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90. 年明け始動 (その3 松山)



 東京ドルフィンズと松山市の交流はかなり深く、準フランチャイズと言って差し支えないかも知れない。

 坊っちゃんスタジアムではドルフィンズ主催の公式戦が毎年開催され、シーズン終了後の秋季キャンプも、ここで行われる。

 その他にも、二軍チームの交流戦や地元チームへの用具援助など、細かい事を言えば枚挙にいとまがない。

 そんな経緯もあって、年が明けるとドルフィンズのスター選手が松山に集まって自主トレを行い、みづほと櫻田もそれに参加するのが恒例になっていた。


 松山自主トレの中心メンバーは錚々たるもので、トリプルスリーを三度も計上した強打俊足の山賀と、首位打者の経験もあるベテランで、貴重な代打の切り札であり打撃技術のアドバイザーとしても有能な川幡。

 それからショートで全イニング出場し、3割25本塁打を叩き出した櫻田も、もはや立派なスター選手だった。


 プロ4年めとなった、みづほの昨季成績は86試合出場、打率.261、本塁打ゼロ、打点21、盗塁3。

 守備固めと代打でこつこつ積み上げてきた成績であり、スタメンは山賀の休養日だったわずか3試合、それさえも同年代のライバルたちと競合は避けられなかった。

 一塁や遊撃、三塁も守れるライバルたちと違って、ほぼセカンド専門のみづほは、首脳陣にとってやや使い勝手が悪い選手と言えるだろう。

 オスナヨに山賀、櫻田に村神と、内野がほぼ固定されている現在、みづほは5年めの来季も、セカンドの二番手を巡って、ライバルたちとしのぎを削る事になりそうだった。




「みづほは相変わらずマイペースだな。みんなで自主トレやる意味、あるのか?」

 言葉に反して櫻田の表情は柔らかなので、本心ではないのだろう。

 既に身体を作っていたらしいみづほは、初日であちこちのチェックを済ませると、2日目には早くも全力に近いダッシュを何本も行い、その後は延々と守備の基礎練習を繰り返している。

 キャッチボールに付き合う程度で、全体練習にはほとんど見向きもしない。


「意味? あるに決まってるじゃない。山賀さん、川幡さん、それにサッくん。日本トップクラスの素質と技術を持ったライバルで、目標で、そしてお手本でもあり師匠でもある。そんな人たちと場を共有する事に、それ以上の意味なんて要らないわ」

「えっ、俺も山賀さんたちのレベルに、入っちゃうんか?」

「当り前でしょ」


 そんな遣り取りの間に、みづほと櫻田は阿吽の呼吸でボール籠やネットを運んできて、所定の場所に設置していった。

 これからふたりで、ボールを使った守備練習を行う目的である。


「みづほからで、いいぞ」

「ありがと」

 ころころと櫻田が転がしたボールを、みづほがステップを踏みながらグラブですくい上げる。

 次の瞬間には既に送球体勢に入っていて、鮮やかなスナップスローで投げられたボールが、ネットに突き刺さる。

 ドルフィンズに入ってからふたりが幾度となく繰り返した練習だった。




 ――相変わらず凄えよな。

 ほぼ毎度の事だったが、櫻田はみづほの一挙一動に目を奪われていた。

 ボールを拾って投げる、ただそれだけの動作なのに、どんな場面を想定してどういうゴロを処理したのか、手に取るように分かってしまうのだ。

 みづほの練習は、基礎の段階から、密度も内容もレベルが全然違う。


 ――お手本になるのは、どっちだと思ってるんだよ。

 自分はいつになったら、みづほと肩を並べたと胸を張って言えるんだろう、プロのチームでレギュラーになった現時点でも、櫻田がそう思う事はしばしばだった。

 セカンドの守備だけに関して言及するならば、プロ4年めにして既に、名手の域に達している。

 このまま順調にプロの道を歩めたなら、いったいどこまで上手くなるのだろうと空恐ろしくなるくらいだった。

 

 しかし守備だけでレギュラーを獲得出来るほど、プロの世界は甘くない。

 生まれついての野球センスと動体視力、脳の処理能力、たゆまぬ努力で身に付けた技術にプレー精度、それらを総動員しても、女子であるが故の非力さは、カバーし切れるものではなかった。


 プロの投手が本気を出して投げる160㎞/h近くのストレートを、華奢な体格のみづほが普通に弾き返すのははっきり言って奇跡的であるが、それでも力負けをするのか、ジャストミートしてもセンター前ヒットが精いっぱいで、外野の間を抜ける長打は、年に数本。

 柵越えのホームランは、一軍デビュー直後の2年めに打った1本のみ。

 みづほ自身もそれを自覚しているのか、打撃では進塁や出塁を目的としたチームプレーに徹していて、それはそれでチームにとって貴重な存在であるが、山賀や村神、櫻田らと違って主役にはなり得ない。


 ――こいつが男だったら、どんだけ凄え選手になってたんだろ。

 そんな思いを抱くのは初めてではなかったが、櫻田はその感情をすぐに掻き消した。


 みづほは、みづほだ。

 それ以外の、何者でもない。

 女子である事、それも含めて櫻田は、みづほという存在を尊敬していたし、愛してもいた。




 自主トレが徐々に本格的になってきた一月中旬、みづほにとって嬉しい人が、見学に訪れてくれた。

 川幡選手の妹であり、女子野球のレジェンド、有紀さんである。

 みづほの2年め、松山での初めての自主トレで、一緒に練習した時以来だった。


 兄譲りのバットコントロールと、全盛期には男子並みだった身体能力で、女子野球界を長らく牽引してきた有紀さんだったが、ベテランと呼ばれる年齢になり、いったんは一線を退いた。

 しかし周囲から求められる声は止まず、現役復帰し、現在は新しく立ち上がった九州のクラブチームでコーチ兼選手を務めている。




「きゃあ、有紀さんっ」

 有紀さんの姿を認めるや、みづほは練習の輪を外れて、ダッシュで駆け寄っていった。


「お久しぶりです、嬉しいっ」

「元気そうだね、みづほさん」

 選手としてのみづほに敬意を表しているのか、年齢的にひと回り近く年上の有紀さんだが、2年前からみづほを「さん」付けで呼んでくれている。

 ほとんど抱擁せんばかりの距離感に少々面食らっていたが、久々の再会に、有紀さんも嬉しさを隠しきれない風だった。


「有紀さん、またいろいろと教えてください」

「私が教える事なんて、もうないってば――それよりみづほさん、ほらこの子、逢った事あるでしょ。うちのホープなの」

 有紀さんは、隠れるようにもじもじしていた後輩の若い女性を、手前に引き摺り出してきた。


「ええ、もちろん。神宮の時以来だよね、菫さん」

 栗夕月奈でセカンドのレギュラーだった宮古みやこ菫も、有紀さんと一緒に来ていたのだった。




「覚えててくださってたんですか、嬉しい」

「忘れるわけないじゃない。センバツ優勝を決めたホームラン、何遍も見て目に焼き付けたもん。福永くんのストレートを弾き返した、あのスイングは女子選手としての理想だと思うし、お手本にさせてもらってる」

 ちなみに栗夕月奈と決勝戦で戦った大阪樟蔭だが、当時のメンバーからは福永が唯一プロ入りし、北海道フロンティアーズのサードで天才の片鱗を見せ始めている。


「えっ……いやいやいや、なんもなんも……あたしなんかが、みづほさんのお手本だなんて、そんな……」

「あれは打てるべくして打てたホームランだから。壁の作り、腰の回転、手首の返し、どれが欠けても、コンマ1秒タイミングがずれてもダメだっただろうね。ただあのホームランは、福永くんのストレートと菫さんのスイングとの化学反応で産まれた唯一無二のモノだから、単純に再現するだけじゃバットコントロールに違和感が出るし、そうだね――女子野球のストレートって120km/h前後でしょ、ミートポイントをずらさずに飛距離を出そうとするなら、簡単に言うと左肩でタイミングを取る動きが、いちばんしっくりするんじゃないかな……」

 みづほの野球談議が止まらなくなってきた。


「あのね今日は菫、みづほさんの練習を手伝いに来たのよ。もちろんみづほさんの、邪魔にならない範囲で」

 有紀さんが苦笑混じりに、やんわりと釘を刺してきた。

 このまま放置していたら実演付きで、小一時間はこの話題が続くのだろうが、それではみづほの自主トレを中断させてしまう。

 そしてそれは有紀さんの本意ではない。


 菫は、いつでも運動出来そうな恰好に、既に着替えて来ていた。

「あっ、そですね、そしたら菫さん、ボール出しからやってもらえるかな」

「はいっ」

 ふたりは笑顔でグラウンドに駆けて行き、それを見ていた山賀や川幡らも笑顔で出迎えた。


 しかしその笑顔は、その夜に掻き消える事になった。




「球団に呼び出し? こんな時に?」

 ドルフィンズからみづほに、東京に戻って球団事務所に出頭するよう連絡が来たのは、その夜だった。

 キャンプ目前の異例の時期ではあるが、シーズンオフで所属選手に、球団から用事があるとすれば、ひとつしかない。


「トレード、かよ……」

 櫻田が頭を掻きながら、おおきなため息を吐く。


「この時期にまとまるトレードだとすると――かなりの規模のだぞ、大騒ぎになるな」

「もしかしてみづほちゃんひとりで、済まないってヤツ?」

 川幡が呟いて、山賀と顔を見合わせる。

 どうやらふたりには、何らしかの心当たりがあるらしい。


「えぇー。トレードじゃなくてテレビ出演とか、そんなのかも知れないじゃないですか」

「自主トレを中断させて、そんなのあるわけねーだろっ」

 みづほの天然ボケは周囲に一蹴された。


「多分だけど向こうさんは、セカンドのレギュラーとしてみづほちゃんを求めてるんだと、思うよ」

 太い腕を組みながら、山賀が笑顔を作った。

「みづほちゃんにとっては悪い話になんないから、元気で行っておいで」


 しかし、その場からみづほが居なくなると、一同は揃って、沈痛な表情となった。

「みづほちゃん出すなんて、球団いったい何考えてるんだよ……」

「あの子のお蔭で勝った試合、どんだけあるか知ってんのかよ……」




 数日後、スポーツ各紙は、みづほの電撃トレードで紙面を賑わせた。

 東京ドルフィンズ遠野みづほと、北海道フロンティアーズの若きエース松前俊一の、1対1トレード。

 松前の前年成績は9勝12敗1セーブとチームの勝ち頭であり、シーズン終盤では起用法を巡って不満を漏らしていたのは周知の事だった。

 両者の実績を考えると、明らかな格差があり、松前が体よくチームを追い出された、と見る向きがほとんどであった。


 みづほのプロ5年めは、新天地の北海道フロンティアーズでプレーする事になった。




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