17 『クリティサイズアーティクル』
《兎ノ耳》で周囲を探知しても、近くに怪しい音は聞こえない。
――追っ手を差し向けるとしても、そんなに人数は使えないはず。あたしにそこまでの価値もない。うん、まだ大丈夫。
ヒナはギドナ共和国に入っても立ち止まることなく、ひたすら歩き続けることにした。
周囲の小さな音さえ聞こえる《兎ノ耳》を持つヒナだから、逃げるのには向いている。
特に、徒歩になればいつでも逃げたり隠れたりできる。
だが、馬車で体力を温存することも大事で、馬車なら移動スピードも上がるので、可能な場合は積極的に利用すべきだ。
一日も休むことなく歩いて、馬車が来れば馬車に乗って、旅をし続ける。
次の街に来た。
前回ヒナがフェルディナンド教授の新聞記事を読んでから、一週間後。
街で新聞を買って確認する。
「あ、まただ」
また新聞にアサヒのことが掲載された。
しかも、前回と同じフェルディナンド教授の話がメインになっている。
『フェルディナンド教授は語る。人々が信仰する宗教には、信仰されるだけの理由がある。それはきっと平和を願う心や幸せを願う心の体系化であり、人々の愛が形になったものだ。それを冒涜することは、許されないのではないか。人々の愛を否定する行為ではないのか。そうした意味で、宗教を非難するために唱えられた地動説は、科学ではない。学問ですらない。悪魔に取り憑かれた思想と言えるかもしれない。私も浮橋教授を知っているが、以前はそこまで極端な人ではなかったように思う。彼には晴和王国という故郷から持ち込みたい思想でもあるのだろうか』
などと、なにを言いたいのかわからない主張が記されている。
「こいつ、また言ってる!」
建物の壁を拳で叩き、新聞を握る手に力がこもる。
「また変な論点を持ち出して! 冷静ぶって煽ってる! これで騙される人が出てきたらどうするのよ! 騙すのが目的なのはわかってるけど! でも! こんなのを毎週連載されたら……読んでる人たちが、おかしくなる……」
読んでいる人たちから理性が失われていく。
ヒナは悔しさともどかしさと悲しさで、涙が出そうになる。
「何度も繰り返し叫べば、それを信じる人が出てきちゃう……! なんとかしたいけど、あたしには、どうしようもない……」
滅茶苦茶なことを書く記事が目の前にあっても、今のヒナにはなにもできない。
それが悔しい。
父がおとしめられるのが悔しい。
くちびるを噛みしめるしかできない。
新聞を買いに来た男女が話す声も聞こえる。
「悪魔に取り憑かれた学者とかこわーい」
「宗教を非難するために学説を唱えるとか、普通じゃないよな。それに、晴和王国の思想ってなんだよ。やめてくれよ」
「なんか怪しいよねぇ」
そのとき、ヒナはその男女に対して、
「研究内容すら見ずに悪魔とか言ってるやつのが怪しいわよ!」
と言ってその場から逃げる。
涙を堪えて走りながら、そのまま街を出た。
さらに一週間後。
夕方、次なる街にやってきて、宿に入り、新聞を買って部屋に入る。
「今週も、あるのかな……」
現在、二週間も連続でアサヒの非難と地動説の否定を、論点をすり替えながらされている。
だから、新聞を見るのが怖かった。
食後、ヒナは新聞を手に取りかけて、
「……」
手を引く。
先にシャワーを浴びて。
それから新聞を読むことにした。
ベッドに座って、新聞を開く。
「やっぱり、あった……」
恐る恐る、読み始めた。
今度は別の学者が現れた。
『エドアルディ博士はイストリア王国の人々の良心に訴える。ちまたには、浮橋教授の地動説を擁護することで、イストリア王国の国民の持つ精神性を否定する声も見受けられる。しかし、まずはその科学が論理的に矛盾のないものなのかを見極めていただきたい。世界を見ていただきたい。イストリア王国だけが世界から外れた道を進むことは正しいのだろうか。歴史を見れば、宗教は侵略に用いられてきた。浮橋教授の故郷、晴和王国の宗教についても精査が必要かもしれない。イストリア王国を守ってきたのは、宗教とそれを正しい心で信仰した国民たちだったのではないか。イストリア王国は晴和王国の過度な介入を避け、世界と歩調を合わせて行くべきだと考える。仮に浮橋教授が虚偽の科学を唱えていた場合、いずれ報いを受けるだろう。審判は下されるだろう。その時を待ちたいと思う』
晴和王国まで非難する姿勢には、もはや怒りを超えた悔しさが溢れるばかりだった。
ヒナはベッドで、ひざを抱えて座り、顔をうずめた。
「次から次へと……いったいなんなのよ……!」
新聞に書かれていることが頭を離れない。
「今まで、世界中で宗教を利用して侵略してきたのはルーン地方の国々でしょ……! 一部の支配者が宗教を利用してきたんでしょ……! しかもいちいち論点のすり替えをして、お父さんや晴和王国を非難して……! いったい、いつまで続くの……?」
思わず、涙がこぼれてくる。
「うぅ……っ……うぅ……」
無力な自分が悔しい。
大好きな父と故郷がいわれのない非難をされる。
徹底的に、何度も何度も非難してくる。
そして、だれも助けてくれない。
だれも側にはいない孤独がヒナをいっそう追い込む。
「うぅっ……お父さん……」




