35 『ミステリアスガイ』
謎多き『晴和の発明王』。
いくつもの名前を持ち、あまつさえ歩く伝説と呼ばれているらしい。
そしてその名の持つ圧倒的な凄さは、『万能の天才』という異名に凝縮されているようだった。
だから、ポニーテールの少女に『万能の天才』を知らないのかと聞かれてもうなずくしかなかった。
ヒナは無言でこくりと首を縦に振った。
すると、ポニーテールの少女はニッと笑って、一瞬で表情が変わる。空気も変わった。まるで別人が乗り移ったように、それこそ舞台女優のようにしゃべり出した。
「今は昔、この世のありとあらゆる叡智を備えた天才がいた。彼はその才を揮い、無数の顔を持つようになった。ある時は作家、ある時は芸術家、ある時は科学者、ある時は医者、ある時は発明家……。ゆえに彼は『万能の天才』と評されるが、常に表舞台に出ることを望まず、名前ばかりが一人歩きしていったのだ。しかしこの時はまだ、姿を見た者もある。豪傑を思わせる見た目をしているとのことだった。されどこの数年、一体どこでなにがあったというのか、彼の姿を見たという声はついぞ聞かなくなってしまったのである。それでも彼は今でも『王都護世四天王』の一人であり、『飽くなき探究者』とも称され論文は次々に上がってゆく……。未だ『王都護世四天王』として『王都』を守護しているのは本当に彼自身なのか。あるいは……」
「ちょっと、コヤスちゃんっ。みんな見てるよ」
くいっと短髪の少女がポニーテールの少女の服を引っ張る。
コヤスと呼ばれた少女の話を見物する人たちが集まってきて、
「あれ、王都少女歌劇団『春組』コヤスちゃん?」
「おお! 本物だ!」
「さすが『女優』! 引き込まれちゃった!」
「今のってあの『万能の天才』の話か。噂は聞いたことがあるぞ」
「コヤスちゃん可愛い~!」
「隣にいるのってスダレちゃんじゃない?」
「でも、もう一人はだれ? 新しいメンバー?」
「なんか、アイドルにしてはちょっと普通っぽいけど……」
足を止めた見物人たちが口々に噂する。
ヒナは驚いた。
「え、あの歌劇団?」
歌劇団とは、晴和王国の四つの都市を拠点に活動するアイドルような存在であり、少女歌劇団と少年歌劇団とがそれぞれの都市に存在し、ここ『王都』では少女歌劇団を『春組』、少年歌劇団を『東組』といった。
「ていうか、普通っぽいは余計よ」
と、ヒナは小声でつっこんだ。
コヤスは照れたように頭をかく。
「みなさん、失礼しました。ちょっと演技の練習をしてました! 歌のお稽古もあるので、もう行きますね! 『春組』の公演、見に来てください!」
見物人たちにぺこりと一礼して、コヤスはヒナにささやく。
「目立っちゃってごめんね。実はウチも詳しくは知らなくてさ。有名人だし噂はいくらでも転がってるはずだよ。見つかるといいね」
ウインクするコヤスは、彼女が歌劇団のメンバーだと知ったからかキラキラしているように見える。
「応援してるよ。ばいばい」
短髪の少女も手を振って、二人は去って行った。
残ったヒナはお団子を食べるのも忘れて呆けていた。
見物人たちが散っていって、ようやく我に返る。
「別の有名人に会っちゃった。『春組』のメンバーなんて知らなかったけど、やっぱりさすがのアイドルね」
お団子を一つかじって、モグモグ噛んで飲み込む。
「噂は転がってる、か。ほんと、転がってはいるのよね」
転がっているだけで、核心に迫れない。
知りたい情報が知れない。
「名前くらいは知りたかったけど、難しいのかなぁ……ううん、もう少しだけ聞いてみるか」
その後、ヒナはさらに五人に話を聞いて回った。
一人目、二人目からは有力な情報を得られず。
しかし三人目、ついに名前を聞くことができた。
アイスキャンディー屋は言う。
「なに? 玄内さんを探してどうするの?」
「いろいろと聞きたいことがあるんです。あたし、天文の研究をしていて……って、玄内さん!? それが名前なんですか?」
「そうだよ。名前、知らなかったの?」
「名前すら知らない人ばっかりだったんです」
「まあ、玄内さんにお世話になった人も多いけど、自ら表に出てこようとはしない人だからね」
「みたいですね」
歌劇団のコヤスもそう言っていた。
「ただ、おじさんもね、最近は会ってないんだよ。前に会ったのは二ヶ月前かな。玄内さん、『王都』にはいたりいなかったりだから。この街で探すのも、あんまり期待しないほうがいいよ」
人の良さそうなアイスキャンディー屋のおじさんにお礼を述べ、ヒナはそのあとも何人かに話を聞いた。
この日、ヒナが最後に立ち寄ったのは文房具屋だった。