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82. ドラフトの日 (その2 古諸)



 ドラフトの当日、長野県立古諸高校はちょっとした騒ぎになっていた。

 県内唯一の音楽科を持つ、そっち系の部活動では県内有数の強豪校だが、プロ入りほぼ確実の野球部員など創立以来初めてである。

 殺到するマスコミの取材依頼に慌てふためき、音楽棟のコンサートホールに、会見席が急遽設けられた。


 書き間違いではない。

 古諸高には席数150余りの、立派なコンサートホールが、音楽棟内にある。

 普通科で野球部員の、音楽にまったく接点のない敬は、もちろんそこに入るのは初めてだった。


「いやあ、エラい事になっちゃったなあ……」

 敬は所在なさ気に、ステージ中央の席に、ぽつんとひとり腰掛けさせられた。

 古諸高は制服がないので、野球のユニフォームに着替えている。


 大きなピアノは脇に押しやられ、ドラフト会議を逐一見守れるよう、モニターが設置されてある。

 そして客席には、報道陣と関係者、後方の席には野球部員たちがずらりと並んでいた。

 その中にはもちろん、野球部を引退した、愛の姿もあった。




 音楽棟で愛は、知った顔を見つけ、挨拶を交わした。

「ホール使わせてもらって、ありがとう。お兄ちゃんの事で迷惑掛けるね」

 吹奏楽部の部長である。

 相変わらず音楽科とは疎遠な愛だが、精力的に応援に来てくれた吹奏楽部とは、いつの間にか仲良くなっていた。


 同じミュージシャンの立場で考えると、こういう事がかなり迷惑なのは分かっていた。

 夏のコンクールは終わったが、定期演奏会、文化祭に向けての準備は怠れない。

 それに毎日でも楽器を触っておきたいのが、演奏家の習性でもあった。


「これだけ取材来るなんて、やっぱ凄いねプロ野球は。ま、こんな事は最初で最後だろうし、番組始まるまでは楽器吹けるから、愛が思ってるより迷惑は掛かってないよ」

「そうなの、ありがと」


 そして部長は別れ際、愛の背中をぽーんと叩いてきた。

「野球部のお蔭でこの一年、楽しかったよ。大変だったけど、充実してた」




 ドラフト会議の開始とともに、部屋の外でプカプカドンドンやってた楽器の音も、いつしか聞こえなくなった。

 おそらく今日は、音出しとパート練習くらいで、あとは腹式呼吸や肺活量のトレーニングをするかどうか、という処だろう。


 さてドラフトであるが、1巡めから早くも、会場に小さくないどよめきが起きた。

 パリーグ覇者の大阪ブルズが、上田南の小海を1位で指名したのだ。


「ブルズの最優先補強ポイントは、大型内野手か」

 現在のブルズは、身体能力の高い有望な若手選手が、三遊間を守っている。

 小海が一人前になれば、誰かをセカンドにコンバートして、鉄壁の内野陣を作り上げるつもりと思われた。




 敬が大阪ブルズに指名されるだろう事は、半ば公然の秘密となっていた。

 誰が話したというわけでもないのだが、人の口に戸は立てられない。

 敬の知名度やスカウトの言葉、その他もろもろの事情を考え合わせると、3巡めか4巡めでの指名が妥当と考えられていた。


 小海と敬。

 甲子園を懸けて死闘を繰り広げたライバルが、プロではチームメイトとなる。

 報道陣のどよめきはきっと、そんなドラマを思い描いているのだろう。

 ――知ってる人が一緒のチームに居るのは、良いかもなあ。

 敬もまた、そんな思いに頭を巡らせていた。


 しかし、そんな一連の期待は早々にして、まっさらの白紙へと変わってしまう。




 2巡めに入ってすぐ。

『第二巡選択希望選手、北海道フロンティアーズ。染谷 敬、古諸高校』


 なんとフロンティアーズから2位指名で、敬の名が呼ばれ、小海指名の時とは比較にならないどよめきと歓声が、場内を覆った。


「えっ? 僕?」

 いきなりの指名に、敬自身も戸惑いを隠せないでいる。

 指名を約束してくれたブルズはもちろん、他にも数チームのスカウトから挨拶を受けてはいたが、フロンティアーズのスカウトとは、会ってもいなければ話した事もなかった。




 ほぼ間を置かず、敬にマイクが向けられ、記者会見が始まった。

 まったく予想していなかった球団からの指名で、頭の中が真っ白になりかけたが、始めに話す言葉は決まっていた。


「まず、今までご指導くださり、中学高校と一緒に高めあったチームの皆さんに、感謝します。そして、育ててくれて野球をやらせてくれた、今は亡い実の両親、古諸に引き取ってもらい野球を続けさせてくれた養父、それから、妹の、愛」

 敬の視線が上がり、後方席の愛に真っ直ぐ向けられた。


「僕ひとりの力では、とてもプロから指名を受けるような選手にはなれなかった、と確信しています。ほんとに、ありがとうございました」

 そう言って敬は、深々と頭を下げた。




 指名された感想、フロンティアーズに対する印象などを訊かれた。

 感想も何も、機械的に指名されたという気持ちしかないが、敬の能力を高く評価してくれたわけだし、これから世話になる球団を批判するような愚だけは避けておきたい。


 北海道フロンティアーズは現在、世代交代の波に晒されている。

 4番打者や嘗てのレギュラーがチームを離れ、残ったベテランも次第に出場機会を減らしつつある。

 若手野手が育ってきてはいるが、その結果は二年連続の最下位。


 投手陣では先発が揃っているが、若きエースは起用法で監督と少し揉めていて、その余波か投手コーチが退団し、残りの投手もFAやらメジャー挑戦やらで何やらキナ臭い。

 敬は急いで考えを整理し、言葉を選びながら慎重に応えた。


「そうですね――まず非常に高い評価をしてくださった事は非常に嬉しく、感謝しています。僕のセールスポイントはコントロールと、少々の事では壊れないタフさだと思うので、一日でも早く一軍のマウンドに上がれるよう、日々の努力を続けていきます」

 女神の加護のお蔭で、少々どころか絶対に壊れない身体の持ち主なのだが、それはここで言うべき話ではない。




 一方、報道陣の間では、こんな話が囁かれていた。

「おい、フロンティアーズ、1位2位で、左二枚だとよ……」

「井上はともかく、染矢はタイプも似てるし、こりゃ噂はほんとかも……」


 抜群の制球力を誇るサウスポー、加瀬投手が今年FAを迎えるのだが、勝ち星に恵まれないながらも一年を通して安定感のある投球を見せ、FA宣言したら争奪戦は必至と言われていた。

 当然ながら球団は引き留めに動いていたが、左投手で上位を固めたドラフト指名を見るに、加瀬投手の穴埋めを狙ったと考えてもおかしくはない。


 指名を受けたばかりの敬が、そんなチーム事情まで頭の回る筈もなく、当たり障りのない優等生的受け応えで、記者会見は無事終了した。




「じゃあ一足先に、野球部員はグラウンドに集合な」

 愛の周囲で声が掛かり、一同はしずしずとホールから退場する。

 これから、グラウンドで敬を出迎えて胴上げし、指名の喜びを野球部全員で分かち合うという『演出』を用意しているのだった。


 音楽棟を出る玄関の手前で、吹奏楽部の一団と出会った。

 これから再び練習でもするのだろうか、みんな楽器を抱えている。

「愛、おめでとう。フロンティアーズだってね」

 吹奏楽部の部長に声を掛けられた。


「ありがとう」

「で――敬くんは、いつ下に降りてくるのかな?」

「会見は終わったみたいから、あと5分も掛かんないと思うよ」


「そりゃ大変だ。みんな、急ぐよっ」

 吹奏楽部の面々は、野球部員たちよりも早く玄関を飛び出し、楽器を持ったまま、グラウンドへの花道を作り始めた。




 音楽棟を出た敬が見たのは、グラウンドに続く道に並んだ、ブラスバンドの楽団と、それから愛だった。

「お兄ちゃん、ドラフト指名おめでとう」

 愛が左手を、敬に向かって差し出す。

 ふたり手を繋いで歩き始めた瞬間、楽団が曲を演奏し始めた。

 そう、サプライズを用意していたのは、野球部だけではなかったのだ。


 エルガー『威風堂々』。


「僕のために、みんな、こんな……」

 少々引き加減ながらも敬は、感動して声を詰まらせた。

 愛に手を引かれながら、楽団の面々と眼が合うたびに、丁寧にお辞儀をして歩いていく。


「愛。これで愛を、アメリカに行かせられるよ」

「その話は、後、後。じゃあ、一足先に、グラウンドで待ってるよっ」

 手を振りほどいた愛が、ほとんど全力疾走で、グラウンドへ駆けて行く。




 すっかり陽の落ちたグラウンドでは、野球部のチームメイトたちが、敬の到着を今か今かと待ち構えていた。

「指名おめでとー」

「今までありがとなぁ」

「つか、寒ぃーよ、早く来ーい」

 確かに10月の古諸は、夜になるとめっきり冷え込んでくる。


「おお、悪いね、お待たせ」

 敬はぽりぽりと頭を掻きながら、照れ隠しの笑顔で、しかし思いっ切りみんなの輪へと飛び込んで行った。


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