23 『キャリッジ』
ラナージャの街は、地面は土。
舗装もあまりされていない。
通りも適度に乱雑で、人も多い。
だから、隠れられないこともない。
追っ手の女は角を曲がってきたところで足を止めた。
「どこに行った……? 隠れたか?」
隠れるための時間はあった。
同時に、この先の角を曲がって姿が見えなくなるまで走るには、少しだけ時間が足りない可能性がある。
となると、隠れた確率が高い。
ぐるりと見回し、周囲を探り始めた。
ヒナはしゃがみながら、呼吸を整えていた。
体力の回復を試みる。
――大丈夫、ここなら見つからない。まずは、体力を回復させないと。またいつでも走れるように。
自分の心臓の鼓動がよく聞こえる。
見つかるのを恐れるがためのハラハラドキドキか、たくさん走ってきたためのバグバグか。
「はぁ……」
大きく息を吐き、
「すぅ……」
大きく息を吸う。
そして、長く息を吐いた。
「ふーっ」
「落ち着いたか?」
声をかけられ、ヒナはうなずく。
「は、はい」
「そうか。で、なんでそんなに走ってたんだ?」
「あなたこそ、どうしてあたしを馬車に乗せてくれたんですか?」
ヒナが問いを返す。
実は、今ヒナは馬車の中にいた。
こうなった経緯は次の通りである。
転んだせいで追いつかれて斬られそうになったヒナは、その後、剣をよけてまた走り出した。
そして、角を曲がったところで、二つの選択肢が生まれた。
走り続けるか隠れるか。
まだ相手の剣が地面に刺さっている。これを抜いてから追いかけてくるとなると、ヒナが次の角を曲がるまで逃げ切るのが先か、このあたりで隠れてやり過ごすか、二つの道があった。
もし走り続ければ、次の角は交差点だから三つの選択肢を生み、追いかける側はその中の一つを探り当てる必要が出てくる。しかし、いつ追いついてくるかわからず、交差点まで辿り着くまでに姿を見られる可能性がある。
逆に、隠れてやり過ごす場合は、ヒナが走り続けたら逃げ切られてしまうから、探し方がどうしても雑になる。つまり見つかりにくくなる。
どうすべきか。
迷っていたヒナだったが、勝負に出ることにした。
――ここは、勝負だ! 走る! 交差点を右か左に曲がって、完全にまく!
そう決めて走り出した。
いつ追っ手の女が後ろの角を曲がってくるのか、音では識別できない。音を消す魔法の使い手だからだ。
だから、角を曲がるタイミングで姿を見られる距離まで近づかれているのか、視認しなければならない。
「きつっ……! でも、走らなきゃ……! あと少し……!」
走っていると、背後からは馬車の音が聞こえてくる。
――馬車? 馬車が目隠しになってくれたらいいけど、この速度と距離だと、すぐに追い抜かれて目隠しには利用できないか……。
しかし。
馬車が徐々に近づいてきて。
ヒナの横を通過したとき。
スピードが落ちて、少し先で止まった。
馬車からは一人の青年が顔を出して、
「乗ってくか?」
見覚えの顔に、ヒナは素っ頓狂な声を上げた。
「あんた、確か……!」
「ここで会ったのもなにかの縁だ。そんなに走って、急いでるんだろ?」
「お願いしますっ」
一瞬迷ったが、ヒナは馬車に飛び乗った。
青年は馬車の運転手に告げる。
「出してくれ」
「はい」
馬車が走り出す。
出発した馬車。
その中で、ヒナは呼吸を整えた。
呼吸も落ち着いてきたところで。
青年はなぜ走っていたのかを問いかけてきたのであり、ヒナはなぜ自分を馬車に乗せてくれたのかを聞き返したのである。
「言っただろ? なにかの縁だ。キミはどうなんだ? どうして走ってた?」
青年は、年の頃は二十歳くらい。
左目にモノクルをかけているのが特徴。
『水の都』ヴェリアーノで出会った青年である。
マンフレード博士の家の前で話したのはもう一ヶ月以上前のことだ。
「あたしは、まあ……ちょっと事情があって、追われる身っていうか、逃げなきゃいけない相手がいて……」
「へえ」
興味なさそうな相槌に、ヒナはジト目になる。
「で、どこに向かってるんですか? あたしは明日出航する船に乗るから、今晩泊まる宿を探さないといけないんです」
「明日出航か。どこへ?」
「あたしの質問聞いてました? この馬車がどこに向かってるのか聞いたんですけど」
「どうせ宿屋のアテもないならいいじゃないか」
「それは、まあ。あたしはですね、晴和王国に行くんです」
「晴和王国のどこ?」
「浦浜ゆきです」
「なるほど。ボクはちょうどここに、晴和王国ゆきのチケットを持っている。出航はこのあと。十八時だ」
「え、晴和王国?」
彼が見せたチケットには、こう書かれていた。
「界津ノ国、妙土港ゆき。これと取りかえてあげようか?」




