、そんな粋な雰囲気もない。ただただ周囲を脅すかのようなものだった。
奇妙な和洋折衷な衣服で、背が一八〇センチ以上。
年は四十歳くらいか。
「腹が減ったどん」
店員を威圧するような、傲慢な声が店内に響く。
――なんなのこいつ。横柄な人……。
父との思い出からすっかり現実に引き戻されて、それでも関わり合いにならないよう意識しながら、もんじゃ焼きを切り取った。
「いい頃ね! いただきまーす」
はむ、とヘラで一口食べる。
「おいしぃ。さすがはあたしね」
あまりの美味しさにほっぺたを押さえ、次々に食べてゆく。
このまま何事もなければよかった。
しかし、そうはならなかった。
さっそく、牢人風の男の席まで注文を取りに来た若い男性の店員だったが、
「ご注文はどうなさいますか?」
と聞いたそのあと、問題は起こった。
「注文どん? おすすめでいいでごわす」
「了解しました。当店おすすめ『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』をお持ちします」
ヒナの《兎ノ耳》が反応する。
うさぎ耳のカチューシャがピクッと動き、背筋がゾッとする。
「ごわァ!? 今、なんと言ったどん!」
急にいかめしい表情になって荒々しい声を上げる牢人風の男。
一瞬前、ヒナが《兎ノ耳》で聞き取ったのは、心音の変化と声になる前に吸った呼吸音の乱れ。
突然の客の怒りに触れて、店員は身体をビクつかせる。
「あ、あの、『伝統の天都ノ宮もんじゃ焼き』です」
「ふざけるなどんっ! ごわアッ!」
牢人風の男はテーブルをひっくり返した。
「ひゃぁ!」
聞き取った心音は、殺気を含んだ音。
前に、ガンダス共和国のラナージャで、ヒナを殺そうとした追っ手が放っていたような心音。
単なる怒りを超えた音と、テーブルがひっくり返されたことに、ヒナは驚いて声を上げてしまった。
だが、慌てて口を押さえる。
目をつけられてはいけない。
本来、目立ってもいけない。
そんな立場なのだ。
だから、牢人風の男の意識に入らないように、余計な刺激を加えないように、サッと顔をそむけつつ、チラ、チラ、と観察する。
一応、ヒナを相手にする気はなさそうだった。
牢人風の男は、店員に怒鳴り散らした。
「おいは伝統とか大っ嫌いなんでごわす! ごわアァァッ!!」
そしてついに、拳で店員を殴りつける。
何度も。
何度も。
何度も。
血が出るまで何度も何度も殴り、血が飛び散っても何度も何度も何度も殴りながら、怒声を浴びせる。
「踏襲ッ! 現状維持ッ! 保守ッ! 古くさいモンはみんなみんなみんなみんな嫌いどんッ!」
凄惨な状況に、他の客たちは恐怖で顔を背けるか、こっそりと見るばかりだった。
なぜ牢人風の男があれほど怒っているのかわからない。
それに、わかったとしても、自分が止めに入ってしまえば、次に殴られるのが自分になってしまうかもしれない。
やむない自衛策だ。
が。
店員を殴る手も、叫ぶ声も止まらない。
「維新ッ革新ッ進化ッ交換ッ! この桐村我門はそんなそんなそんな進歩が好きなんでごわす! どんッ! どんッ!」
ガモンと名乗った牢人風の男は、立ち上がって、店員を二度踏みつけた。
これで終わるかと思った。
でも、違った。
腰の刀をカッと引き抜き、
「血を吸わせてやるどん」
ニタリと嫌な感じに顔をゆがませた。
ガモンは心の中で店員に宣告する。
――悪の思想を持った報いどん。
店員の流血部分に刀の刃を添わせる。
すると、接触した面からずずずぅっと音を立てて、まるで生き物が血を飲むように、血が吸われていった。
 




