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60. 『最果ての村』滞在記



 通称『最果ての村』は、大陸西の奥深く、かつて魔王領であった、魔獣が跋扈する森のど真ん中にある。

 魔族との戦闘が活発だった時代には人類の貴重な橋頭堡として、精鋭たちが護っていた砦だったが、魔王討伐後はその役目を終え、守護兵たちも帰還し、いったんは無人の地となった。


 紆余曲折の末に現在は、魔王討伐の功労者リトとアーレンが農村に作り替えてひっそりと暮らしている。

 純粋な人類はリトとアーレンのふたりだけで、あとは魔王軍の崩壊に伴い行き場を無くした半魔族たちが避難して来て、今や40人ほどの集落を形成していた。




「『浄化』」

 村に襲来した魔獣の群れを、白い光が一閃する。

 群れは一瞬で瓦解し、わずかに残った勢力をアーレンの風魔法が各個撃破した。


「これで良し……と。さすが聖女よね、魔への攻撃には最強だわ。お蔭でずいぶん助かった、ありがと」

 小柄なアーレンの隣に降り立ったのは、長い銀髪をなびかせた蒼い瞳の美女、シーナだった。

 無属性の転移魔法を使ったせいで、愛の姿がまたもや変わってしまったのである。


「どういたしまして……ところでこの服、サイズが全然合ってないんだけど」

 愛や亜蘭が異世界に来た時のため、村では貫頭衣のような服を用意してくれるのだが、シーナのそれは身体の大事な部位を隠すだけの、いわばサイドを紐で繋げたボディコンのようなシルエットになっていた。


「あったり前でしょ、わざわざシーナに変わって転移してくるなんて、想定してなかったんだから。今回はこのカッコで居なさい、これで家出しようなんて気も、起きなくなるわよ」

「えーん」




 基本的には開拓中の村なだけに、行うべき作業は多岐にわたり、シーナになった愛が悩みを打ち明けられたのは、日もとっぷりと暮れ、夕食後ようやくひと息入れた時だった。

「いきなりで驚いたけど、シーナが家出してくれて、結果的にはほんと助かったなあ」

 お茶を淹れてきたリトがすれ違いざま、労うようにシーナの肩をぽんと叩いた。


 本日、シーナが行った作業は、魔獣の退治と、魔獣除けの結界張りだった。

 具体的には村を取り囲むように、少しキツめの『浄化』を掛けていく。

 聖女の魔法は、魔の者たちにとっては天敵に近いので、これだけでも魔獣の襲ってくる確率が格段に低くなる。

 半魔族の住民たちに影響が出ないよう、強過ぎず弱過ぎずの微調整にかなり骨が折れたが、それなりに満足のいく出来となった。

 これなら開墾も捗るし、向こう一年は魔獣に作物を荒らされる事もないだろう。


「さて明日は、何やってもらおうかな」

「まったく、聖女使いが荒いんだから……もう覚悟決めたわよ、愛に戻るまで、どうぞ好きにこき使ってちょうだい」

「ああ、そうさせてもらうさ」

「だよねー。家出なんかする悪い子に、遠慮なんか要らないよぉ」

 ふたりが屈託なく笑うので、シーナの苦笑いはやがて微笑みに変わった。




「で、シーナの家出の原因なんだけど」

「もういいわよ。ここで生きるか死ぬかやってると、悩んでるの何だか馬鹿らしくなってきちゃった」


 しかしリトは引き下がらなかった。

「まあそう言わずに、一応分析してみよう。俺にはヤキューブというものをイメージしにくいんだが、軍隊に置き換えて考えてみよう。つまり上位の九人が前衛として活躍でき、他の者は後方支援となる軍団に、愛ちゃんが新兵として入団した、そういう前提で話を進めてみよう……それでどうだい」

「うん、わりとしっくり来る例えかも知れない」


「よし、分かった……まとまりはあるけどそんなに強くない軍団だったのが、敬くんの急成長に引っ張られる形で、元々素質のあった団員が実力を付けてきて、軍団自体が大きな仕事をこなせるほど精強になっていった」

「うん、うん」

「で、音楽家と二足のわらじを履く愛ちゃんの立場はどんどん微妙になり、前衛への道を諦めるか、音楽家としての活動を休止するかの岐路に立たされている――そんな理解で良いのかな」


「そこまでシビアじゃないけど、概ねそんなとこね」

「ふむ……」

 リトは顎を手で擦りながら、少しだけ考えた。




「確認しとくけど、シーナつまり愛ちゃんは、ピアノを辞める気はさらさらないよな?」

「うん。ピアノを辞めたら、私は私じゃなくなる」

「そして実力も努力も不足してるのは分かったうえで、前衛つまりレギュラーとやらに、なりたいと思っている」

「うわあ……恥ずかしながら、まさにその通りよ」


 長い付き合いである。

 歯に衣着せぬ物言いは、却って心地良かった。


「人類最強の聖女が、情けない事言ってんじゃないわよ。命懸かってない球遊びなんか、肉体強化と祝福の嵐で、簡単にコントロール出来るんじゃないの?」

「――それをやったら、お兄ちゃんは私を一生許してくれないだろうな。多分野球も続けられなくなる」

 穏やかに微笑みながら、シーナは否定した。


「たかが野球、されど野球、なのよ」




「まあなんだ、その……」

 リトは顎にやった手でぽりぽりと掻いていた。

「このままどっち付かずだとピアノはともかくヤキューは厳しい、それ分かってんなら、そのまま突き進んでいいんじゃねえか? 後方支援だって立派な仕事だ、ヤキューでも、そうなんだろ」


「うん」

 ブルペンキャッチャーにしても、けして努力無しでは務まらない。

 捕球技術だけでなく、ピッチャーの調子を見極めたり、試合の流れを見ながら肩を作らせたり、それ相応のスキルと経験が必要である。

 敬にその仕事ぶりを、優秀だと評価してもらえた事については、嬉しくないわけではなかった。


「そだね、どーせ一度しかない人生だし、本質さえ見誤らなければ、シーナのやりたいようにやるのがいちばん良いと思うよ」

「ありがと。そうだね、本質が何か、考えながら頑張る」


「なあんだ、結論はもう出てんじゃん――どうして家出なんかしたの?」

「……どうして、だろうね?」

 シーナの返しに、三人で大笑いした。


「いやぁ、きっと……ふたりに背中を、押してほしかったんだよ……」

 笑いながらシーナが、瞼の下を指でそっと拭いた。




 翌朝起きたら、既にシーナから愛に、姿が戻っていた。

「転移魔法一回分なら、一晩で戻るのね……」

 これもまた、貴重な経験のひとつである。


「あれっ、アイじゃん。来てたんだ、うれしいな」

 寝室から出たら、半魔族の少年が眼を丸くして歓迎してくれた。

 腰にぴとっとくっ付いてきたのは、いちばん年少の少女である。

「アイねえたん、きのうのこわいおばちゃん、もういないの?」


「おば……」

 絶句した愛だったが、確かに聖女オーラ全開のシーナは、魔族の血を引く者たちにとって、恐怖以外の何物でもなかったかも知れない。

「うん、どっか行っちゃたぁ」

 満面の笑みで、堂々と嘘をついた。




 夕食には狩で得た獲物が並ぶのは常であったが、朝食の席もまた、以前来た時とは比べものにならないほど豊かになっているのに、愛は気付いた。

「パンを焼いて、ヨーグルトがあって……フルーツまで穫れるようになったの? すごいなあ」


 華やいだ愛の声に、リトが複雑な微笑で反応する。

「ああ。避難してきた半魔族たちを養うために、すぐに結果を出す必要があった。幸い彼らが種もみを持ってたから、アーレンに頼んで、魔法で促成栽培を繰り返してきたんだが――」

「それだと、土地がすぐに痩せちゃうんだよね……」


「ああ、なるほど」

 ふたり同時にため息を吐いたリトとアーレンの様子が何だかユーモラスで、思わず微笑みそうになった愛だったが、笑えるような話じゃないのに気付いて、居住まいを正した。


「ほんと愛ちゃん、いい時に家出してくれたよぉ」

 アーレンに抱きつかれ、愛は今度こそ苦笑いで応えた。

「分かってるわ――『祝福』するんでしょ、ここの水と土を」


「ごめいとーう。聖女さま、どうかこの土地にふたたび、命を吹き込んでくださいませぇー……キリキリ働かないと、三日で帰れないわよぉ」

「誰か助けてぇ」

 ふたりの女子は、けたたましく笑った。


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