270 『ヘビーフィスト』
マルチャーノは小さく口を開けた。
呆然とサツキを見返しているようだった。
――どんな顔なんだ? 驚いている、のか? なぜか、全身にみなぎる魔力も高まっているように見える。
不自然といえば不自然な反応である。
感情も、作為も、狙いも、すべてが曖昧にして続くリアクションがない。
サツキが待っていると。
小さく開いていた口が、ニタリとした。
――このあまりに酷薄な表情しか見せない今のマルチャーノさんが、笑った?
今のマルチャーノは、相手を紙にする魔法を使う死者を憑依させており、このトランス状態では人格にはそうした変化が現れていたのだが。
――まさか、こんな表情をしてくるとは。
意味を解し兼ねていると。
ようやっと、マルチャーノはしゃべり出した。
「あぁっ、楽しみだ! 貴様一人でなにができるのか、見せてもらおうじゃないか! その目で、その手で、オレに土をつけることができるのか。見ものだよ」
フン、とサツキは片頬をゆがめた。
――そこまでか。そこまで楽しみか。だったら、楽しませてやる。楽しんでいられないほど、そんな余裕がないほどに。
タッと。
サツキは駆け出した。
行動が開始されたサツキに、当然のように発砲する。
右手の銃で、迫るサツキを銃撃するが。
銃弾が発射する時にはもう弾道の予測がつく。
予測能力に優れた《緋色ノ魔眼》がそれらを完璧に見切って、銃撃をすべてかわして進む。
途中、刀がサツキの右手に現れ、銃弾を斬る。
そして、銃撃が通じないと見て取ると、マルチャーノは左手でポケットからナイフを取り出して、紙になったミナトを切りつける。
「させない!」
急ストップ。
手のひらを突き出す。
この形から、《波動》を解き放つ。
狙ったのはミナト。
つまり、紙。
衝撃波は簡単に紙を吹き飛ばした。
「《波亀桜掌》」
そう言って、紙の行方を把握しておき、マルチャーノの動向にも目を離さない。
この戦闘中、衝撃波で本を狙った際には少し破れたが、紙のほうは破れもしないでくれた。衝撃波が強くなりすぎないようにうまく調整できていたからであろう。
マルチャーノも無理に紙を保持しようとはしなかった。
それよりもサツキをどうにかするのが先だ。
「いいぞ。まあ、どうせ切っても死なないのだがな」
「……なるほど」
サツキはマルチャーノの動きを観察し、急襲はないと判断、距離を詰めるために再び動き出す。
――だいぶ、衝撃波を飛ばすことにも慣れてきた。だが、一度は足を止めないと打った反動でバランスを崩す。こうして距離を詰める中では使えないな。
刀をまた手の中から消して帽子の中にしまう。
そして、一気に距離を縮めて掌底を打ち込んだ。
身体が接触しない距離。
約五メートル。
人間をも吹き飛ばすパワーはある。
「《波亀桜掌》」
しかし。
マルチャーノは吹き飛ばされることはなかった。
踏みとどまった。
「効かんわ! だあああ!」
ずっとその場を動かなかったマルチャーノが、拳を突き出し一歩進み出た。
サツキはそれを見極めることもできた。
ただ、拳の速さが予想以上で、右腕で防御の構えをする。
そこに、マルチャーノの拳が入った。
「うっ!」
重い。
硬い。
強い。
痛い。
あまりの衝撃と痛みに、サツキはギリッと歯を食いしばる。
――痛いっ! なんて拳だ! まるで、大きな鉛の豪速球を腕で受けているようだ!
骨が砕けるのがわかる。
人間の拳の硬さじゃなかった。




