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11 『ラビットデパーチャー』

 旅支度をする日々は、ヒナにとっては楽しかった。

 普通の日常だったからだ。

 荷物をまとめるだけ。

 それはたとえば旅行の前の準備のようでもあり、大掃除のようでもあり。

 夜には父といっしょに星を見て、いつものように過ごした。

 そんな準備期間はたったの三日間ではあったが。

 父にとっては、ヒナとの今生の別れを前にした最後の思い出作りにしているつもりであろう時間で、それが敏感なヒナにはわかった。

 逆に、ヒナは絶対またここに戻ってくるつもりだったから、これから始まる大変な旅の前の、エネルギーをぎゅぎゅっと充電するための時間なのだ。

 いよいよ旅立つ、前夜。

 天体観測をして。

 ヒナは、天体望遠鏡を手に聞いた。


「これ、本当にあたしが持って行っていいの?」

「もちろんだ。ずっと昔にお父さんがヒナにあげたものなんだから、当然じゃないか」

「うん。ありがとう」


 細い筒状のそれは、まだ世間一般には見られない代物である。

 確か、父が研究者仲間からもらったと言っていた。


「そういえば、ヒナはそのウサギの柄が気に入ってたね」

「今もずっとお気に入り」

「昔、どうしてウサギが描いてあるのかって聞いてきたなぁ」


 と、アサヒはつぶやいた。


「これを作った人がウサギ好きなのかと思って、お父さんに聞いたんだよね」


 それは幼い頃。

 誕生日に天体望遠鏡をもらった時のことだ。

 ヒナはすぐに天体望遠鏡を気に入った。

 特にウサギの柄が嬉しかったのである。

 だから聞いたのだ。


「ねえ、お父さん。どうしてウサギがかいてあるの?」

「ああ、それはね、望遠鏡は遠くを見るメガネだろう?」

「うん。遠くも見える」


 望遠鏡を目に当てて、遠くを見るヒナ。


「干支はわかるかい?」

「ね、うし、とら、う?」

「そう。その干支では、ウサギの卯から順番に数えると、十番目が()になる」


 ヒナは指を折って卯から干支を数えていった。


「たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い。……ね」

「十番目、つまり(とお)()()

「ほんとだ」

(とお)()(がね)のダジャレになってるんだ」

「あはは。おもしろい。その人、天才」


 ケラケラ笑うヒナに、アサヒはくすりと笑い返した。


「うん、その人は本物の天才なんだ。異名もたくさんあって……」


 そんな会話を交わしたことを思い出す。

 ヒナはアサヒに笑いかけ、


「ダジャレっていうのを聞いて、もっと気に入ったんだよね。で、月にはウサギが住んでるってお話もあるから、天体望遠鏡にウサギを描いたって言ってたよね」

「二つの意味で、ウサギとは縁があるというわけだ」

「あたし、これでいろんなところを旅しながら星を見たいな」

「たくさん見るといい」


 穏やかにうなずくアサヒに、ヒナはうなずき返す。


「うん」


 星が好きだから見るだけじゃない。

 きっと、またここで父の助けになるために、父と裁判を戦えるように、星を見ようと思った。


「さあ、ヒナ。もう夜も遅い。明日は出発だし、寝ないと」

「わかった」


 まもなく、ほとんど準備のできたバッグに天体望遠鏡を入れて、ヒナは旅立ち前最後の晩、眠りにつくのだった。




 旅立ちの日。

 日付にして。

 (そう)(れき)一五七一年三月一日。

 ヒナはなんの憂いも見せずに、笑顔で父に手を振った。


「いってきます!」

「いってらっしゃい」


 ささやかに手を振り返すアサヒ。

 ヒナはくるりと背を向け、歩き出す。


 ――大丈夫。あたしがついてるから。待っててね、お父さん!


 しっかりと地面を踏みしめる。

 だが、振り返りたくもなる。


 ――本当は、あたしの誕生日……三月三日をいっしょに過ごしたかった。お父さんにおめでとうって祝って欲しかった。でも、旅の支度ができたのに、あと何日もここにはいられない。行かなくちゃ!


 ヒナは表情を引き締める。強い意思を瞳に秘めて。

 カチューシャのうさぎ耳をピンと立て、力強く進む。

 東に向かって。

 故郷、晴和王国へ向かって。


「…………」


 そんなヒナの背中を見つめ、アサヒは寂しそうに微笑んだ。


 ――ヒナも、明後日でもう十二歳か。あと二日だけでも、いてほしかったな。あと少しだけ、そばで成長を見ていたかったな……。ヒナ……こんなに大きくなって、立派になって……。


 娘の姿に、つい目頭が熱くなる。


 ――ヒナは優しいから、だれにも好かれるだろう。ヒナは頭がいいから、正しい選択ができるだろう。ヒナは頑張り屋だから、だれかが支えてくれるだろう。ヒナはお父さんに似て不器用だから、苦労することもあるだろう。でも、ヒナはお母さんに似て明るい子だ。だから大丈夫。だから……ヒナが普通の女の子になって、普通の幸せをつかめますように。


 異端者の学者の娘でなく、普通の女の子として、普通の幸せをつかめるように、アサヒは願うのだった。

 ヒナの姿が見えなくなって、


「いってらっしゃい」


 もう一度、つぶやいた。

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