14 『ヴェリアーノ』
『水の都』ヴェリアーノ。
ここは、イストリア王国の首都マノーラから見て北に位置し、国の中でも北東にある都市である。
ヴェリアーノ湾の潟につくられた街であり、水路が縦横に巡り、『水の都』の異名をとる。
同じく『水の都』の性格を持つ晴和王国の天都ノ宮や界津ノ国に比べても圧倒的に水路の利用が多く人々の生活にも組み込まれるほどヴェリアーノは水路なしでは成り立たない構造を持っている。
こうした水路の中でも大運河が街を二つに分かち、百を軽く超える運河がこの大運河につながっているのだ。
そのためたくさんの橋が架かり、その上を人々は往来する。
また、この美しい水を湛えた運河には、ゴンドラが浮かぶ。
ゴンドラは手漕ぎのボートで、渡し船や水上タクシーとしても利用されていた。
水と共生するヴェリアーノ独特の風景だ。
街の構造基盤である水路とゴンドラによる影響で、民家や商店には運河に面した側に玄関を設ける建物も多くあり、他の街では見られない景観はヴェリアーノを人気の観光地にもしている。
「さすが『水の都』ヴェリアーノ」
橋を渡りながら、ヒナは運河を見下ろした。
「相変わらず綺麗な水ね」
穏やかに流れる水は陽の光を反射して輝いている。
――このヴェリアーノの地理はあんまり記憶にないけど、こっちのほうにあったはずなのよね。あの博士の家が。
博士の家。
その目的地は、うっすらとした記憶が頼りだ。
――博士は、お父さんとはまったく別の分野を研究していた。環境問題を訴えていたわ。それも、だれも理解してくれない問題……。
その点では、父と似た境遇にある。
しかし、似た境遇はヒナに嫌な想像もさせた。
なぜなら、その博士はもうこの世にはいないからである。
――博士……マンフレード博士。
記憶にあるマンフレード博士は、ヒナが幼い頃のものだった。
――去琵鬼漫降渡博士は、気象の卵……ウェザー・エッグというものを発見した。《気象ノ卵》はマンフレード博士の魔法による感知でもある。つまり、正確には魔法によってしか《気象ノ卵》は見えないし、環境汚染を確認することもできないってことになる。だから博士以外には見えないし知りようもない。
環境が汚染されている。
どんどん地球環境が破壊されている。
それをマンフレード博士は訴えたわけだ。
――卵からは生物が生まれたらしい。その生物を、『大気の子供』と呼んだそうだ。元々は悪さもしない精霊のようなもので、環境を整える存在。地球の自浄作用を高める働きをする存在。もちろん、これも人の目には見えない。魔法によってしか確認できない。
荒唐無稽な話だ。
『大気の子供』なる存在がいることも、そうした精霊たちが地球の自浄作用を高めていることなども、常人には到底理解できない。
そもそも地球には、地球自らが意思を持っているのか生きているかのように、自浄作用が働くということも、学術的にも荒唐無稽だと言われていた。
すべてはマンフレード博士の空想だと思われてしまった。
――地球環境の破壊をやめることは、文明の進化を停滞させること。この地に根づく宗教は科学を推進しないはずなのに、これを嫌がった。まだ文明の成長をしなければならない。もっとそれが進んだとき、自分たちの科学がある程度の水準に到達すれば、彼らは世界の国々を非難し環境問題を訴えることを許し、むしろ賛美しただろう。なんて、お父さんは言ってたっけ。
自分たちだけが文明レベルを上げたあと、他国が成長するチャンスを潰すことは、自分たちの利権を作り守ることにつながる。自分たちだけが便利な生活をしながら、他国にそれを許さず、環境問題を考える正義にさえなれる。
もちろん、「おまえたちも環境を破壊しながら科学を発展させてきたじゃないか」と言われても返す言葉はある。
「今、地球を守らないと大変なことになるのだ。だから我々は環境を汚染する活動などしてはいけない」
しかもその上で、後進国には自分たちが独占した科学で作ったものを売りつけ、あとから健康に悪いと判明したものの処分場にもして売りつけ、環境対策のための組織を作って世界の国々から資金を収奪する。
そうした循環が目に見えるようだと父・アサヒは言っていた。
――マンフレード博士が死んだのは五年前くらいだったかな。その頃はあんまりわからなかったけど、今ならわかる気がする。
アサヒはこうも言っていた。
「宗教は、それだけならばどれも人々が創り出し信仰するものであって、そこに良し悪しはない。悪いのは、宗教を利用することだ。権利やお金のためにね」
つまり。
悪用する者たちがいるからこそ、環境問題を訴えたマンフレード博士は宗教に殺されたのだ。
異端審問にかけられて処刑されたのである。
「だから……マンフレード博士のいた家を訪れるのは、意味のあることだって、そう思う。もう、だれもいないって知ってるけど」
知っていても、立ち寄りたくなった。
感情がヒナをそこに向かわせたのだった。