78. 長野県大会 決勝戦再試合 (vs上田南)
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再試合の古諸側応援スタンドは空席が目立ち、満員で大盛り上がりの上田南と好対照だった。
全校応援なのは昨日と同様で、ブラバンもチアガールも、スタンド応援の野球部員たちもきちんと揃ってはいるが、いわゆるOBっぽい人が少ない。
「なんでかねー」
良い感じで席を確保出来た亜蘭が、道雪の隣にぴとっと腰掛けながら、辺りをきょろきょろ見回す。
「平日ちゅーのもあるが、古諸は勝てん、ち思っとるんやろ。負くっとこ見っとが嫌なヤツは、こけ来ん」
「なんでぇ? 敬が抜くっだけで、そんな変わっと?」
昨日までの戦前予想は、古諸優位だった筈である。
それが、敬が投球制限に引っ掛かって降板必至なだけで、そこまで差が付いてしまうのかと、亜蘭は半ば愕然とした。
「外野はそう思っとるようやね」
右手は亜蘭に恋人繋ぎをされていたので、塞がっていない左手で顎をぽりぽり掻きながら、道雪が呟いた。
これまで敬が圧倒的な結果を残していたせいもあって、古諸は敬のワンマンチームと見られがちだったし、確かにその一面もあった。
しかし昨日観戦した限りでは、古諸の上位打線は良いスイングをしていたし、守備だって水準以上で、ノーエラーで敬の好投を盛り立てており、けして弱いチームではない。
「俺は勝負になるち思っとるし、はなっから負くっつもいで試合する衆なんか、ひとりも居らんよ」
「ドーセツ……」
亜蘭は、道雪の表情の変化に気付いていた。
無理もない、県大会準決勝の敗戦は、わずか三日前の出来事である。
やり切った、悔いはないと言っていても、思い出すとやっぱり悔しさが込み上げてくるのだろう。
再試合、両チームの先発は昨日と同じで、上田南が青沼、古諸が敬のエース対決。
本日は古諸の先攻で、試合が始まった。
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愛と宮田のコンビは昨日と同じくブルペン待機で、万一に備えて軽く肩を作る段階だったが、雰囲気はまるで違っていた。
「ちょっと飛ばしすぎだよ、宮田。今からずく出してどうすんの」
キャッチボールの手を休めた愛が、思わず出てしまった長野弁に苦笑しながら、呼び掛ける。
「大丈夫、大丈夫。今日の俺、絶好調だよ」
宮田は、早くボールを寄こせとばかりにグラブを挙げ、不自然なほどに笑顔を作ってみせた。
昨晩、古諸に戻ってから、敬たちバッテリー陣は監督に呼ばれて、今日の方針を伝えられた。
再試合の先発は、敬と高遠。
このバッテリーでアクシデントがない限り、55球きっちり投げてもらう。
リリーフは宮田。
その際には守備変更で高遠はファーストに入り、愛がマスクを被る。
これが古諸にとって最善だろうし、敬をフルに活用したいなら逆に、これ以外の策はなかった。
そして宮田には『行けるとこまで行ってもらう』と、山本監督は明言した。
つまりこの再試合、勝敗の行方はかなりの確率で、宮田がどれだけ頑張れるかに掛かっているのだった。
「身体、充分温まったでしょ? 少し休もうよ、先はまだ長いんだから」
愛はキャッチボールを一方的に切り上げ、帽子を取った。
控えめなショートボブの髪がサッと風に揺らぐ。
そして宮田に駆け寄ると、愛にしては珍しいスキンシップで宮田の左腕を取り、ブルペン脇のベンチへ連れて行った。
「試合、観よ」
「お、おう」
宮田はわずかに頬を染めて、素直に腰を下ろす。
一回表、古諸打線は、先発青沼の立ち上がりを攻めたてた。
1アウト一塁から、3番高遠によるチーム初ヒットが飛び出し、一三塁となって4番土屋を迎える。
土屋の鋭い打球は三遊間への鋭いライナーとなった。
「やったっ」
「行けーっ」
思わず腰を浮かすふたり。
しかしショートの小海が、ジャンプ一閃。
大きく伸び上がったグラブの先に、ボールが収まった。
「うわぁ、マジで惜しい……」
「すごいね、よく捕るよねあんなの……」
このファインプレーで青沼は落ち着いたのか、5番飯島は丁寧な配球で打ち捕られ、古諸の初回は結局無得点。
立ち上がって応援していた愛と宮田も、ようやく腰を下ろした。
一回裏、今や長野県№1左腕とも評される絶対的エース敬、注目のマウンドだ。
「愛だったらこの試合、どうリードする?」
なかなか意地悪な質問を、宮田が仕掛けてくる。
愛がそもそも捕手というポジションを選んだのは、敬の投げるボールを受けたかったから。
試合に出たくって仕方ない事は、宮田だって知っている筈だ。
しかし愛は表情を変える事なく、隣に座った宮田をちらりと見遣るだけだった。
「今日はちょっと特殊だからね……一球も無駄に出来ないわけでしょ、全部ゾーン内に投げさせる」
敬の初球は、ど真ん中にハーフスピードのカットボールだった。
球数を放らせたい上田南の1番松原は、この絶好球を見送る。
「相変わらず大胆なリードするよね、高遠は」
唇に指を当てて呟く愛の横顔を、宮田は眩しそうに見つめていた。
二球めもど真ん中、但し球種はスローカーブ、松原はこれも見送る。
「コースが限定される分、キャッチャーの腕の見せ処だよね。緩急使って、上手い事バッターのタイミングずらさないと、お兄ちゃんの球威じゃ打たれちゃうから。単打くらいなら上等、くらいの覚悟でリードしてるんじゃないかな」
そして三球めは外いっぱいにストレート。
完全に振り遅れた松原は、サードゴロに打ち捕られた。
一回裏、古諸バッテリーは全員に三球勝負で三者凡退に抑える。
要した球数は9球だった。
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二回表は無得点で迎えた二回裏、上田南は4番の小海が左打席に立つ。
――ここが正念場、だよな。
敬は高遠のサインを確認すると、そのまま投球動作に入った。
基本的に弱点がなく、パワーもある小海には、細心の注意を払う。
この試合初めて古諸バッテリーは、ボール球から入った。
しかし二球めの誘い球に、小海は早くもバットを合わせていった。
どうやら打者としての格が違う小海だけは無駄な待球をさせず、フリーに打たせる方針だったようだ。
カキーン。
鋭い金属音とともに、打球はセンター前に。
ノーアウトでのランナーに、上田南ベンチは沸き立った。
――焦らず、しっかり。
盗塁だけはケアしながら、わざと送りバントをさせてアウトカウントを稼ぐ。
下位に打順が回るといえども侮れない相手ではあるが、今日は55球しか投げられないので、序盤から出し惜しみはしない。
カーブ、ストレートと2球で2ストライクに追い込み、内角低めの大きく曲がるチェンジアップで空振りを取り、三振、これで2アウト。
続く打者に対しても2球で2ストライク、今度はカットボールでタイミングをずらし、危なげなくショートゴロに抑えた。
この回も9球でチェンジ、残りは37球。
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立ち上がり不安定だった青沼も二回以降は調子を上げていき、三回表は三者凡退。
敬も上田南の下位打線を苦もなく抑え、三回裏を10球で片付けた。
残り27球。
またもや投手戦の様相を呈してきた試合展開に苛立ったのか、上田南の応援スタンドから『もっと粘らんかーい』とか、『もっと球放らせろぉ』などの野次が聞こえてくる。
「粘らんのじゃなくて粘れねえんだよ、球種が絞れねえうえに、コースもいいとこ突いてくるから。敬って、ほんと凄えピッチャーだよ」
宮田が呟きながら、グラブを嵌めてすっくと立ち上がった。
「肩、そろそろ作っておく?」
続けて立ち上がった愛が、差し出されたヘルメットを受けとる時に、宮田の視線に気付いた。
「ありがと――どしたの、宮田」
「なあ、愛、その……この試合、勝ったらさ……」
「うん、勝とう、この試合」
「あ、ああ。絶対勝って、さ、その……」
「どうしたのよ、はっきりしないなあ」
苦笑混じりに眉を下げて見つめる愛から、宮田がそっと視線を外す。
「この試合、勝ったら、俺と、デート、してくれないか?」
「デート? いいよ」
「ほんとに? いいのか?」
「うん、いいよ。軽井沢がいいかなあ……楽しみにしてるよ」
愛が第二捕手扱いになってから1年足らずだが、宮田とは、ほぼ毎日の付き合いである。
宮田が愛に、好意以上の感情を抱いている事は、とうに気付いていた。
――デートの誘いくらいで良かったよ。
こんな場面で愛の告白などされた日には、正直な話、対応に困り果てる処だった。
「さ、行こう」
「おうっ」
宮田と愛が連れ立ってブルペンに登場すると、その意味を察知した古諸の応援スタンドから、少なからぬ拍手が起こった。
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敬の投球制限は、六回裏、1アウトを取った処でリミットを迎えた。
スコアは0対0。
5回3分の1を投げて被安打2無四球、堂々の投球内容である。
今大会、敬は全試合無失点、防御率0.00でマウンドを降りる事になった。
拍手に送られて宮田、そして愛がマウンドに走って行った。
「敬、ナイスピー」
「うん、後は任せた」
「お兄ちゃん、お疲れ」
「疲れてないよ」
笑顔でグータッチを交わす。
打順は1番に戻って松原、これで3巡め。
「セーフティ、ケアだね」
「そだね」
短い確認をして、愛は本塁へ駆けて行く。
――これからが、私の、私たちの闘いね。
「よろしくお願いします」
球審、それから打席の松原に一礼して、投球練習をする宮田のボールを受ける。
――手応え、あり。
「オッケー、ボール来てるよぉ」
宮田に、そして自分に言い聞かせるように声を出すが、少しだけ裏返ってしまった。
投球練習の最後、立ち上がってボールを二塁へ投げる。
ボールはノーバンでしっかり届き、なぜか満場の拍手を受けた。
球審からプレー再開のコールが掛かる。
「さあっ、来てっ」
――初球は小細工なし、アウトローにストレート。
サインの遣り取りを済ませ、愛は集中してミットを構えた。




