259 『エスティメイト』
レオーネには、相手の魔法をカード化してデッキに組み込み、ランダムに手札を引いてその中からしか魔法を使えないという、カードゲームじみた制約が存在する。
このせいでレオーネの強さにはブレがあり、手札のランダム性と同じかそれ以上に強さにもランダム性が生じる。
しかも、レオーネは魔法のカード化には洞察力を必要とし、どんな魔法なのか、その原理を分析できなければカード化はできないといった条件がある。
すなわち、レオーネの万能さはランダム性と深い洞察と分析を必要とする、制限の多い万能さなのである。
それはもはや、使う人によっては万能でもなんでもない。
使うのがレオーネだから万能に見えるだけだ。
ゆえに、『千の魔法を持つ者』と称される。
玄内はというと。
魔法名か魔法の効果を知れば、それを相手から奪うことができる。
その際、魔法の鍵を創り出し、これを相手の首の後ろに差し込む必要がある。
直接的に相手から魔法を奪う玄内は、分析結果をカード化するだけのレオーネに比べて、魔法を手にする過程がどうしても実力行使になる。
それだけ玄内に実力があるからこそ、無数の魔法を没収してこられたとも言える。
使用にランダム性もなければ数の制限もないなど、自由度が高いのも玄内を『万能の天才』と呼ばせる要因となっているのだが。
この人、マルチャーノ。
彼は果たしてどうなのであろうか。
――先生やレオーネさんとの違いは、すでに死者を操るという魔法が基礎に存在する点だ。その上で、また別の……応用技ではあるが、まったく別の、他者の魔法の引用ができるとすれば、その力は先生やレオーネさん以上に制限されるはず。
魔法の才。
創造力。
論理的思考。
それらの総合が魔法という形になる。
――もしあの二人より制限がかかるとすれば。マルチャーノさんの《屍者憑依》は他者の魔法を引用できるが、それはあくまで死者限定であり、同時に扱える数は一つ。二人の人間を同時に憑依させる人の話など聞いたこともないしな。
二つ以上ではないだろう。
別の魔法を使いたい場合、別の死者を憑依させ直すと思われる。
そして。
重要なのが、憑依中に、別のマルチャーノ自身の魔法を使えるのか、ということだ。
言い換えれば、憑依中に《屍術歌劇》の使用はできるのかどうか。
これもおそらく、できない。
サツキとミナトを相手にアンデッドを戦わせた状況を思い返せば、無理な話だと思える。
――俺とミナトをそれぞれ一人ずつと戦わせ、自身が銃を構え、さらに別のアンデッドに身辺警護をさせていた。これをマルチャーノさんの頭脳一つですべて回していたわけだ。随分と神経を使う。そんな技を、もう一人の人間を憑依させながらやるのは難しいだろう。ある場合を除けば……。
ある場合。
それは。
――たとえば、もう一人の人間がマルチャーノさんの肉体さえ支配した場合……マルチャーノさんは髑髏でアンデッドを操ることに専念できる。ただし、この戦術には無理がある。支配者としての性質が強く、他者を信じない。そんなマルチャーノさんが他者に肉体を預けるはずがない。そして、肉体を預けてしまえば、髑髏だけだろうと、肉体を介さずに死者を操るなど不可能だ。したがって、マルチャーノさんは《屍者憑依》の使用中に《屍術歌劇》を併用しない。
結論づけ、サツキは自身の見積もりの甘さを思う。
「楽観視したような分析結果になってしまったな。いや。でも、おおよそこの通り。ただし、《屍者憑依》はそれだけの制限があってなお、恐ろしい魔法だ。驚異的ゆえの制限だ。それを忘れたら、簡単に殺される」




