44 『テイリング』
すっかり毒気を抜かれてしまった。
さっきまでの小さな苛立ちが消え去り、花が咲いたような、なにかが始まる予感が胸に満ちる。
サツキ。
そう呼ばれた、この不思議な少年から目を離せない。
普通の人とはどこか違った空気をまといながら、その見た目はどこにでもいそうな少年。
彼は、なぜ地動説とそれ以上を知っているのだろう。
彼は、なぜ過去の遺物なんて言い方をするのだろう。
彼は、なぜこんなにもヒナの目を惹きつけるのだろう。
たくさんのなぜが浮かんでいるが、頭の中でも言語にもならない。言葉も口から出てこない。
ただ見つめることしかできなかった。
少年は、ヒナの視線を避けるように顔をそむけた。
「いや、なんでもない。この世界の星の構造はよくわからないから、今のは忘れてくれ。クコ、そろそろ行こう」
「あ、はい」
慌てて少年は歩き出し、クコと呼ばれた少女も彼に続いた。
声をかけたくて口を開くが、声が出てこない。
それくらい、ヒナは衝撃を受けていたのだろう。
黙って少年の背中を見続けた。
「ごめん……」
ヒナの《兎ノ耳》は、少年のその声を拾う。
しかし少女にはなんのことだかわからないらしい。
「ん? なんですか?」
「別に。なんでもない」
彼らの会話が切れる。
ヒナはようやく、頭が回り始めた。
「あいつ……」
さっきの言葉からわかったことがある。
――この世界の星の構造とか、おかしなこと言ってた。
「もしかして、異世界人……?」
その可能性を、考えずにはいられない。
だが、それは小説の影響を受けすぎというものかもしれない。
『栃花物語』でも異世界人が召喚された話があるが、本当に今、ここで起きていることだとすれば、あまりにも今のヒナにとって都合が良すぎる存在だった。
「まさか、ね……」
そのあと。
ヒナは天体観測に集中できなかった。
どうしてもサツキという少年のことを考えてしまって、
「あーもう! なんであいつことばっかり考えちゃうのよ!」
と悶える。
しかも、ちょうど彼を見つけてしまったので、尾行することにした。
――べ、別に変な意味はないのよ。この尾行には意味がある。だって、あいつはなにか鍵を握っているかもしれないんだから。
尾行する後ろめたさを誤魔化して、隠れながらついていった。
だが。
クコと呼ばれていた少女が振り返る。
そのせいで、ヒナは隠れなければならなかった。
――まただっ! なんで振り返るのよ、あの女! あたしが用があるのはあいつなの!
二人は尾行されていることに気づいているのだろう、何度か振り返ってきている。だからいちいち隠れてやり過ごしていた。
ヒナが耳を澄ませると、会話が聞こえてくる。
「さっきから三度目ですね」
「ああ。なんだかだれかに尾行されてる気がする」
「ブロッキニオ大臣派の追っ手ではないと思いますが、少し不安ですね」
知らない名前に、ヒナはつと考える。
――ブロッキニオ大臣? どこかで聞いたような……それより、あいつも追っ手から逃げてるの? どういう状況? 何者なの?
再び二人が前を向いて歩き出す。
それに続いて、ヒナも歩き出した。
そのとき、サツキがパッと振り返った。
「ひぃっ!」
ヒナは慌てて桜の木の陰に戻った。
クコも振り返ってつぶやく。
「今、声が聞こえましたか?」
「うむ、まあ。でも、危険なやつじゃないみたいだ。ただのうさぎさ。行こう」
ヒナは胸を押さえて、
「びっくりしたーっ。フェイントかけないでよね、もうっ」
呼吸を整える。
――ていうか、だれがうさぎよ!
そして、ヒナは尾行を続けた。