8 『フットステップ』
朝。
ヒナは父のカバンに弁当を入れなかった。
いつもはヒナが弁当を作ってカバンに入れておいてやるのだが、今日はあえて入れていない。
父が出かけるところで。
「じゃあ、いってきます」
「うん。いってらっしゃい。気をつけてね」
ああ、とアサヒがドアを開けて外に出た。
ドアが閉まったのを確認すると、ヒナは弁当を取りに戻って玄関へと舞い戻り、ドアを開ける。
「ちょっとお父さーん」
玄関から顔を出して呼びかける。
アサヒは足を止めて振り返った。
ヒナは外に出て弁当を手に持って、笑いながら言った。
「お弁当忘れてるよっ」
「ああ、そうか。確かに、いつもより少しだけカバンが軽いような気がする」
「もう。はい」
と、ヒナは弁当を差し出す。
ありがとう、とアサヒが受け取りカバンに入れて、
「いってきます」
「うん。いってらっしゃい」
胸の高さで手を振り、笑顔で父を見送る。
そうしながら、ヒナは耳を澄ませていた。
しかも魔法を使いながら。
《兎ノ耳》を発動している。
小さな音や遠くの音も聞き取ることができる魔法で、うさぎ耳のカチューシャを媒介にしている。
この魔法は、炎を生み出すとか筋力を増強するような負荷のかかるものじゃなく、使用に必要な魔力がかなり小さい。
そのため、常に精度を落としながら発動している。
自然と発動してしまっていて、癖になっているのだが、耳を澄ますなど意識すればかなりの聴力を発揮できる。
これによって、ヒナは聞き取りたい音があったのだ。
――やっぱり……聞こえた。お父さんが歩き出すのといっしょに動き出す足音。このところ、あたしを尾行する人がいることに気づいた……ウルバノさんの家が放火されて数日経ったある日から、あたしをつけてる。監視だ。あたしをつけ回すくらいだから、お父さんのことも尾行してるはずだとは思ってた。でも、それを表立って探って、あたしが気づいたことに気づかれたらお父さんが怪しまれる。だから、窓を開けて、お父さんの帰宅時にも足音を聞いて確かめたりもしたけど、その足音とも同じ人っぽい。
実は、ヒナはとっくに尾行者に気づいていた。
それもウルバノの家が火事になって数日後、ヒナの尾行が開始された時からだ。
つまり最初からわかっていながら、父にそのことを隠し、自分も素知らぬふりをして様子を見ていたのである。
もちろん、気づけたのは《兎ノ耳》のおかげで、足音を聞き分けた結果だ。
「お父さーん」
ヒナは父の背中に呼びかける。
アサヒが足を止めて振り返る。
「なんだい?」
声は大きくないが、ヒナにはしっかり聞こえる。
――足音も止まった。
それを確認して、
「お弁当、ちゃんと残さず食べてよねー」
「わかったー」
手を大きく振るヒナに、アサヒも軽く手を振って再び歩き出した。
――うん。また、あの足音が聞こえだした。
これまでも何度か聞いてきた足音は、もしかしたらヒナの勘違いの可能性があった。たまたま、アサヒと同じタイミングで動いたり止まったりする人がいても、それほどおかしくはない。
だが、今日のこれで確信した。
――あたしにもっと知識があれば……今まで聞いてきた足音を分析してきていれば、あたしやお父さんを尾行する人の特徴も、足音から割り出せるのに。でも、尾行者がいることは確かめられた。
手を振り終えて、ヒナは家に入った。
バタン、とドアを閉めて背中を預ける。
――今日の夜、お父さんに話そう。




