262 『コンスームアドバンテージ』
「ミナト」
「静かに」
ミナトにささやかれ、サツキは黙った。
元々しゃべるのも辛いのだ。
もししゃべらなくてもいいならしゃべりたくもない。ひと言だって声を出したくなかった。
――助かったよ、ミナト。俺が倒れたことで、煙幕の中にある俺の場所を特定できたのはなにもマルチャーノさんだけじゃなかったんだよな。考えてみれば、銃弾なんかよりも、ましてやナイフなんかよりも、ミナトのほうがずっと速い。この神速に敵うものはない。そんなミナトが俺を《瞬間移動》で爆破から逃れさせてくれた。
また銃声。
しかしそれはもう、サツキが感知するには遠い位置での音。
おそらくミナトは何度か《瞬間移動》をして逃げ、サツキとミナトの会話で場所の特定を再度試みたマルチャーノさえも煙に巻き、どこか安全な場所に移してくれたのだ。
サツキは《全景観》で様子を確認する。
――まだ痛くて苦しくて辛い。左目も焼けるように熱いままだ。でも、ちょっと呼吸はしやすくなった気がする。ミナトが俺を座らせてくれたからか。
壁を背に座らせてくれていた。
死んだようにというにはあまりに生きるのが辛く、再生に苦痛を伴うが、こんな状態では横になるより座っていたほうがまだマシだった。
――生きているのがこんなに辛いなんて、初めてだ。死んだほうが楽になるとは思うけど、死にたくなんかない。死んでなんかいられない。そろそろ、考えをまとめよう。
その前に。
場所だけは確認する。
マルチャーノから離れている。
この三階エリアの中で、彫刻作品類の影になる位置で、壁を背にしている。マルチャーノからは見えない。
――ここならじっくり考えていられる。
だが、ミナトはいない。
――ミナトは、もう向こうにいるのか。
ミナトは平然とマルチャーノを前にして立っている。
煙幕が晴れると、さっきまでサツキとミナトがいた場所に突っ立って、マルチャーノを見据えていた。
「貴様だけか。城那皐はどこへやった?」
「いやだなァ、言えませんよ」
「隠しているということは、城那皐は負傷しているのか? だろうな。あの不意打ちに対応するには未来予知しかない。どれほどの負傷かはわからんが、床の血を見るに相当だろう。生きてはいるんだよな?」
「あはは。むろんです」
余裕そうなのはいつものこと。
特に虚勢を張っているわけじゃない。
ただミナトはゆるりと会話しているに過ぎない。
目的は、サツキの再生時間を稼ぐため。
それは本能的にわかって、なんのてらいもなく話す。
「サツキがあれで死ぬわけありません」
「ああ、それでなくては話にならない。そうでなければならない。だが、相当状態は悪いらしいな。失望はしたくない。頼むから楽しませてくれよ。こんなところで終わるなよ? 城那皐」
見えないサツキに語りかける。
サツキはようやく目を開いて、
――大丈夫。痛みと引き換えに、いや、《賢者ノ石》の消耗と引き換えに、俺の身体は再生をここまでしている。
巨大な弾丸で抉られたようにほぼ跡形もなくなっていた右上半身だったが、恐るべきことに頭の大きさくらいの穴がぽっかり空いた程まで傷が小さくなっている。傷が小さくなったという表現より、空間がみるみる埋まっていったというほうがそれらしい。
――でも……残念だ。こんな……天下一品の左目を失うなんて。《賢者ノ石》の消耗がわかる。なんとなく、もうあんまり使えない……もうこれ以上無理して使ったら消滅するって、なんとなくだけどわかる。
せっかく悪魔・メフィストフェレスにもらったのに。
昨日もらったばかりなのに。
もうなくなるのは惜しかった。
だが、仕方ない。
生きるためには身代わりになってもらうしかない。
今日はアルブレア王国の騎士団長、『独裁官』樹里阿野冶選琉努と戦ってだいぶ消耗したせいもあるだろう。
――ただ、おかげで、じきに治るのもわかる。そろそろ……あと少しだけ考えをまとめて、傷口が完全に塞がったら、出ていこう。
その間、ミナトはマルチャーノと簡単な問答をしていた。
「マルチャーノさん。一つうかがいたいのですが」
「なんだ」
「ただの確認です。あなたは一人だが、僕らは僕とサツキの二人だ。二対一になりますが、いいんですかい? 僕ひとりでも構いませんぜ」
「一人が好きなら勝手にしろ。だが、オレはなにも気にしない。オレには手駒もある。それに、貴様を倒すことは確定事項。まず力を試したいのは城那皐だ。いずれにしろ戦うのなら変わらないさ」
ミナトは視線を外し、やや斜め上に目を向ける。
「まあ、それでいいのなら。さて、サツキもそろそろ準備ができたようですし、ちょっと連れて来ます。待っててください」
そう言うと、ミナトは《瞬間移動》でその場から消えた。




