87. ドーセツのNPB入り大作戦
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ほとんど日を置かず、アーレンは亜蘭の身体を借りて現し世に向かい、その足で道雪の首根っこを掴まえて、古諸にやって来た。
久しぶりに逢った敬は、少しばかり目の下に隈を作っていた。
身体的な疲れはないが、ドラフトに指名されて以来、生活がガラリと変わってしまったのだという。
「世話になった人とか、知り合いとかは全然いいんだけどさ。親を亡くしていちばん困ってた時に、何もしてくれなかった親戚とか、今さら勘弁してよって感じ。事情があったのは分かるんだけどね」
さらには契約金目当てで銀行やら投資会社やら、真っ当なのから怪しいのまでじゃんじゃん電話がかかってきて、養父の浩輔さんが防波堤になってくれている。
「俺は天涯孤独やし、育成指名で貰う金もたかが知れとるから、えらいこっちゃなかった。じゃっどん、学校と漁港ん衆からは、盛大に祝ってもらったど」
「ドーセツ。亜蘭が『孤独ってなんね、あたしがおるわ』って怒ってるぞぉ」
亜蘭の顔で可愛くむくれたアーレンが、口を挟む。
「敬、ドラフト指名おめでとう」
「ドーセツもおめでとう。同じリーグのライバルだね」
「ない言うちょっかい、2位と育成じゃあ天地の差やっど」
「で、ドーセツがプロ入りするために、私が必要ってわけね?」
みんなの遣り取りを微笑んで眺めていた愛が、真顔になった。
「出来る、と思うよ」
事も無げに言い放つ愛に、道雪とアーレンが顔を見合わせ、安堵の吐息を漏らす。
「封印は今までも結構やってきてたし、『加護』って考えると畏れ多く感じるけど、『祝福』をフルパワーで掛けて、ドーセツのマナに溶け込ませる形にすれば、ほぼ同じ状態になると思う。要するに解釈の転換よね」
「いやーそーゆうのを加護って言うんだよぉ、愛」
「ただ……それでいいの、ドーセツ? 女神さまの加護は、封印したまま使わないでいると、どんどん退化してしまう。私の魔法は女神さまには及ばないから、どんなに上手くいっても、身体能力に多少の上積みが見込める程度。今みたいな超人的能力も、雷光剣も使えなくなるし、それが5年、10年続くと、能力そのものが綺麗さっぱり消えてなくなる。ほんとに、それでいい?」
「良か」
ドーセツは、即答だった。
「そもそも、こん世界を生くっとに、こげん能力は手に余っが。愛も、そげん思っちょるやろ」
「特にドーセツの能力は、そうかも知れないね……ドーセツの力なら、今起きてる戦争を終わらす事だって出来るけど、どっちかの味方をしてしまうと、それがさらに大きな紛争に繋がりかねない。私の『治癒』はまだマシで、世界を直接壊すような事はないだろうけど、自然の摂理を変えてしまうんじゃないかと、躊躇いがあるよ……」
「愛は、偉かなあ。俺はそげん事まで考えんかったぞ」
「ひとりの力で変えるには、世界は複雑すぎる、と思うんだ……」
愛はそう言って、かるくため息を吐いた。
「ねえ、愛。祝福の調整だけどさ、フツーに出来そう? 身体を密着させたり、裸になる必要とか、ある?」
「あ、そうだねえ。万全を期するなら、まずはハグから始めて、やむを得ない時に口づけする感じ――もちろん着衣でOKだよ」
「さっすが愛、あたしとは格が違うや」
「でも愛のままでドーセツとくっつくのは少し抵抗があるから、ちょっとシーナになってくるね」
「りょーかい。古諸の魔法陣に向かって転移すればいいかな」
無属性の魔法を使うと、愛はシーナに、道雪はアランになってしまうのは、以前の経験で実証済みである。
古諸の魔法陣、つまり愛の部屋に向かって短距離の転移を行えば、愛はシーナに姿を変えられる、という理屈だ。
「そうね、それがいちばん簡単だと思う」
言うが早いか、愛の姿がぱっと消えて、着ていた服がばさばさと床に落ちた。
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「なんかなあ。愛だといけんで、シーナなら良かっち考げ、ちょっと分からんな」
道雪の疑問に、アーレンと敬が、次々に異を唱える。
「あら、それが乙女心ってもんよ」
「僕だってそうさ。いくら相手がドーセツだからって、目の前で愛が男に抱きついてるの、想像するだけで耐えられないよ」
「ねえ。『前から思っとったけど、敬ってシスコン入っとるけ?』――て亜蘭が言ってるけど」
「そうだと思うよ」
一片の曇りもない語調だった。
「だって、たったひとり残った妹だよ? 僕が大事に思わないで、どうすんのさ。知り合いも居ない長野で、ふたりで守り合って生きてきた自覚だってあるし、兄妹の絆は、人一倍強いつもりだよ。僕の人生は愛のものでもあり、愛が幸せになってくれないと、僕にも幸せはやって来ない」
「すごい、言い切るねえ……」
「だってそうだもの。ドーセツには僕の気持ち、分かってくれる筈だよ」
「お、そうか?」
「僕の言った事そのまま、愛を亜蘭に置き換えてみなよ。ドーセツもまったく同じ考えでしょ」
「お――おぉーう。俺も亜蘭が幸せにならんと、生きとる意味なかなあ」
「でしょ」
「うけけけ。亜蘭が思いっ切りヤブヘビで、あたふたしてるよっ」
良い話になりかけた処を、シーナになった愛が、すっかり台無しにした。
「シーナ何しとんっ」
「あーあ。ひどいカッコ」
バスタオルいっちょを身体に巻いた、あられもない恰好でぱたぱたと駆けて来たのだ。
「やっちゃったあ。シーナになるの久しぶりだから、ぜんっぜん服、用意してなかったよぉ」
シーナの身体がナイスボディ過ぎて、タオルの丈が全然足りず、大事な処を手で押さえてはいるが、はだけた処から輝くような白い肌が、盛大に見え隠れしていた。
「何やってんの、愛。じゃなくてシーナ」
「まったくだよねー。パンツくらい穿けば良かったのに、このエロ聖女」
半裸というより全裸に近い絶世の美女に、アーレンの容赦ないツッコミが入る。
「エロとか、言うなっ。サイズが違いすぎるのよ、取りあえず服着てくるわ――浩輔さーん、作務衣出してもらえますかぁー」
「あっ、馬鹿ッ。そのカッコで浩輔さんとこ、行っちゃダメだよっ」
敬の制止も聞かず、シーナは半ケツを晒しながら、急いで駆けて行く。
案の定、少ししてシーナの叫ぶ声が聞こえてきた。
「ごめーん、誰か手伝って。浩輔さんが鼻血吹いて倒れちゃったぁ」
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多少のごたごたはあったが、いよいよ愛の聖魔法が道雪に掛けられる。
「まずは、封印ね」
「そもそも神さまの加護に干渉するなんて、シーナ以外に出来る芸当じゃないからね。あたしも見るの、初めてなのよ」
アーレンの解説が入る。
「そもそもそんな事、出来るの?」
「あら、元神さまのリーファと、互角に渡り合ったシーナだよ? それについては心配無用」
道雪は、床に脚を投げ出すような体勢で、座らされた。
「立ったままだと封印の瞬間、脚が動かなくなって崩れ落ちるからね」
シーナは道雪の脚に跨る恰好で向かい合い、道雪の両手を取る。
「じゃあ、行くよ」
「ああ、頼む」
シーナが瞳を閉じ、すう、と息を吸うと、たちまち全身が神々しいオーラに包まれた。
いつの間にか浩輔さんも居間に来ていて、一心不乱にお経を唱え続けている。
シーナのオーラが、道雪の体内に流れ込んでくる感触が伝わってきた。
身体からどんどん力が抜けていくのが分かったが、けして嫌な感じはなく、むしろ懐かしいとさえ思った。
それは嘗て勇者アランだった頃、力を与えてくれたシーナの支援魔法と同種の感触であり、限りない愛とでも呼べるような温もりと、そして哀しさが同居していた。
思わず胸の奥が、熱くなってくる。
道雪は、封印の魔法を施しているシーナから視線を外せずにいた。
しかし繋がれた手は、ほどなく離れていく。
「封印、終わり。さすが女神さま、なかなか手ごわかったよ……」
ゆっくりと息を吐きながら肩の力を抜いたシーナは、道雪の膝の上にへたり込み、少しだが消耗した顔つきで、にっこり笑った。
そのシーナの重みを含め、腰から下の感覚がまったくなくなっている事に、道雪は気付いた。
下半身は動かそうとしても、もちろんぴくりとも動かない。
「俺の脚、まっこち女神さまのお蔭で、動いとったんやなあ……」
「ん-っ、相変わらず見事なマナの流れだねえ。眼福眼福」
満面の笑みで何度も肯くアーレンの顔を、敬は不思議そうに覗き込んだ。
「そんなに分かるもんなんだ。僕には白い光くらいしか見えないんだけど」
「敬も加護持ちになったんだから、訓練を重ねていけば見えるようになるんじゃないかなあ。マナって生気みたくフツーの人でも循環してるから、見えるようになるといろんな事で役に立つよっ」
「ふうん」
「で――これからが本番だね、聖女の加護。どーするシーナ、少しだけ休憩入れる?」
作務衣の袖で汗を拭く素振りを見せながらも、シーナはゆっくりと首を振る。
「だから祝福だってば……このまま行くよ。余力あるし、ドーセツをこのままにしとくわけにいかないもん」
「俺は大丈夫やから、ゆっくりで良かど」
「だぁめ。私分かってるんだから、脚動かなくなって、ドーセツがすごく不安に感じてるの」
「シーナには隠し事、出来んなあ」
「そうだよ――」
少し慌てた様子で、シーナが道雪を抱き寄せ、耳元で囁く。
「――お兄ちゃんには内緒にしてて、私が人の魂、見えるの」
「お? おう……」
「じゃあ、始めるね」
そう言ってシーナは、道雪に頬を寄せて、静かに瞳を閉じ、集中した。




