6. こんにちは野球部
*
「私、あまり歓迎されてなかったね」
入部届を提出したばかりの愛は、敬と並んで廊下を歩いていた。
「まあ、あれが正常な反応だと思うよ、愛のやろうとしてる事は、明らかに無茶だし……」
敬は頭をぽりぽり掻きながら、ため息を吐いた。
やれやれ、どうして妹の暴走を止められなかったのかって、僕まで怒られちゃったじゃないか……
入部届を受け取った山本監督は、明らかに苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「あのな、染矢――妹の方だ。俺たちは遊びで野球やってるわけじゃないんだ。初心者のしかも女子に野球やらせる時間も、余裕もないんだぞ」
野球部は春季大会も終了し、各チームが夏の甲子園、選手権大会の県予選に向けてチーム作りの真っ最中。
三年にとっては負けたら即引退の、最後の大会であり、実力の有る無しに関係なく本気度が違う。
「染矢――兄の方。妹の野球の実力は、どのくらいだ?」
「はい、キャッチボールをしただけですが、意外に素質はあると思います。少なくともボールに当たってすぐにケガをする、という事はなさそうです」
魔法を掛けたボールで吹っ飛ばされたとはとても言えないが、敬は今朝のキャッチボールを思い出していた。
敬の本気の投球を、事も無げに捕球した事。
そして魔法でズルをしたにせよ、愛の投球フォームは非常に綺麗で、理に適っていた。
異世界での10年間で、愛は想像以上の身体能力を身に付けてきたようだ。
結局、愛の入部届は一時預かりとなり、監督が主将の清水さんと話し合って入部を決める、という話になった。
「愛。放課後になったら早速、野球部の練習、行くよ」
「――入部もまだ決まってないのに、いいの?」
「愛は今まで野球って、試合しか知らないだろ? どういう練習してるのか流れを見ておく必要あるし、それにグラウンドに出ておけば、入部テストだって受けさせてもらえる――僕が監督や清水さんだったら愛の運動能力、確かめておきたいし。だから運動着でグラウンドに集合だ、分かったね」
「はいっ、よろしくお願いします、お兄さま」
「ぼくにかしこまって、どーすんだよ」
「あ――それから言うまでもないけど、野球で魔法は禁止だから。あんな事したら野球じゃなくなるし、投げたり打ったりする度に骨折されちゃ、こっちもたまんないよ」
「うん、今朝はごめんなさい……あのね、お兄ちゃん」
「どしたの」
「あのね、確かめてみたら聖女の能力、ほとんどまるまる残ってるっぽいの。それだと少量の魅惑と祝福は、常時垂れ流してると思う……」
「何そのチャームとブレスって」
どちらも人間含めた生き物相手に働きかける魔法で、魅惑は自分に対して無意識のうちに好印象を持つようになる。
祝福は、周りの人々に祝福を与え、わずかだが運が良くなったり、元気になって士気が上がる魔法である。
「まあ、そのくらいなら、良いんじゃないかな」
相手の感情や考えが分かる能力については、黙っておいた。
いくら兄とはいえ、自分の考えを読まれていると知ったら、気味悪がられてしまうだろう。
午後最後の業間休み、三年の女子が愛を廊下に呼び出した。
野球部のマネージャー、宮沢茜さんだ。
「ふうん……ずいぶん細っこいわね。暇さえあればピアノ弾いてた、変わった子だ、て聞いてたけど」
愛を一瞥するなり、宮沢さんの発した言葉が、これだ。
感情を読むまでもなく、歓迎されていないのは分かった。
「身長は?」
「160センチです」
「体重は?」
――かなり不躾だが、秘密と答えちゃダメなんだろうな。
「48キロです」
「やっぱり。あと10キロは増やさないと、野球部ではやって行けないわよ」
「はい……」
「スポーツの経験は、あるの?」
「2年前から空手をやってます。護身術程度、ですが」
――プラス10年、魔を相手に殺し合いをしていました。
「なるほどね。希望のポジションは?」
それについては答えを用意してあった。
「キャッチャーをやりたいです。兄のボールを受けたいんです」
「初心者に出来るポジションじゃ、ないんだけどな……」
分かってないなあ、という風に宮沢さんが首を振った。
「そう言えば、野球部に入りたい動機を、訊いてなかったわね」
――まさか男に逢うため、とは言えないし。
「甲子園に行って、どうしてもやりたい事が出来たからです」
「――正気……?」
宮沢さんが眼を剥いて、キッと見据えてきたので、愛も真っ直ぐに見つめ返す。
「へえ……」
愛の瞳を覗き込んだ宮沢さんは、フッと笑って視線を落とした。
――こっちの本気は、伝わってくれただろうか。
魂の色的には、宮沢さんがわざとぶっきらぼうな態度を取っているのは、分かっている。
ほんとうは、こんな無愛想な人ではないんだろう。
「ま、いいわ。今日の練習前に簡単な体力測定するから、運動出来る恰好でグラウンドに来て」
「はい、よろしくお願いします」
*
運動着に着替えた愛が校庭のグラウンドへ行くと、既に数名の部員が入っていて、その中に敬と宮沢さんも居た。
「思ったより早かったわね――さっさとアップして。準備が出来たら、早速始めるよ」
「はい」
宮沢さん、相変わらず素っ気ない。
体力測定の内容は入団テストの定番、50m走と遠投だった。
「愛、頑張れよ」
アップの手伝いをしながら、敬が囁いてくる。
「うん、頑張る」
愛も手短かに応える。
――とにかくイメージ通りに、身体が動いてくれたら。
シーナとしての経験ならば、走るのも投げるのも、魔法を使わなくたってそれなりの自信があった。
しかし問題は、愛の身体がそれに耐えられるか、だった。
それなりに柔軟性もあってバランスは取れているが、圧倒的に筋力が足りない。
――テストの段階でケガなんかしたら、入部させてもらえないよね。
愛は祈るような気持ちだったが、祈る事で敬との約束を破り、自らに祝福を掛けているのさえ、気付いてなかった。
体力測定の結果は、シーナ的には散々だった。
イメージの7割――いや、半分くらいしか走れなかったし、投げる方も、シーナの頃の癖で低い弾道で投げてしまったので、距離を稼げなかった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい。私、ダメだった……」
「何言ってんだ。あれだけ出来れば上々だよ」
「えっ」
「染矢くんの言う通りよ、ええと、あなたも染矢さんだったわね……愛ちゃん」
宮沢さんがつかつかと寄って来て、愛の右手首をガバッと掴んだ。
「愛ちゃん。右手で私の手、握ってみて」
「あ、はい……」
握手するような形で、宮沢さんの手を握る。
「遠慮しなくて良いから、力いっぱい込めてみて」
「はっ、はいっ」
ギュッ。ゴキゴキゴキッ。
「あ痛ったたた……」
「あっ、ごめんなさい――」
悶絶する宮沢さんを見て、慌てて手を離す愛。
「あー、骨折れるかと思った……」
「あっ、あのっ、ほんとに、すみませんっ」
「いいのいいの、力いっぱいやれって言ったの、あたしだから……ねえ愛ちゃん、ピアニストってこんなに、指の力強いの? そう言えば腕細いのに、手首は太いね。だからあんなにスナップ利かせて投げられるんだ……」
*
「愛ちゃん、あのね。あたしも中学まで野球やってたんだ。でも高校のレベルは違いすぎて、選手は諦めてマネージャーやってる……松本に女子野球部あるけど、私立だし、松本は遠いし。野球は今でも、大好きなんだけどね……」
「宮沢さん……」
見上げた宮沢さんの魂の色は、嘘のように優しくなっていた。
「あなたがただ、甲子園に行った遠野みづほさんや、間柴香奈ちゃんに憧れてるだけで野球を始めたい、て話なら、絶対阻止しようと思ってたの。でも経験者のあたしから見ても、あなたは伸び代いっぱい。甲子園までは約束出来ないけれど、しっかり練習すれば、2年後の認定試験には合格可能よ」
後で知った事だが、女子が高校野球の公式戦に出るためには、認定試験で合格しないといけない。
しかも受験資格は硬式野球で2年、軟式で5年以上の経験がある事。
つまり愛が試験を受けられるのは三年春の一度きりである。
「小諸高校野球部に、ようこそ。愛ちゃん、頑張りなさい」
優しく微笑んだ宮沢さんが、愛をガバッと抱きしめた。
「入部テスト合格ですよねっ。それで良いよね、監督、シミちゃん」
宮沢さんが振り返った先には、山本監督と主将の清水さんが並んで立っていた。
ふたりは腕組みをしながら、どっちも眼をかっと見開いたアヒル口で、うんうん、と同時に肯いたので、部員のみんなからドッと笑い声が響いた。
それから愛は全員から握手攻めに遭い、入部の祝福を受ける身となった。
ようやく野球部編、始動です。




