50 『マジックワード』
ヒナは鉄板に向かってヘラを動かす。
「あたしってばうまいじゃない。ふふん」
得意になって鼻を鳴らし、ヘラで土手を作る。
その土手を見ると、父が思い出された。
表情がほどけて、憂いが滲む。
「お父さん、文字焼きだって言ってよく文字を書いてくれたっけ……」
それがもんじゃ焼きのルーツだとも言っていた。
幼い頃のこと。
空馬ノ国、車ノ群の東側――厩前城の城下町。
そこで、ヒナは父と二人でもんじゃ焼き屋に訪れた。
家がある車ノ群の西側、六沢ノ村からは少し離れた場所にあり、行った回数は片手で数えるほどだが、美味しいお店だった。
もんじゃ焼き屋で、ヒナは父に言われた。
「前に来たときは、お母さんと三人だったな」
「……」
このとき、ちょうどヒナの母が亡くなってすぐの頃だった。
だからヒナはずっと落ち込んでいたのだ。
「あ、きた」
店員さんが持って来た材料を「どうも」と受け取り、父はもんじゃ焼きを作り始める。
「もんじゃ焼きは、昔は文字焼きって言われたんだ」
「……そういえば、前も『文字焼きだ』って言って、作ってたね」
「ああ。ヒナは、今日はどんな文字を書いて欲しい?」
「別に。なんでもいい」
「じゃあ、作ってみようか」
父は文字を形作っていく。
しかし、複雑な文字にしようとしているようで、うまくまとめられていない。なんと書こうとしているのか、ヒナには予想もつかなかった。
試行錯誤する父に、ヒナは聞いた。
「……なに、書いてるの?」
「笑うって書きたいんだけど、なかなか難しくてね」
「……」
ヒナは察する。
――そっか。あたしに笑って欲しくて、書こうとしているんだ。
でも、母を亡くしたばかりのヒナは笑えない。笑顔になれそうにない。
黙っているヒナに、父はしゃべり続けた。
「言葉には、すごい力があるらしい。言霊の力は、それを現実にして現象化するそうだ。西洋でも晴和王国のそうした考え方が『言霊』としてずっと昔に伝播した」
「……」
「特に晴和王国の人間が扱うとき、言葉はより特別なものになると、ある研究者は言った。良い言葉を使えば、それがそのまま自分に返ってくる。いや、その言葉がその人を造り、その言葉がその人から見える世界を創る。声に出す言葉にも力があるし、書いた言葉にも力がある。世界樹が創造する魔法の力の根幹にあるものと言えるかもしれないし、それ以上に不思議な力かもしれない」
なにが言いたいのか、ヒナにはまだわからない。
「だから、言葉だけでも明るく前向きで、優しくて綺麗にすると、よりよい世界を創り出せる。それは、お父さんもそう思う」
「……うん。なんとなく、あたしもそうだと思った」
「うん、ヒナは賢い子だ」
と、父は優しく微笑んだ。
その笑顔をちゃんと見てみると、ヒナは少し心が晴れてきたような気した。
「でも、嘘をつく必要はないよ。心から、そうなって欲しいと思うことを口にすればいい。紙に書いてみるといい。どうすればそうなるのかわからなくても、それは問いかけになって、いつかどこかで気づきをくれる」
「そう、なんだ……」
それは、ヒナにはピンとこない話だった。気づきがあれば、答えが出てくるのだろうか。それとも、一歩だけ、前に進めるのだろうか。
「そして、なによりも良くないのは、心から思っていて信じていることなのに、嘘をついて否定して言葉にしてしまうことだ。言葉にしたらその通りになっていってしまうからね」
「ネガティブな嘘をついちゃダメってことだよね」
「うん。うん。ヒナは本当に、賢い子だ」
父の話は、まだ体験を伴ってもいないが、幼いヒナにもなぜか腑に落ちた。
だからそれ以来、ヒナは信じたことを裏切る嘘は言わないことにしようと誓った。
「あ、お父さん!」
「どうしたんだい? ヒナ」
「もんじゃ焼き! もんじゃ焼き! こげてるよ」
「本当だ」
おかしそうに笑う父だったが、「もんじゃ焼きは少しくらい焦げても大丈夫だ」と得意そうに言って、焦げすぎた部分だけよけて、そこからうまくまとめて、「これがお父さんの文字焼きだ」と「笑」の文字を作ってくれたのだった。
そんなもんじゃ焼き屋での会話を思い出して。
ヒナは眉を下げた。
――お父さん……。
今も元気でいられているだろうか。風邪を引いたりしていないだろうか。自分のこと、心配していないだろうか。
懐かしみ、寂しくなったヒナだったが。
そこに、柄の悪そうな声が聞こえてきた。
「おやっさん! おいにも一つ持ってくるでごわす!」
ヒナの隣のテーブルにどかっと座ったのは、赤毛の短髪を逆立てた、牢人風の男だった。