265 『トランスルーセント』
一刀両断。
刹那の斬撃。
だれも逃れられない速さ。
まさに神速。
神速の剣だった。
しかし、斬れなかった。
マルチャーノの身体は確かに捉えたと思ったのに。
マルチャーノの身体を確かに通過したというのに。
マルチャーノの身体に確かに刀が突き立っているというのに。
斬れなかった。
だが。
ミナトは、最後まで振り抜かなかった。
ピタリと。
途中で、刀を止めていた。
「手応えがないんで止めてみましたが、その身体、どうして透けているんです?」
「とんでもない速さだ。そう、神速としか言い得ないほどに。しかしそれだけではオレを斬れない。オレは斬られることがない」
腹部に刀が突き立った形のまま、マルチャーノはそう言い切った。
妙に歪な光景だった。
マルチャーノの腹部に刀はあるが、その腹部は半透明に見えていて、実際にも透けている。
「それが次の魔法ですね」
「ああ、そうだな。透ける魔法だ」
「見た目にも半透明で、まるで幽霊だ」
「生き霊というやつさ。より厳密に言えば、レイスになった」
ミナトは刀をサッと引いて数メートル下がる。
微笑を浮かべるマルチャーノ。
「判断の速さも神速だな。まあ、たいしたことをするつもりじゃなかったが、いい判断だったとも言っておこう」
「レイスは自身が半透明になるようですが、触れている物体もいっしょに半透明化ができるんですね」
「でなくちゃあ、服だけ透けないで、斬られれば破れるだろう」
「銃撃はどうなんです?」
自身の剣で斬れなかったことで、ミナトはレイスになったマルチャーノに興味を抱いている。
だが、これにはサツキが答えてやった。
「銃撃中は、半透明化はしないさ。もっと言えば、そもそも半透明化は完全じゃない。全身すべてを同時に半透明化はできない。約七割といったところか」
「これまた速いな、城那皐。貴様を玩具にするのも楽しみだったが、その目だけを使うために殺してしまうのも悪くないと思えてきたぞ。想定以上の価値がその目にはあるのか? それとも、貴様の頭脳もあってこそか?」
マルチャーノの性格は、一貫している。ただ、憑依させる人間によって人格はわずかに影響を受け、今は少しの物腰の柔らかさがある。爆弾魔になった際には必要以上に冷徹で、憑依がない状態では自らの欲望を感情のままに出す猟奇的な場面もあったが、今のマルチャーノは柳に風と受け流すような空気感があった。
こうした性格が半透明化と合わされば。
巧みに攻撃を捌く技を生かす元となり、いっそう戦いにくくなる。
――性格と魔法がうまく噛み合わさってるな。
サツキが答えずににらみ返すと。
ミナトが言った。
「目も頭脳も心も、すべてがないとサツキの力は発揮しきれるものじゃァありませんぜ」
「そうか。そうだろうな」
「時に、その七割の半透明化は都度都度マルチャーノさんが調整するんですかい?」
「でなけば、こんな魔法に価値はない」
「だったら、いくらでも攻略できるわけだ」
「ほう。どうやって? このオレのコントロールを甘く見ているわけでもなかろう」
「いやあ、少しはそうなるのかなァ。だって、半透明化が及んでいない箇所から切り落としていけば、いずれあなたの全身はバラバラになるでしょう」
マルチャーノは薄く笑った。
「こいつ、狂ってる。だが、悪くない。オレの玩具にするなら、そのくらい言ってくれないといけないからな」