70. ふたつの三回戦
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長野県大会、三回戦。
グラウンドで宮田のボールを受ける愛の背中には、相手ベンチからの、驚きと敵意の混じった視線が突き刺さっていた。
魂が読める愛には、他人の感情がある程度までは分かる。
今日の対戦相手、蟻ヶ崎高校は松本市にある公立校で、敬が入るまでは古諸と同格か少し上の戦績を残していた。
ちなみに書道部は超が付く強豪で、全国大会で史上初の三連覇を遂げている。
そんな彼らにとって、大黒柱の敬を外し、しかも捕手に女子の愛をスタメンにした古諸のラインアップは、『舐めやがって』という気持ちが先に立ってしまうのだろう。
嘗ての愛のライバルだった土屋は、外野に完全にコンバートされ4番レフト。
正捕手の二年高遠は、今日はファーストを守り、3番を打つ。
マウンドに立つ宮田は初めての先発で、愛は公式戦、正真正銘のデビュー戦。
打順はそれぞれ8番と9番だった。
「いいか。敬が居ねえ時は、これがうちのベストメンバーなんだ。ずく出して行って来い」
山本監督が愛の背中をぽーんと叩く。
いつも通りぶっきらぼうだが、これが不器用な監督の、精いっぱいの愛情表現である事は、愛には分かっていた。
長らくブルペンの相棒だった宮田は右のオーバースローで、ストレートは最速130km/hちょっと。
他の持ち球はカーブが2種、それなりに曲がるのと、あまり落ちないヤツ、それとチェンジアップ。
そして二人三脚で磨いてきたのは、打者のインコースにズバッと投げ込むコントロールで、それはかなりのレベルに達してきた。
愛が巧くリードすれば一巡、いや二巡くらいは抑えてくれる、という確信があった。
一回表の初球、愛はど真ん中のストレートを要求した。
試合中は可能な限り聖女の加護を抑えているのだが、それでも相手の打ち気や意図は漏れ出てしまう。
今回は、一球様子を見ようという姿勢が見て取れたので、迷わずストライクを取りに行った。
見送り、ストライク。
最速に近いストレートが、愛のミットに良い音をたてて飛び込んで来た。
――よし、ボール走ってる。腕も振れてる。
「ナイスボール!」
愛はにっこり笑って立ち上がり、宮田に返球した。
久しぶりのブルペン待機となった敬は、軽くキャッチボールをしながらバッテリーの様子を窺っていた。
先頭打者に2ボール2ストライクからの五球め、内角にコントロールされたフォーシームで詰まらせて、セカンドゴロ。
今日はエラーもなく、普通に1アウトを取った。
「よしっ」
思わずガッツポーズを作る、敬。
自分が投げる時よりも緊張しているのに気付き、思わず苦笑いする。
続く2番打者の三球め、カーブがすっぽ抜けてボールが大きく逸れたが、愛は難なくキャッチ。
愛の捕球技術は、野球歴2年とは思えないほど、巧い。
フルカウントから高いバウンドの難しいゴロとなったが、サードが軽快に捌いて2アウト、古諸的にはなかなかのファインプレー。
丁寧な配球で3番をライトフライに打ち捕った処で、敬はキャッチボールの手を止めた。
――これなら、しばらくは任せられそうだね。
「少し、試合観てようか」
そう言うと敬はブルペン脇のベンチに腰掛け、ドリンクをぐいっと飲み込んだ。
――初回から全力で、行ける処まで行く。
試合前に宮田と愛は、そんな申し合わせをしていた。
まず愛は、宮田の最大の武器であるインコースのフォーシームを多用させた。
それを決め球にするのと、内角を意識させて外のカーブで打ち捕る、ふたつのパターンで投球のリードをした。
それで一巡めは無失点で切り抜けた。
二巡めには二の矢を用意していた。
内角、ほぼ同じコースに、チェンジアップ。
インコースの速いボールを意識させた処で、タイミングを狂わせて打ち捕る算段だ。
通用するかどうかは一種の賭けだったが、宮田と愛はそれに勝った。
五回を終了して3対1とリード。
宮田は4安打1四球と、結果を出した。
蟻ヶ崎高はランナーが出るたびに盗塁を試み、愛を揺さぶってきた。
4度走られ、2度は刺したが盗塁をふたつ許した。
六回表、武器を使い切った宮田は球威も落ち、1アウト一二塁と攻めたてられた処で、ピッチャー交代、エース敬の登場。
高校野球史上初の兄妹バッテリーが完成したが、愛は敬のボールを一球受けただけにとどまった。
1ストライクからの二球め、注文通りのショートゴロで6-4-3のダブルプレー、ピンチをあっさり脱する。
その裏の攻撃で愛は代打を送られた。
「宮田、ナイスピー。良かったよ」
愛は笑顔で宮田とハイタッチを交わし、休む間もなくプルペンに行き、控え投手のボールを受ける。
そしてそこで敬の快投と、チームの勝利を見届けた。
「もっと受けたかったな、お兄ちゃんのボール……」
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宮崎県大会、三回戦。
普久島の相手は、本由投手が卒業しノーシードとなった、都之城。
一年秋に完全試合でコールド負けを喫して以来の対戦だが、今回は優勝候補vs名門という、三回戦屈指の好カードとして注目されていた。
しかしこの試合、道雪はマウンドに居なかった。
肩に違和感があってこれ以上の投球は出来ない、監督にそう申し出て、ファーストに回ったのである。
嘘は言ってない。
違和感は、あり過ぎるほどに、ある。
ただし良い方に、である。
二回戦以降はノースローを貫き通したが、それでも身体能力がうなぎ登りに上がっていくのを、道雪は実感せざるを得なかった。
鍛えてしまうとそうなるのは重々承知していたが、道雪の性格上、練習で手を抜く事は出来なかった。
そして道雪の性格上、力をセーブして何事もなく装うのは至難の業だったし、相当なストレスにもなっていた。
うっかりピッチャーで能力を出してしまって、捕手の木花を壊してしまっては取り返しがつかない、そう判断しての苦渋の決断だった。
――それにしても、勇者の力って、こげん凄かったとかい。
思い出してみればアラン時代は、身の丈10mのモンスターをタコ殴りにしていたので、まだ伸び代があるような気もする。
考えただけで道雪の背筋に冷たいモノが奔った。
試合前。
マウンドに内野手が集まり、先発の大束に道雪が声を掛けた。
「すまんな、任せた」
「いっちゃが、いっちゃが。むしろお前らと一緒に野球やれて、俺はてげ嬉しかよ」
目をくりくりと見開いた笑顔で、大束が応える……メチャクチャ緊張している時の顔だ。
「肩ん力抜かんか、大束」
「深呼吸しろ、深呼吸」
いかん。深呼吸しすぎて、過呼吸を起こしそうになっている。
「大束。どげん点取られても、よか。俺が全打席ホームラン打ったる」
「今んドーセツなら、そいも出来っかもな」
大束がようやく普通に笑った。
こんなゴタゴタがあったわりには、大束のピッチングは良かった。
六回終了時で3失点、都之城相手なら健闘の部類である。
それよりも別な事で、スタンドは騒然となっていた。
5番に入った道雪が、一打席めから3回連続でホームランをかっ飛ばしたのだ。
まずは二回裏のソロ、失敗しないよう慎重にバックスクリーンに突き刺した。
――ホームラン打たんな俺、嘘つきになっからな。
1点を先取された直後の、貴重な同点アーチだった。
二打席めは四回裏、ヒットの宙太を一塁に置いたツーラン。
外角の明らかなボール球に手を出したが、ちょこーんと打ったボールがあれよあれよと伸びて、ライトスタンドへ。
これでリードを奪う。
そして3本めは、六回裏のスリーラン。
――センター、ライトと来たら、次はレフトやっど。
相手は外角一辺倒で逃げの配球だったが、強引に引っ張ってレフトのポールを狙い、見事に命中した。
――はあ……俺の知っとる野球と、どっか違うが。
苦笑いではあったが、ダイヤモンドを回る道雪の口許に、ようやく笑みが浮かんだ。
そんな有様だったので、7対4でリードした八回裏、4番の宙太は四球を選んだ瞬間、ちいさなガッツポーズで雄叫びを上げた。
「こいで満塁じゃ。ドーセツ、かっ飛ばしてコールド決めてこい」
今回だけはソフトタッチで、宙太が道雪の胸を叩く。
「おう」
ここでグランドスラムを放てば7点差となり、コールドゲームが成立する。
一年秋に食らった屈辱を晴らす、またとない機会だ。
普久島スタンドのボルテージは最高潮。
ひときわ大きな声で、亜蘭からの声援も届いてくる。
対する相手投手だが、腹を括ったのか、真っ直ぐこっちを見据えてきた。
多分、渾身のフォーシームだったのだろう。
それでも現在の道雪には、打ち頃の球速にしか感じなかった。
余裕を持って充分にタイミングを取り、バットを一閃。
大歓声とともに、白球は左中間の場外へ消えていった。




