47 『グレイトフル』
ヒナは『花卉の都』光北ノ宮を目指して歩いていた。
結局、温泉街ではもうサツキを見つけることはできず、気持ちを切り替えて先へ進むことにしたのだ。
一日歩いて、光北ノ宮に足を踏み入れる。
光北ノ宮はヒナの故郷の車ノ群ほどではないが広く、中心地まではまだまだ距離がある。
次の日。
朝からそば屋に入った。
「今日のうちに駅の近くまで行きたいわね」
名物のニラそばを注文して待っていると。
賑やかな二人組が入ってきた。
「あ、おばちゃん。久しぶり」
「おじちゃんも久しぶりー」
「食べに来たよ」
「いつものお願いね!」
そばを打っていた男性と接客の女性は、楽しそうに二人を歓迎している。懐かしそうにしゃべり始めた。
握手してはお礼を言って、思い出話をして、この店のそばのおいしさを褒めている。
――元気な二人組ね。
男女の二人組で、年はヒナよりも少し上だろうか。そろって頭にサンバイザーをつけている。オレンジ色のパーカー。カメラもおそろいらしい。
仲良しの兄弟なのかカップルなのか知らないが、聞こえてくる会話によると、名前はアキとエミというそうだ。
関わり合いにならないようカバンから資料を取り出して読み始めると。
アキとエミがやってきて、親しげに話しかけてくる。
「なに読んでるの?」
「お勉強? 偉いね」
「ボクはアキ。明善朗」
「アタシはエミだよ。福寿笑」
「キミは?」
「なんてお名前かな?」
ヒナは資料を伏せて、アキとエミの顔を見る。
――もう、ここまでしっかり自己紹介されたら名乗らないわけにはいかないじゃないの。
「あたしはヒナです。浮橋陽奈」
「ヒナちゃんだね、よろしくね!」
エミが手を握ってくる。アキも「よろしく」と笑顔だ。
またヒナが資料を読もうとするが、そこからが大変だった。
二人がずっとしゃべりかけてくるのだ。
自分の話を一方的にしてきたり、ヒナのことを聞いてきたり、相手にするのも一苦労だった。
「でさ、ヒナちゃん。その難しそうなものは?」
「なにかの研究?」
と、絶妙に鋭いアキである。
「べ、別に」
「その筒、ステキだね。うさぎの柄も可愛いね」
エミもエミで、目ざとく望遠鏡に気づく。
「これは、お父さんからもらったの。大事なもので……これを作った人が王都にいるから、王都に行こうかなって思ってて」
「そっか! ヒナちゃん偉いね。作った人にお礼を言わなくちゃだもんね」
「え?」
ヒナは目をしばたたかせる。
――なんでお礼を言いに行くことになってるの? て、この人にとっては普通のことだからだ。
なにが普通なのかというと、
――おそらく……この人の中では、『大事なものを作った人がいるからそこに行く』ってなれば、お礼を言いに行く以外に理由なんてないのよね。
彼らにとっては普通のことなのだ。さっきも、この店を営む二人に何度もお礼を言っていた。
――あたし、地動説証明の知恵を貸してくださいってお願いすることばっかり考えて、会ったら最初に言うべきお礼を忘れてたわ。反省ね。
感謝の心の大事さは父と母に教えられて育ったはずなのに、アキとエミに会わなければ忘却したままになるところだった。いくら切羽詰まっていても、忘れちゃいけないこともある。
アキは笑顔でうなずいている。
「大事なものかぁ。それはお礼を言いに行きたいよね。ボクもこのカメラをつくってくれた人にお礼を言いたくなっちゃった」
「そうだね、アキ。この前言ってからしばらくするし、そのあともたくさん活躍してくれたもんね」
「撮った写真も見せてあげないとだよ」
「だね」
「ヒナちゃんも会えるといいね」
「ヒナちゃんは良い子だからきっと会えるよ」
自省していたところに思わぬ褒められ方をして、褒められるのに慣れていないためにヒナはうつむきがちでエミと目を合わせられない。善意たっぷりでしゃべりかけてくる相手は苦手だった。
「どんな人?」
アキに聞かれるが、聞きたいのはこっちだった。前回、『王都』を訪れた際にも探したにも会えず、都市伝説のようにささやかれるばかりで、人物像も行方も雲のようにつかめなかった。
「それが詳しくはわからなくて。『晴和の発明王』って人みたいで」
「知ってる?」
「ううん、知らない」
「変わった名前だ」
「でも、名前の通りにステキなものを作る人になったんだね。すごーい」
二人の会話を聞いて、ヒナは「名前じゃなーい」とつっこむが、二人は楽しそうに笑っているだけだ。
――名前……もう忘れちゃったわよ。『王都』で名前だけは聞いたけど、メモし損なっちゃったし。




